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太宰の西鶴大発見!

太宰治『新釈諸国噺』(Kindle)

「無頼派」「新戯作派」の破滅型作家を代表する昭和初期の小説家、太宰治の短編小説。初出は「新釈諸国噺」[生活社、1945(昭和20)年]。全国を舞台にした12編の短編から成り、太宰自身、井原西鶴による全著作から広く題材を求め、物語の舞台も諸地方にわたるように工夫したと述べている。終戦前、太宰の著書のなかで一番売れていたと言われる。

太宰治が西欧の小説よりも井原西鶴の小説の面白さを披露する12の短編。ただ太宰寄りにアレンジされているのか、太宰の小説に出てくるダメ男だらけだった。太宰の語りの上手さは上方落語の面白さのようだ。西鶴は落語になっているようだ。

西鶴と太宰の共通点は金に対する未練と諦念が交差していくところなのかもしれない。それは、樋口一葉とも通じるものだった。ただ一葉の潔さは太宰にはなく未練たらたらな部分があるのが人間らしいのか人間失格なのか?あと道行き(場面移動)の描写や語り方が上手かった。

『貧の意地』

大晦日小説を読もうと思って、Twitterで紹介されたのですが元日に読むことになってしまいました。まあ、でもそれが良かったのかもしれない。

年末に貧乏長屋の主が親戚に金の無心に行ったら、十両渡してくれたのだが、主のプライドが無心して貰ったと思われたくないという変な見栄を張り、長屋の連中と飲み会をやったのです。太宰らしいプライドですね。

その最中に一両行方不明になる事件が発生。貧乏長屋でも武士階級の落ち武者もいて、身の潔白を晴らすために寒いのに真っ裸になる。次々とそうしていく中で、たまたま一両持っていた者が疑われては仕方がないので切腹いたすと申したところ、一両は出てきた。そして、主の妻もつまみの重箱の蓋の下にくっついていたと一両持ってきた。全部で11両あるのです。

さて見栄っ張りでプライドの高いお方々がどうするかの貧乏長屋落語みたいな噺で笑えます。

『大力』

四国讃岐の力士の噺です。うどん県ながらに、太くって体格の良い息子が力士に憧れてある力士に弟子入りしたのですが、強すぎてすぐに師匠を超えてしまった。師匠は、それから出家するのです。

その力士が相撲を取る相手を叩きつけては怪我をさせるので讃岐中の噂になります。そんな危険な男を育ててしまったので師匠は出家したのです。

親も困って、別の趣味を探すように言ったり、嫁を貰えば大人しくなると思って金持ちの美人の嫁を貰うのですが、それでも治らなかった。相撲のためには女は要らぬからと言って実家に帰ってしまった。

四国一強い力士にも勝ってしまって困ったものだというところにかつての師匠が登場。

『猿塚』

太宰府の大富豪の酒屋の息子が九州一美人の誉れ高いお蘭に一目惚れするが、宗派が違うと縁談を断れて、娘と共に駆け落ちをする。そのときにペットの子猿も付いて来て、貧乏暮らしの中、二人は家を構えて息子も産まれる。しかし、両親が目を放したすきに、猿が赤ん坊を見様見真似で風呂に入れるが、温度を見ずに、死なせてしまう。両親は嘆き悲しむがかと言って猿を責めることも出来ず(妻のお欄は殺そうとするが夫が止める)、そう不幸のどん底の最中に猿も自害してしまう。二つの墓が小さく並ぶ。

西鶴の「人真似は猿の行水」を元に太宰が翻案した短編。宗派の違いは浄土真宗だった次郎右衛門が、日蓮宗のお欄の親元で断れて、ラストに日蓮宗に鞍替えした次郎右衛門が祈ったとされるが、それでは面白くないという語り手の言葉。日蓮は、横須賀・猿島に渡ったところだと想い出した。関係ないかもしれないが。

『人魚の海』

津軽の人魚伝説なんだが、『オデュッセウス』の「セイレーン」伝説のような噺になっていた。蝦夷の海だから、アイヌ伝説なのか?「アイヌソッキ」という妖怪がいるらしい。

その人魚の声に悩まされた船に乗っていた侍の中堂金内は弓矢で射抜いて難を逃れてそれを殿に報告した。しかし地元の道楽侍(太宰がモデルのような)がそんな馬鹿な噺があってたまるかと笑い者にする。

中堂は怒って人魚の死体探しをして汚名返上しようとするが津軽の海岸で野垂れ死ぬ。それを聞きつけた娘八重と侍女の鞠が駆けつけて死のうとするがそれを察知した父の同僚の侍、武蔵は父の無念を晴らすのだと敵討ちを娘らに勧め自身も助太刀する。道楽侍の百衛門は、かつて八重に縁談を申し込んだが無碍に断られた腹いせに中堂を笑い者にしたということだった。

娘たちの仇討ちは見事に晴らされ、責任を取った武蔵は自害したが殿のお咎めもなく、娘たちはそれぞれ良縁を得たという噺。こういう噺は、太宰上手い。西欧の神話を絡ませながら津軽の侘しさなども入れて、教訓があるような無いような噺になっている。

『破産』

西鶴『日本永代蔵』の翻案。金持ちの男が妻を残したまま都で湯水の如く金を使い、たちまちすっからかんになる。家の者までもが贅沢や盗みを働いて金を減らしていたのだ。しかしこの男は先代の遺産など自分の本分ではない、自分で働いて儲ければいいのだと気前のいいことを言う。そしてその言葉通り取り戻したのだが、贋金が見つかりたちまちすっっからかんになる。

「ヨブ記」の逆だなと思ったのは、すべてを失うのは一緒なのだが、ヨブより偉いではないか!太宰の面影を感じる旦那だった。そして、彼の言葉通りに大金持ちになったと思ったら、贋金を掴まされたという男がやってきて、一気に信用を無くし破産する。不条理だ。金がファンタジーだからか?


