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おぼえる詩が多いのはいいことだ

『おぼえておきたい日本の名詩100』水内喜久雄(編)

声に出して読むのもいい。ひとりで黙って読むのもいい。だれかに読んでもらうものいい。小学生から大人までに読んでもらいたいすてきな100篇の詩を解説付きで紹介する。

著者は1951年生まれだからフォーク世代。私の世代はニューミュージック世代だから、そのへんが素朴なフォークとひねくれたニューミュージック世代の差だろうか?と思ってしまう。詩を声を出して朗読していたという世代は今となっては羨ましいかも。なんなく記憶はあるが、空では出て来ないのはやっぱ文字で読んでいた世代なんだろうな。

島崎藤村

島崎藤村は、『若菜集』によって日本の叙情詩を決定づけたと言ってもいいと思う。明治の文明開化によって西欧の新体詩の影響を受け、自我の心情を発露する叙情詩はそれまでの短詩(短歌や俳句)の韻文よりも散文化していく過程の中で詩として踏みとどまったというべきだろうか?それが歌になっていくのは自然の流れだったような気がする。

初恋 島崎藤村

まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花ぐしの
花ある君と思ひけり

やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり

わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃を
君が情に酌みしかな

林檎畑の樹の下に
おのづからなる細道は
誰が踏みそめしかたみぞと
問ひたまふこそこひしけれ
小諸なる古城のほとり──千曲川旅情のうた  島崎藤村

小諸なる古城のほとり
雲白く遊子悲しむ
緑なすはこべは萌えず
若草も籍(し)くによしなし
しろがねのふすまの丘べ
日にとけてあわ雪流る

これ歌になっていた。

詩の解説はこの動画が詳しい。

1977年にヒットした「青葉城恋唄」は、この詩の影響を受けたものと思われます。フォーク世代(これはニューミュージック世代ですが、詩はフォーク世代です)にはそうした歌で焼き直したようなものが多いです。

有名なのは、さだまさしの「檸檬」。高村光太郎『智恵子抄』から「檸檬哀歌』。武田鉄矢『思えば遠くへきたもんだ』は中原中也の「頑是ない歌」。叙情詩の影響はフォークに色濃く現れているのですね。それは根本的なところでは今のミュージシャンでも変わらないのかもしれない。あいみょんの「マリーゴールド」は、叙情詩の流れですよね。

与謝野晶子&石川啄木

ビッグネームを並べていいもんかと思うのですが、この二人に共通するのは短歌の明星派だということです。短歌的感性のリズムの中に我を強く押し出した叙情性と言えばいいのでしょうか?

与謝野晶子は有名な『君死にたもうことなかれ』。ただこの詩は天皇の戦争に背く反戦歌だと言われて、それを打ち消すかの如く後には戦意高揚歌などを書いている。同じような詩に武者小路実篤『戦争はよくない』という詩を書きながら後には戦争に加担することを言っていたりする。そういう反省は、やはりちゃんと見ておくべきだと思います。戦時だから仕方がなかったとは言えない。

石川啄木は戦時には死んでましたけど、この詩なんかは戦意高揚歌と捉えかねない内容を含んでいるように感じる。

飛行機  石川啄木

見よ、今日も、かの蒼空に
飛行機の高く飛べるを。

給仕づとめの少年が
たまに非番の日曜日、
肺病やみの母親とたつた二人の家にゐて、
ひとりせつせとリイダアの独学をする眼の疲れ.........

見よ、今日も、かの蒼空に
飛行機の高く飛べるを。

ただアニメ作家宮崎駿も飛行機に浪漫を感じ(少年は機械に興味を示すものである)、それを作品にしている。石川啄木が直ちに戦争讃歌に繋がるものでもないのは事実である。しかし、気がかりとして、ドイツの未来派がファシズムに飲み込まれていく歴史は無視できないと思う。

