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シン・短歌レッス38

国会図書館の桜。梅が咲いた時に行ったから桜が咲く頃にまた来ると誰彼ともなく約束したのだった。桜の精かもしれない。今日の一句。

約束はいつも雨の日花の精

日記の方に改作を載せた。

『源氏物語』和歌


『源氏物語(下)』紫式部(訳)角田光代

薫が二条院の桜を見て主のいなくなった宇治の宿を想い出して想起した和歌。八の宮と大君亡き後に中の君まで二条院に連れてきてしまった。宇治の桜は「宿主がいない」から、安心して散るだろうという意味なんだが逆説に解釈されるのだろう。廃れゆく廃墟となった屋敷と荒れ放題の庭に桜花という情景。

模範五首

今日も穂村弘X山田航『世界中が夕焼け』から穂村弘の短歌五首。

ゴージャズな背もたれから背を数センチ浮かせ続ける天皇陛下  「727」(「短歌往来」(2010年2月号)
意味まるでわからないままきらきらとお醤油に振りかける味の素  「自動バックアップ中です」(「短歌研究」2007年8月号)
卵生む亀の背に飛び乗って手榴弾のピン抜けば朝焼け  『シンジケート』(1990)
「凍る、燃える、凍る、燃える」と占いの花びらを毟る宇宙飛行士  『手紙魔まみ、夏の引っ越し(ウサギ連れ)』(2001)

天皇の歌はタブーがないとするのか?皇室のお茶の間化なのか、この歌なら後者だろう。「皇居のコンセント」とテーマで「天皇を詠む」というテーマ詠であったとか?それが不敬罪とかなるようなら注意しなければならないが、今はネット世論が大きく影響してくるからな。こういう歌を詠めた時は幸せだったとならければいいが。もう一首。

天皇は死んでゆきたりさいごまで贔屓の力士をあかすことなく

思想性はないと言うが自由に読みたい歌を詠むというのは一つの思想なのでは?椅子の歌は歌会始めの天皇の様子だという。穂村弘も参加したのか。あと贔屓な力士とか好きな菓子とか言えないのが天皇だが愛子さんは堂々と言っているよな。
「味の素」を食べると頭が良くなるということなんて言われたか?「味の素」は工業製品だから身体に良くないとはいわれたような。またなんでも「味の素」の味になるから量売り人は嫌うとか。でもほんと味の素はどこの家庭にもあったな。自分ではほとんど買ったことはないけど。やっぱ頭が良くなるは言われていたようだ。その後になって身体に悪いと言われた。今ではそのスパンが短くて同時にどっちなんだと思うことも度々だな。ワクチンとか。
亀の歌は、「朝焼け」の序詞なんだと思う。ただ異世界に連れて行ってくれる亀という生き物。「手榴弾のピンを抜けば」は『短歌という爆弾』のイメージだった。作者は自爆だと言う。夕焼けに消えたいということなのか?
宇宙飛行士が花占いをしている。山田航は地球の運命だと解釈するのだが穂村弘は宇宙飛行士の運命だという。自虐短歌?

日曜はNHK短歌を見る。課題をやろう。

NHK短歌 吉川宏志「青」4/3
     岡野大嗣「あくび」4/3

「あくび」は難しいな。あくびをかみ殺すとアラビアン・ナイトのシェヘラザードが王の閨で夜伽話をするのだが、王が退屈して寝てしまうと次の日は殺される運命なのだ。だからあくびは厳禁なのだが、くしゃみをしてしまう。『ハクション大魔王』のあくびちゃんなのだが、まとまらない。まとめてもどうなんだという短歌だが。

いまいちか。

俳句レッスン

今日も堀本裕樹『十七音の海』から十首。第三章「言葉の「技」を身につける

海に出て木枯帰るところなし  山口誓子
かたつむり甲斐も信濃も雨のなか  飯田龍太
外(と)にも出よ触るるばかりに春の月  中村汀女
万緑の中や吾子の歯生え初(そ)むる  中村草田男
木の葉ふりやまずいそぐないそぐなよ  加藤楸邨
筍や雨粒ひとつふたつ百  藤田湘子
たとふれば独楽のはじける如くなり  高浜虚子
終蝉(しゅうせん)の尿(しと)きらきらと健次の忌 堀本裕樹
糸瓜咲きて痰のつまりし仏かな  正岡子規
昭和衰え馬の音する夕べかな  三橋敏雄

山口誓子の俳句は、擬人法だった。擬人法は下手に使うと野暮になるというが、このぐらい決まってれば文句ないな。キラーフレーズ(殺し文句)と言ってもいい。「木枯」お前はすでに死んでいるみたいな。
だから何?というような句だが、これは遠近法的に見ると面白いという。こういう学んだ人はわかるけど初心者にわかりにくい句はいまいち好きじゃないな。たとえばデッサンがいくら上手くても写真でいいわけだし。でもこれは視点の捉え方があるのか。ただ俳句で小さなものから大きなものへの情景って、けっこうありきたりになっている感がある。このへんの難しさだよな。
「春の月」も月並み句なのだが、月の見事さは伝わってくるような。この句は終戦後だったようで尚更だろうな。月を見てLINEとかTwitterでつぶやきたくなる気持ちだよな。今は写真を添付してだが、これが俳句だとなおいいかも。中村汀女は四Tの一人だった。
「万緑」はこの句から夏の季語として定まったということだった。また初句が句跨り。
加藤楸邨の句は五七五のリズムでよもうとすると躓くのだ。

このはふり やまずいそぐな いそぐなよ

これも二つに分けるとわかりやすくなる

このはふりやまず
いそぐないそぐなよ

句跨りでは説明出来ないんだよな。八音と八音+一音(よ)
リフレインが効果的なのは理解した。それと八音の秘密だよな。八音は実は座りがいいのではないのか?五七五は不安定だからこそリズムを生むのではないのか?八音だと停滞する。

このはふりやまず
いそぐないそぐな

だと停止してしまう。その感覚を掴むことが必要だ。
五七五は五音休符、七音ブレス、五音余韻という感じだろうか。初句切れが効果的なんだと思うが。それが当たり前すぎると詰まらなくなっていく。
藤田湘子の句も二つに分けると

たけのこやあまつぶ
ひとつふたつひゃく

10音7音だから八音にならないからリズムを生み出す?ただ後半は性急過ぎるかも。理想は八音九音か。
高浜虚子の句は

たとふればこまの
はじけるごとくなり

8音9音だ。この方法は使えるかも。二つに分けた時に8音9音を意識する。
堀本裕樹の句は、

しゅうせんのしと
きらきらとけんじのき

7音10音。ちょっと後半は長いんだよな。ただ初句切れだから

しゅうせんの しときらきらと けんじのき

5音 2音+5音 5音 中句がとの音韻がある。ここでリズムを作っているのかもしれない。
子規の辞世の句は、

へちまさきてたんの
つまりしほとけかな

9音9音だった。ただこれは初句が字余りなんだよな。糸瓜さき(て)。難しいリズムだ。

へちまさきて たんのつまりし ほとけかな

初句は痰がつまったのが(て)なんだろうな。5音にすると詰まらない。
三橋敏雄も句跨りだった。そして無季俳句だった。普通に五七五で読んではだめだな。

NHK俳句 村上鞆彦(ともひこ)「若葉」4/3
                  高野ムツオ「夏の風」4/3

映画短歌

今日は『崖上のスパイ』。これも難しいよな。

穂村弘風にやるしかないな。
リウ・ハオツンを手紙魔マミに置き換えてセリフを引用する。

「シン・ウルトラマンの意味はなんだ!」
「死んだ男の意味」バキューン!


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