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季語の歌のやうに「九月の雨」

結局台風はどこを迷走しているのか?今日も雨は降らないようだし、図書館に本を返しに行かなければ。結局次の台風も来ているようだし9月の天気は毎年こんな感じだったか?太田裕美「9月の雨」がラジオで必ず流れるという季節だった。もう太田裕美を季語にしてもいいぐらい。今日の一句。

季語の歌のやうに「九月の雨」 宿仮

『窯変 源氏物語』を読み終わった。橋本治の「手習」という「もののけ(物語の妖怪)」は社会意識に対する自意識ということなのだと思った。『宇治十帖』はそれほど改編するところもないのだが、ただ浮舟が千年前に置き去りにされた現代孤児のように感じるのは、あまりにも当時の社会の不条理さ故だろうか?それは女は男の慰みものとしての形代であり、それを母たちが望んでいるということだった。母の愛がそこで語られるときに浮舟はおぞましさを感じてしまうのだ。母の幸せと娘の幸せの乖離は、今ある問題でもあった。例えば結婚せずに物語に取り憑かれたように現を抜かす女はもののけに取り憑かれているのである。そういう自意識の問題。

昨日は町田の図書館に返却しに行って、今日は横浜の図書館に返却してこなければならない。それまでに『窯変 源氏物語』の感想をまとめておく。

この天気で国民の8割は調子が悪いと思って、天邪鬼な私はハイになる。今日の一首。

颱風よ
迷走するか
天邪鬼
行き当たりばつたり
罰当たり

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