萩原朔太郎は、明星派の短歌(特にアイドル的存在が与謝野晶子だった)から叙情詩(北原白秋)を経て、ニヒリズム的詩を開拓していく。『萩原朔太郎』大岡信

山村暮鳥&大岡信

詩の言葉遊び的世界で印象的な山村暮鳥「風景」。TVアニメ『巨人の星』でも山村暮鳥「雲」が朗じられた。

風景 純銀モザイク  山村暮鳥

いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
かすかなるむぎぶえ
いちめんのなのはな

これが三連つづく。その他にも草野心平『ゆき』とか山田今治『あめ』。大岡信『はる なつ あき ふゆ』もそういう詩かもしれない。

はる なつ あき ふゆ  大岡信

はるのうみ
あぶらめ めばる
のり わかめ みる
いいだこ さはら さくらだい
はまぐり あさり さくらがい
やどかり しほまねき
ひじき もづく いそぎんちゃく
(『はる なつ あき ふゆ』から「はる」より)

金子光晴&中野重治

戦争に加担しなかった詩人で有名なのは金子光晴から『戦争』。ただ反戦詩集を出したのは戦後で、沈黙を余儀なくされた。そういう意味で太宰治が戦時中に小説を出し続けたのは作家として凄いことだというのが高橋源一郎『ぼくらの戦争なんだぜ』。これも読まなきゃ。

中野重治も戦時にプロレタリア詩を出すなど発禁・投獄されたが「歌」は逆説的に反戦の歌心を表現している。

歌  中野重治

お前は歌うな
お前は赤ままの花やとんぼの羽根を歌うな
風のささやきや女の髪の毛の匂ひを歌うな
すべてのひよわなもの
すべてのうそうそとしたもの
すべての物憂げなものを撥(はじ)き去れ
すべての風情を擯斥(ひんせき)せよ
もつぱら正直のところを
腹の足しになるところを
胸先を突き上げて来るぎりぎりのところを歌え
たたかれることによつて弾ねかえる歌を
恥辱の底から勇気をくみ来る歌を
それらの歌々を
咽喉(のど)をふくらまして厳しい韻律に歌ひ上げよ
それらの歌々を
行く行く人々の胸廓にたたきこめ

金子みすゞ&西條八十

賛否両論ある詩人だがラジオの朗読で彼女の詩をまとめて聴いたときに、それまでのイメージとは違って我々の側にいる詩人だと思った。その詩風は、西條八十も認めたように抒情詩人として彼女だけの言葉をイメージとして我々の中に羽ばたかせている。

金子みすゞは、大震災の時に公共広告で消費された詩のイメージ付けをされたが本来はもっともそういう位置からは遠い詩人であり、むしろ幻視者としての金子みすゞを公共広告から奪還する必要がある。例えば、「わたしと小鳥とすずと」という詩を読めばいかに公共広告から遠い場所にいるかがわかるだろう。

わたしと小鳥とすずと

わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面をはやく走れない。

わたしがからだをゆすっても、
きれいな音ではでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんなうたは知らないよ。

すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。

その西條八十も映画『人間の証明』で消費された詩人であったが、ジョー山中の歌を残した。

ここに上げられている「書物」を読むと改めて偉大さがわかる詩人である。

書物  西條八十

月の夜は
大きな書物、
ひらきゆく
ましろきページ。

人、車、
橋のやなぎは
美しくならべる活字。

木がくれの
夜の小鳥が、
ちりぼいて
黒きふり仮名。

しらじらと
ひとりし繰(く)れば、
なつかしく、うれしく、
悲し。

月の夜は
やさしき詩集、
ゆめのみをかたれる詩集。

宮沢賢治&中原中也

日本の叙情詩の頂点の二人。その詩を口ずさんだ者も多いはずだ。「永訣の朝」は、試験対策の詩として解説されるものが多いが、試験などないときこそ読んでおきたい名詩である。妹との詩的会話の凄さ、それは方言でしか通じ得ない霊魂との交信なのだ。

中原中也は、「サーカス」や「汚れちまった悲しみに」がここで上がっているが、妹との死別を歌った宮沢賢治「永訣の朝」と比較することもあり、小林秀雄との三角関係で長谷川泰子を喪失した悲しみを歌った「朝の歌」。

