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人生をデジタル変換冬の旅

足がつって起きた。まだ起きられるからいい。起きられなくなる日がやってくるのだろうか。それもいい。痛いのは嫌だな。どっちなんだ。

その日の天気のように気分が変わる。今日はいい日だろう。喜劇的に生きて行こうと思ったものだ。そう言えば誤字を見つけたのだが、どの記事だったか?出先のスマホでチェックするのだが、スマホでは訂正も面倒なんで、後でやればいいと思っていたのだが忘れていた。ベルグソンかな。寝るときにスマホでチェックしていたのだったか?もう過去のことはあやふやになっている。

読書。そのベルグソン『笑い』。これは連載小説を喜劇的にするために読んだのだった。今日少し書いてみるか?

図書館で三冊返却。四冊借入。『チェヴェングール』を読み終えたから余裕が出来た。『大江健三郎全集6』は『芽むしり仔撃ち』だと思っていたら『芽むしり仔撃ち』裁判だった。間違えて借りてしまった。まあそれも良し。どんな裁判があったか気になるから。

今年は大江健三郎で終わりにしよう。他の本が読めなくなる。でも大江健三郎はここでは人気がないよな。やっぱ左翼とみなされているのだろうか?そんなこともないんだけど。左翼の小説も書くし右翼の小説も書く。あと日本の古典についても書いている。そのあたりはやはり日本というのがテーマとしてあるのだ。桜や菊ばかりが日本ではない。例えば『もうひとりの和泉式部が生まれた日』では和歌について書いている。

和歌に批判的になるには和歌を読まなければならない。そういうことだった。昨日は「100分de名著『古今和歌集』」を観て寝てしまった。あとでまとめなければ。

俳句本は坪内稔典『俳句いまむかし みたび』を借りた。「ふたたび」を探していたのだが見つからずに「みたび」を見つけたので。いろいろ修正されている。思い通りにならないのが人生だった。

『邪鬼の性』も借りた。これは面白い本だった。前に少し読んだのだがそのときは『チェヴェングール』を読んでいたから借りなかったのだった。それとチリの作家の戯曲『死と乙女』の四冊。全部は読めないだろうが一応借りておく。今日はアリ・スミスの『冬』を読んでしまおう。これも今の季節に合った本だった。

映画は『アメリ』のデジタルリマスターを観た。デジタルリマスターという名のリバイバル。いまは「リバイバル」とは言わないんだよな。五輪真弓の歌があった。

また懐メロオヤジになってしまった。あの頃の歌はなんであんなに覚えているのだろう。今日の一句。

デジタルリマスターしてもひとり

尾崎放哉のパロディーだった。あとでまともな俳句を考えよう。

「シン・俳句レッスン」は夏石番矢『超早わかり現代俳句マニュアル』で止まっていた。動詞についてだった。動詞の重要性。身振りを入れることで諧謔性がでるということなのかな>

人生をデジタルリマスターしてもがく

長いな。

人生をデジタル変換冬の旅

動詞は次回に持越し。短歌で頑張ろう。短歌も身体性を持つということで似たようなことだった。身体的な記憶。

起きてなおデジタル変換神経痛夢の途中で悶えて覚める

このぐらいか?


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