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乳房について

目標を見失っている。そもそも目標なんてものがあったのか?その日暮らし的に気楽に生きてきたではないか。昨日はほとんど引き籠もって読書をしていた。何の為の読書というのもないから気晴らしに過ぎなかったのだが。

そうだ。啄木の『悲しき玩具』というのは、短歌のことを言っているのだった。「玩具」は「おもちゃ」というふうに読ませるようだ。歌論の一節「歌は私の悲しいおもちゃである。」によるとある。まだ読んではないのだが。これが第二歌集で、第一歌集が『一握の砂』。これも「砂」を言葉の象徴性と取っていいと思う。砂の言葉をつかもうとする啄木の姿だった。ただその啄木の「われ」はフィクションだということ。

石川啄木→寺山修司→穂村弘という系譜があると思う。そのような系譜で、与謝野晶子→○○○→俵万智とくれば○○○の所に誰が入るだろうか?というのが問題。

寺山修司と同時代に中条ふみ子がいた。彼女は離婚して子供がいながら乳癌に侵されて『乳房喪失』という歌集が出される。それは、「乳房」が子供の為にあるのではなく女として性的な意味での不倫短歌を詠んだことで、スキャンダラス歌人でありながら存在感を示した。その手法は、出版社とも関わっており、お膳立てしたものだったという。つまり虚構(フィクション)を演じていたということだ。

ただそういう歌人であったがうたの中には事実もあった。避けられない癌という病。なんていうかそういう人は中条ふみ子だけではなく他にも、そういう表現者はいると思うのだ。タイプは違うが太宰治とか三島由紀夫とか。なにより注目すべきは、中条ふみ子という名前である。それは離婚した夫の名前だったのである。

そこに仮面性というか太宰なら道化性があると思う。中条ふみ子の場合はもっと切実なものなのだが。

例えば当時戦争未亡人になった女性は、パンパンになるか誰かの妾になるかということを問われたという。それ以外は最低限の暮らしで化粧っ気なしの女を捨ててますという仕事をするしかなかった。そのような戦後で離婚した女性が短歌の世界で生きていくには覚悟が必要だ。金持ちのお嬢さんや娘でない限り、自分を売るしかないのだった。

それが『乳房喪失』なのである。そして、彼女は歌集を残し夭折した。それを夭折と言っていいのかわからないが。自己演出と言えば当時の寺山修司がそうである。その頃の短歌では「私性」が遡上に挙げられ問題意識化されていたのだと思う。

与謝野晶子→中条ふみ子という流れはあったと思う。しかし与謝野晶子の生き方と中条ふみ子の大きな違いは、与謝野晶子のバックに付いていたのが与謝野鉄幹であるということだ。与謝野晶子の代表作『みだれ髪』は、まだ独身時代の鳳晶子の名義で発表されたのだ。与謝野晶子は改訂を繰り返し題名も『乱れ髪』にして、何作かの際どい短歌を削除していた。

初版の『みだれ髪』は賛否両論あり芸術性を高く評価するものもあれば、スキャンダラスの内容を非難する大御所(短歌界)もいた。それは女の性を歌ったものだったからである。

この『みだれ髪』のチョコレート語訳と命名して売り出したのが俵万智である。そこに俵万智の甘い訳で女の性が訳されている(実際に読んでないのでわからないが)。例えば

やわ肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君  与謝野晶子
燃える肌を抱くこともなく人生を語り続けて寂しくないの  俵万智

坪内稔典編『短歌の私、日本の私』

与謝野晶子は裸の女という存在がありながら、日本の精神や道徳を説くもの(与謝野鉄幹)に対して激情(劇場的に)しているのである。一方俵万智の短歌は、年上の女が年下を諭しているようにも読める。それは俵万智が先生ということを歌っていることもあるだろう。立場が逆転しているのだ。もっともより現代の歌だと思えば俵万智のほうが現実感があるのかもしれない。

なによりも俵万智という名前は、すでに商品として流通しているのだった。そのことにもっとも意識的なのが俵万智であろう。彼女のデビュー作『サラダ記念日』ではそれは自己プロデュースの一人芝居だと書いていた。そして、その物語は東京で恋もしたけど、結局地方に戻り学校の先生をして、思い出して短歌なんかを詠んでいる女性というものだという(これも読んでないんでわからないが)。だとしたら戸籍上はすでに俵万智(本名だとして、結婚したのだから名前は変わる)でない日常を送っているのかもしれない。それでも俵万智という商標は続けている。

その同じような例を河野裕子に見る。彼女も結婚する前の短歌でデビューしたのだ。それは与謝野晶子いや、鳳晶子の家風を継承するものだったのであろう。そして、永田和宏と結婚して、主婦歌人として一時代を築くのである。このとき彼女は改名せずに、歌人の名前として河野裕子で通している。
そして彼女も病魔に襲われ、その相聞歌が話題になるのだった。

河野裕子→俵万智というのは間違いなさそうな系譜だろう。ただ作風は違うが、自己プロデュースの仕方と言えばいいか。そして俵万智の中条ふみ子に対する発言が興味深い。

俵 たとえば中条ふみ子とかの”事件性”というのとは、自分はちょっと違うと思うんです。うたをつくり始めた時もいまも、日常とか、ごくあたりまえのものを大事にしたいと思っている。だから、私自身とか、自分のうたというのは”事件”という言葉ではピンときません。たとえば恋というのは、一千年前からみんなが味わってきた感情で、全然新しいことでも何もない、まことに素朴で、ありきたりのものなのでしょうけれども、自分の人生は一回だけだし、私に取っては初めてのことで、大事なことなんですね。その部分を、私の言葉でやはり表現したいという気持ちがすごくあります。隣の人にとっては、そんなのはよくあることであっても、私にとっては初めての感情だったら、それはやはり私はうたにしたい。そういうところに足をつけていきたいなと思っています。

坪内稔典編『短歌の私、日本の私』金井景子「乳房は誰のものだったか」

長い引用をしてしまった。中条ふみ子を否定したというところだけで良かったのだが、俵万智の短歌論の核心に触れているとおもったので、全部引用してしまった。

その初めての恋も『不倫歌集』というカマトトぶって自己プロデュースしてヒットさせてしまうのが俵万智のブランド力だった。金井景子は俵万智のブランド力を「日常」・「あたりまえ」・「素朴」・「ありきたり」としているのだが、そのことは直接「俵万智」という女性歌人の「私」には回収されない。そして中条ふみ子の場合は事件(スキャンダル)として「私」に回収されて行くのだ。

与謝野晶子の「乳房」が母性として結びつき、中条ふみ子の「乳房」は子供よりも男に結びついた、当時のジェンダーなのだ。

みだれごこちまどひごこちぞ頬なる百合ふむ神に乳おほひあへず  与謝野晶子

唇を捺されて乳房熱かりき癌は嘲ふがにひそかに成さる  中条ふみ子

坪内稔典編『短歌の私、日本の私』金井景子「乳房は誰のものだったか」

すごく長くなってしまった。つまり、与謝野晶子→河野多恵子→俵万智ということを言いたかったのだ。ほとんどの人には興味ないかもしれないが。

そして山上 浩嗣『パスカル『パンセ』を楽しむ 名句案内40章』を読んだ。これについてもいろいろ書きたかったのだが別稿にするよ。


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