朝の歌     中原中也

天井に 朱(あか)きいろいで
  戸の隙を 洩れ入る光、
鄙(ひな)びたる 軍楽の憶(おも)ひ
  手にてなす なにごともなし。

小鳥らの うたはきこえず
  空は今日 はなだ色らし、
倦(う)んじてし 人のこころを
  諫(いさ)めする なにものもなし。

樹脂の香(か)に 朝は悩まし
  うしないし さまざまのゆめ、
森竝(もりなみ)は 風に鳴るかな}

ひろごりて たいらかの空、
  土手づたい きえてゆくかな
うつくしき さまざまの夢。

高村光太郎

『智恵子抄』の絶唱の後に、戦争加担の詩を書いたりしているのは、叙情詩が叙情詩で無くなったときに、個人志向から全体主義へ向かう怖さを感じる。「道程」は「童貞」の青臭い詩かと思ったら、そうでもなく中原中也や宮沢賢治も戦時に亡くなっていたから、それほど翼賛的には見られないが中也はともかく宮沢賢治の『雨ニモ負ケズ』は、戦意高揚歌に利用されないとも限らない。あの堀口大學さえも戦意高揚詩を作っていたのだ。

栗原貞子&原民喜

伊藤比呂美姉さんが言う戦後詩が敗戦と共に始まるのだが、この頃の詩は反戦ということを抜きにしても凄い詩が多い。

生ましめんかな ──原子爆弾秘話──  栗原貞子

こわれたビルディンの地下室の夜だった
原子爆弾の負傷者たちは
ロウソク一本ない暗い地下室を
うずめて、いっぱいだった。
生ぐさい血の匂い、死臭。
汗くさい人いきれ、うめきごえ
その中から、不思議な声がきこえてきた。
「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。
この地獄の底のような地下室で
どうしたらいいのだろう。
人々は、自分の痛みを忘れて気づかった。
と「私が産婆です。私が生ませましょう」
と言ったのは
さっきまでうめいていた重傷者だ。
かくてくらがりの地獄で
新しい生命は生まれた。
かくしてあかつきを待たず産婆は
血まみれのまま死んだ。
生ましめんかな
生ましめんかな
己が命捨てつとも
コレガ人間ナノデス  原民喜

コレガ人間ナノデス
原子爆弾ニ依ル変化ヲゴラン下サイ
肉体ガ恐ロシク膨張シ
男モ女モスベテ一ツノ型ニカヘル
オオ ソノ真黒焦ゲノ滅茶苦茶ノ
燗(タダ)レタ顔ノムクンダ唇カラ洩レテ来ル声ハ
「助ケテ下サイ」
ト カ細イ 静カナ言葉
コレガ コレガ人間ナノデス
人間ノ顔ナノデス

茨木のり子&新川和江&石垣りん

戦時に書けなかった詩を敗戦後に発表し、今なお読まれている女性詩人たち。彼女らが戦後詩の女性を引っ張っていったのだ。茨木のり子「わたしが一番きれいだったとき」は、映画『この国の空』で効果的に使われていてそれで彼女の名前を知った。

その後に若松英輔『別冊NHK100分de名著 読書の学校 若松英輔 特別授業『自分の感受性くらい』』で取り上げられて近年人気の女性詩人だ。

自分の感受性くらい  茨木のり子

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

この詩も逆説なんだと思う。戦時に守れなかったから自分自身に対して強い怒りを感じているだと。「ばかものよ」は自分に宛てた言葉だと彼女は言っている。

谷川俊太郎選『茨木のり子詩集』では、中国人に宛てた「りゅうりゅえんの物語」の長詩は、鎮魂歌として大作なんだが、そっちはあまり顧みられない。その他、大工さんとの会話詩とかユーモアある詩も載せていてバラエティに富んでいる詩集だ。

今回始めて知った戦後の女性詩人の新川和江は魅力的だ。

わたしを束ねないで  新川和江

わたしを束(たば)ねないで
あらせいとうの花のように
白い葱(ねぎ)のように
束ねないでください わたしは稲穂(いなほ)
秋 大地が胸を焦がす
見渡すかぎりの金色(こんじき)の稲穂

