見出し画像

巻雲よ薄い天命ホトトギス

巻雲(けいうん)すじぐもで秋の雲だという。日中は暑いけど夕方は秋なんだ。でも深夜一時でも28℃は熱帯夜だよな。夕方なのに30℃はあったと思った。家に帰ると映画の感想書いてすぐ寝てしまった。

昼から映画を見た。リバイバル作品。このへんの映画は内容が濃いな。

読書は図書館で『ドン・キホーテ』を少し。15時から2時間ぐらいしかいられなかったので、3章ぐらいしか読めなかった。今が一番おもしろいところかもしれない。ライオンとの闘いで不戦勝で、憂い顔の騎士からライオンの騎士に昇格。

郷土の紳士と出会ってその家の息子の詩に感動する。詩の話をするが自分の国の言葉で書かなければ駄目だという論理を展開する。ドン・キホーテの論理はまともなんだが行動が突拍子もなく狂人扱いされる。

本を二冊返却。一冊穂村弘の本を借りた。「シン・短歌レッスン」をやって、中国詩史の本を少し読んだ。漢詩もやりたいんだが、楚辞が面白そうだ。今度入門書を借りてみようか?

吉川幸次郎『中国詩史』を読んでいたらちょうど項羽が出てきた。「項羽の垓下歌について」

項羽の七言絶句の詩から項羽と虞美人の最後の京劇が出来たのか?この詩から司馬遷の『史記」が出来たのだがそれは天の運命に人は逆らえないという教え(ドラマ)であるという。『覇王別姫』がそういう物語だったが、ドラマの典型になっているのかもしれない。それまでは人の努力次第で運命が切り開かられるとされたのが、「項羽の垓下歌」によって天命には逆らえないとなっていくという。孔子の『論語』もそういう話だとか?孔子の弟子の顔回が夭折したので天を恨んだとか。

『さらば、わが愛 覇王別姫 』も項羽側から考えると運命(中国史)に翻弄される話なのだが、蝶衣の方は天命を受け入れてた思われる。だから、蝶衣の話は悲劇であって(天命に翻弄される悲劇)、王を演じる段小樓の方は喜劇を演じながら客観視的に生きていると思っているが、最後はどうにもならない天の仕打ちを受けるという嘆きの歌だった。それは文化大革命で蝶衣や妻の菊仙を裏切るのだがそれを運命だと最後まで段小樓を愛するのが蝶衣の悲劇であって、愛するということを捨て去ることはなかった。そこが超人的なのだ。段小樓のほうが人間的な弱さを持っていた。漢詩が「項羽の垓下歌」のような天に対する嘆きから始まるのは、その後も受け継がれていくという。『中国史』を編集したのが高橋和巳なのも、イエスが神に対する嘆きをする神話があり、そこに人間の業の深さを感じたのかもしれない。

WOWOWのドラマ『事件』をリメイクしたが映画の方が全然いいな。大竹しのぶの演技には敵わない。この原作である大岡昇平『事件』もミステリーを純文学作家が書くとここまで面白いのかという作品になっている。映画は特にお勧め。

巻雲よ薄い天命ホトトギス

ホトトギスは夏の季語で巻雲は秋の到来だからホトトギスの天命が尽きるという俳句だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?