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記憶に安心していられる担保はなんだろう?(自動律の不快)映画

『彼女来来』(日本/2021)監督山西竜矢 出演前原滉/ 天野はな/ 奈緒

解説/あらすじ
都内郊外のキャスティング会社で働く男・佐田紀夫、30歳。 彼は交際三年目になる恋人・田辺茉莉と、穏やかな毎日を送っていた。 ある夏の日。紀夫が家に帰ると、窓から強い夕陽が差し込んでいた。焦げるようなその日差しを目にした瞬間、紀夫は奇妙な感覚に襲われる。気付くとそこにあるはずの茉莉の姿は無く、代わりに見知らぬ若い女がいた。困惑する紀夫に、女はここに住むために来た、と無茶苦茶なことを言う。透き通るような白い肌のその女は「マリ」と名乗り─。 突然失踪した恋人を探しながら、別人との奇妙な関係に迷い込んだ男を描く、奇妙さと写実性を両立した恋愛劇。

安部公房『砂の女』と似たような映画です。砂の罠に落ちるのではなく、都会のアパートの部屋なんですが、川沿いにある場所ですね。川は彼岸と此岸の境界線だから、そうしたことも関係あるのかもしれないです。部屋を出て帰ってきたら、愛していた恋人の代わりに違う女がいる。不条理ミステリー映画の範疇ですが、エンタメ要素はあまりがないです。自主上映的な映画だからでしょうか純文学的な映画。こういう映画は応援したくなります。

記憶の担保というか、昨日までの記憶が正しいとどうして人は思うことが出来るのか?これは哲学的な問題(我ゆえに我あり)ですが、そうした前提が崩れてしまう世界は、実際にはアルツハイマーとか痴呆症があることで想像できると思います。自分自身というより相手がわからなくなるというのは老人を介護している人はわかりますよね。ここに紛れ込んで来たマリ二号(ヒロインはマリという名前なので、最初のヒロインと区別するために二号にしました)も記憶喪失でした。

自分の記憶に自信がある人や疑わない人は面白くない映画だと思います。ときどき記憶が曖昧になる人(あるいはデジャヴとか夢見がちな人)には怖い話。最初のマリとの生活は、幸せの絶頂ですね。観ている方も恥ずかしくなるぐらいに。だから世の中(世界)としては、彼の幸せの絶頂を神が罰したのかもしれないです。この二人は二人で世界が出来ていると勘違いしている!

そこに第三者のマリ二号です。この役者さんは実に不気味でいい味出してます。岸田今日子に近いものがありますね。そういえば役者を配給する会社に主人公の男は勤めているのでした。世の中は正常を演じることで回っていると気がついたのかもしれないです。

不意に両親が訪問してきて、マリ二号と仲良くなってしまっているシーンは、喜劇的で面白かったです。ここはカフカみたいですね。両親は息子の彼女の顔を知らなかった。息子がそれまで合わせていなかったのでしょうね。あったとしても日々の生活で息子の彼女の顔なんて覚えていないかもしれない。それでも仲良くなれるというのは何故なんでしょう?息子に対する安心感からでしょうか?息子の枠を超えない範囲で了解しているのです。

マリ二号との生活が続いてしまうと、それが自然になってしまう。なんでだろうと考えるのも面倒になってくるのかもしれないです。人間はそれほど日々考えて行動しているわけでもありません。いきあたりばったりということがあるのです。自己の自由のならない社会は日々体験しています。

最初のマリを愛したのも必然ではなく偶然性の世界かもしれないと思うとマリ二号の生活も二年も経てば前の彼女の存在も希薄になって、一緒に過ごせるものなのか?ふと、自分はそうかもしれないと思って、少し自分というものに怖くなるんですね。普通の人はそう思わないだろうけど。

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