わたしを止めないで
標本箱の昆虫のように
高原からきた絵葉書のように
止めないでください わたしは羽撃(はばた)き
こやみなく空のひろさをかいさぐっている
目には見えないつばさの音

わたしを注(つ)がないで
日常性に薄められた牛乳のように
ぬるい酒のように
注がないでください わたしは海
夜 とほうもなく満ちてくる
苦い潮(うしお) ふちのない水

わたしを名付けないで
娘という名 妻という名
重々しい母という名でしつらえた座に
座りきりにさせないでください わたしは風
りんごの木と
泉のありかを知っている風

わたしを区切らないで
,(コンマ)や . (ピリオド)いくつかの段落
そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のようには
こまめにけりをつけないでください わたしは終りのない文章
川と同じに
はてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩


石垣りんは、生活詩というジャンルだろうか?彼女の生活の中から見えてくる毅然さ。

表札  石垣りん

自分の住むところには
自分で表札を出すにかぎる。

自分の寝泊まりする場所に
他人がかけてくれる表札は
いつもろくなことはない。

病院へ入院したら
病室の名札には石垣りん様と
様が付いた。

旅館に泊まっても
部屋の外に名前は出ないが
やがて焼場の鑵(かま)にはいると
とじた扉の上に
石垣りん殿と札が下がるだろう
そのとき私がこばめるか?

様も
殿も
付いてはいけない、

自分の住む所には
自分の手で表札をかけるに限る。

精神の在り場所も
ハタから表札をかけられはならない
石垣りん
それでよい。
くらし  石垣りん

食わずには生きていけない。
メシを
野菜を
肉を
空気を
光を
水を
親を
きょうだいを
師を
金もこころも
食わずには生きてこれなかった。
ふくれた腹をかかえ
口をぬぐえば台所に散らばっている
にんじんのしっぽ
鳥の骨
父のはらわた
四十の日暮れ
わたしの目にはじめてあふれる獣の涙。
(『近現代詩歌』「池澤夏樹=個人編集 日本文学全集29」より石垣りん「くらし」)

石原吉郎&谷川俊太郎&田村隆一

石原吉郎は最近知った詩人で好きになった。シベリア抑留の体験があるが、基本はリズムで詩を描く人で詩の内容よりも心地良さを感じるのだ。

居直りりんご  石原吉郎

ひとつだけあとへ
とりのこされ
りんごは ちいさく
居直ってみた
りんごが一個で
居直っても
どうなるものかと
考えたが
それほどりんごは
気がよわくて
それほどこころ細かったから
やっぱり居直ることにして
あたりをぐるっと
見まわしてから
たたみのへりまで
ころげて行って
これもかとちいさく
居直ってやった

谷川俊太郎はメジャーすぎる詩人だが、やっぱ読むと感心してしまう詩が多い。

生きる       谷川俊太郎

生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木漏れ日が眩しいということ
ふっとあるメロディを思いだすということ
くしゃみすること
あなたと手をつなぐこと

いきているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン=シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものであるということ
そしてかくされた悪を注意深くこばむこと

いきているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ

生きているということ
いま生きているということ
いま遠くて犬がほえるということ
いま地球が回っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまがすぎてゆくこと

生きているということ
いま生きているということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたのてのぬくみ
いのちということ   (1971年詩集『うつむく青年』)

田村隆一 巨木のような詩人。

木  田村隆一

木は黙っているから好きだ
木は歩いたり走ったりしないから好きだ
木は愛とか正義とかわめかないから好きだ

ほんとうにそうか
ほんとうにそうなのか

見る人が見たら
木は囁いているのだ ゆったりと静かな声で
木は歩いているのだ 空に向かって
木は稲妻のごとく走っているのだ 地の下へ
木はたしかにわめかないが
木は
愛そのものだ それでなかったら小鳥が飛んできて
枝にとまるはずがない
正義そのものだ それでなかったら地下水を根から吸いあげて
空にかえすはずがない

若木
老樹

ひとつとして同じ木がない
ひとつとして同じ星の光のなかで
目ざめている木はない


ぼくはきみのことが大好きだ

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