『 裸川 』

青砥という殿様が川に十一文落の小銭を落としたがそれは幕府の金だったので疎かに出来ないとして、自分の懐から三両だして人を集め、見つけたものに一両の褒美を取らすとした。悪知恵が働く部下が、自分の懐から十一文出して、一両を得る。

しかし悪事はバレるもの。女中に二文渡したことが発覚して、川に落としたのは九文のはずだとなり、問い詰められて白状せねばならなかった。そして、実際に落とした九文をちょろまかさないように裸で何年も捜索させた。不正はバレる。


『 義理 』

殿様が蝦夷見物をしたいというので、殿と仲のいいぐうたら武士とひとつ下の父も義理堅く律儀な出来る息子がお供することになる。ぐうたら武士の父と同僚だった義理堅い武士はぐうたら息子の面倒を頼まれて、道中どうしようもないぐうたら節をほざくその息子に飽き飽きしていた。大井川を渡るのに普段近くの川ほどの勢いもないと殿がいい、一緒に渡るぞと、ぐうたら武士いうが、ぐうたら武士は馬に乗れず恐れをなして、置き去りにされる。仲間が殿を守るために次々に大井川を渡ってしまい、残されたのが義理堅い父と出来る息子武士の二人とぐうたら武士。

父は息子に先頭を任せ、間にぐうたら武士、その後に続いたが臆病なぐうたら武士は川に飲み込まれてしまう。それを無念に思い、これでは面目が立たない、息子よ、後を追って死んでくれ、という。大井川で二人の若者が死んだことにすれば、それも息子も死んだのなら面目も立つだろうと考えた父だが、向こうは三人の息子のうちの一人、こっちは一人息子で将来の希望もなく母娘が悲しむだけだった。それで親子三人で出家してしまった。

後に事実がわかり道楽息子の父親も出家して義理堅い武士の息子を祈り続けたという。不条理噺が続く。そういうことはあるのかな?

『 女賊 』

盗賊の頭が落ちぶれ貴族の娘を見初めて金の力で結婚する。姉妹が生まれ、彼女らも父を見て育つ。やがて父が死ぬと部下は散り散りに離れていき、生活のために娘姉妹が盗賊の仕事を引き継ぐ。

ある時白の布二反を盗んでそれぞれ一反づつ分けたが、姉はそれを赤く染めて立派な着物を作りたいので一反くれというが、妹は白い鉢巻を作るから駄目と断る。その時姉の心に妹を殺して、母には返り討ちで殺られたことにしようと、妹に切りかかった瞬間、妹が叫び声を上げて逃げてきた。

煙で人が焼かれているので、恐れたのだった。その声を聞いて姉も目が覚め、妹に事実を告げる。妹も同じ気持ちだったと、それから盗賊から足を洗い、母の力添えで貴族と結婚できたという。噺が出来すぎ。

『赤い太鼓 』

年末に借金が返せない真面目な男に同情して近所の者が一両づつ持ち寄り宴会をした。十両が集まり神棚に上げ、妻が今から借金の返済プランを建て再生の為の準備をするべきだと神棚から10両入った壺を下ろすがその金がなかった。妻はこの中の誰かが盗んだというが、夫は義理を思い疑うことが出来ない。これも神が定めた運命だと。

しかし、妻が賢い大岡裁きをすると言われる殿様に訴え出たので、変わった判決が下される、主の元に金を持ち寄った者に女房か娘と一緒に、「赤い太鼓」を神社に奉納せよ、とのことだった。一組づつ重い「赤い太鼓」を運びながら妻たちは不平を言う。それが見世物になって人が集まり男たちはまんざらでもない気持ちになり、めかしこむ者まで。

そして、ついに妻に攻められた男が盗んで金があることを白状してしまう。誰も聞いてないと思ったのが運の尽き、太鼓の中に小僧を潜ませていたのだ。まんまと殿の思惑通り御用となって一件落着。

どこかで聞いた噺だった。TVドラマでこの話をやったような気がする。『遠山の金さん』かな?

太鼓を運びながらの道行きの夫婦の会話が面白い。「女ことば」だから二人の違いがよくわかり、そのへんの筋の上手さが際立つのが太宰の語りだった。「女ことば」には批判もあるのだが、登場人物の区別がつくというのはある。

『粋人』

お産の邪魔だというので追い出された借金ばかりの男が年末の女郎屋で贅沢三昧をしようと目論むが、逆手に取られて有り金すべて引ったくられる話。駄目旦那としっかり婆さんの会話。二十年前に二十歳前と言っていた女が再び二十歳前として登場するなど、宿との駆け引きが笑いを誘う。太宰自身を投影させたようなダメ男ぶり。

『 遊興戒』

京で四天王と言われるほどの遊び人が一番の芸者を身請けした後に江戸へ。京で遊び飽きた他の三人が江戸で遊びつくそうとして、その遊び人の頽落した姿を見る。貧乏長屋に行けば一番の芸者も薄汚れた女になって貧乏が板に付いた子供までいる。いたたまれなくなって金を置いてくるが、無残に返される。それでああは成りたくないと諌めた遊び人たちだが、もしかして落ちぶれたが出来た人なのかもと思わせるところが太宰らしさ。


『吉野山』

吉野山に方丈を建て出家した男が、思っていたこととは違い、吉野山の雪は寒いし地元の者は不親切な上に馬鹿にして高いものを売りつける。そんな方丈暮らしに嫌気がさしたが、戻れぬ理由があった。婆さんの100両の金を使い果たして帰れないのだ。出家しても俗世間に戻りたいと思う俗っぽさが人間なんだろうか?

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