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短歌レッスン98

みなとみらいにあるキネシネマの男性用トイレはポパイで、女性用トイレはオリーブだった。これもジェンダーの教材になりそうなテーマだった。そっか三角関係という構図があるらしいのだが、それがわかりやすいかな。ポパイとライバル関係になるブルータス。それはオリーブというライバルが恋するが故にポパイはオリーブに惹かれる。そして、オリーブと結ばれた後にはポパイとブルータスの友情物語が始まり、飲み屋で乾杯しながら、オリーブは家の中で疎外される。そんなストーリーが成り立つ社会。

まあ単に綺麗なトイレに文句言ってもしょうがないのだが、記号としてあらゆるところにそういう記号があるというのが社会学なのかな?生まれながらにそうして社会化されるということは、洗脳されているとも言える。風習というのはそういうもので、伊藤野枝が言ったという「断固、風習と闘わねば」というのはそういうことだと思う。

また日記の続きになってしまった。俳句を読んで締めよう。

オリーブとトイレ入れず連れション

オリーブが季語です。いや、無季俳句か?川柳か?

塚本邦雄短歌

坂井修一『塚本邦雄』

「烏蛇」というのは脱皮する前の黒いシマヘビということだった。下句でその黒い蛇を「うるはしき隣人」とする美意識なのだそうだ。

模範十首

昨日やるつもりだった黒瀬珂瀾(くろせ からん)の続き、『ひかりの針がうたふ』から幻想短歌十首

光漏る方へ這ひゆくひとつぶの生命を見つむ闇の端より
余したる離乳食わが白米にかけて済ませる朝餉のあはれ
父われの胸乳(むなぢ)をひたに捻りゐる娘よ黄砂ふる夜が来る
かげろふに紫陽花涸(から)びゆくまひる西光被斬(きられ)重衝被斬
昇る陽に影は伸びつつ小さき刃に老いし漁師は梨剥きくれぬ
言葉を五つ児が覚えたるさみしさを起きの真闇へ流して帰る
かなしみは水のかたちか潮満つる秋のみぎはに吾子を立たせて
線量を見むと瓦礫を崩すとき泥に染まりしキティ落ち来ぬ
生なべて死の前戯かも川底のへどろ剥がれて浮かびくる午後
鯛の血は経木(きょうぎ)ににじみ海峡に滅びし平家なる家族あり

『眠らない樹vol.6』

「光」は幻想短歌のモチーフとなりやすい。光そのもは何ものも示してはいないのだが、その光源に何かある気がするのが「幻想」なのだろうか?希望と言ってもいいが。「闇の端」よりと対置的に捕らえている。「生命を見つむ」は眼のような。
子供がいる生活の中で現実感というのが「白米」にぶっかける「離乳食」なのか?「白米」は本来「ことほぎ」の食事だったわけだ。それが離乳食によって現実化される。幻想短歌からの離乳なのか?とも思える生活短歌。
下句の「黄砂ふる夜が来る」の意味がわからん。
歴史短歌。西光も重衝も反逆者として斬首されたのだろう。それを紫陽花とどう関係あるのか、ないのか?桜と対極ということかな。「涸(から)びゆく」があわれさを誘う。
前の歌の続きか?「西光」は島流しになったという。その時の逸話か何かだろう。「ぬ」は否定ではなく「過去完了」。
5才児が言葉を覚えることへの逆説短歌。なんだろう現実的になるということか。言葉以前の世界からの離脱。
海辺の情景だろうか?生活詠の一首だろう。吾子の成長記録?
「線量」は放射能だろう。「瓦礫を崩す」は東日本大震災の社会詠。下句の「キティ」は子供のいる日常性が落ちて行った。
大震災から短歌が社会詠に変容している。それで僧侶になったのか?
『平家物語』に「鱸(すずき)』という題目があった。それは平家の繁栄の象徴的な出来事だが、それを「鯛」に対置することで「めでたい」のだが、平家にはあわれなことなのだ。

『東京マッハ 俳句を選んで、推して、語り合う』(東京マッハ,千野帽子,長嶋有,堀本裕樹,米光一成

「東京マッハ」では公開句会ということで参加者(レギュラー+ゲスト有り)で投稿句が全部公開されてそれを読者が選句できるようになっている。そして普通の句会ではない、逆選というダメ句を選ぶのだが、そのときの自分の中の基準が俳句脳になっていて、無季だから駄目とか、字余りだから駄目と選別していく。
 そう思って結果を見ると誰も逆選してない句を選んでしまっている。それはこの句の良さが見られない(誰も選句してないのでそれはないかも)、逆選にも選ばれない(逆選はむしろ目立つ句だということ)。

なにこの本?なにこの檸檬?色は許す

『東京マッハ』

上五と中七は韻律になって、二物衝動。「檸檬」が梶井基次郎の衝動。色が共通項なのかもしれない。後から読むと確かに理解出来る。

さらにまったく理解できずに、後から読みの解説を聞くとなるほどと思う句。

フランス装のための刃物や鳳仙花

この句の場合、フランスの製本がページが閉じたままであることを知らなければ取れない。つまりこの知識があるのはエリートじゃないけどそういう人たちだと。そう思うと「鳳仙花」も取合わせとしてはいいかもしれない。

だれでも思い浮かべる季語を「みつを」季語と読んでいるのは面白い。この句会での特徴は季語の斬新さとか知らない季語が多い。それはあえて歳時記を読んで取ってくるとか。ただこういうのはあまり評価できない。むしろ「みつを」季語を使いながらアンチ「みつを」になるような取り合わせを目指したい。「みつを」季語の確認は大切かな。「みつを」言葉というか、「愛」とか「挨拶」とかそんな感じの言葉。

うたの日お題

すでに日記で短歌を作っていた。今日はすべて共通項だから楽だった。『 32音で『 お年玉 』 』。

親戚の子供ばかりの
お年玉
孤独老人、夢から覚めて

これでもいいんだけどもうひと工夫。「孤独老人」を「寝たきり老人」に夢から覚めないほうがいいか?

親戚の子供ばかりの
お年玉
寝たきり老人、夢に目覚めぬ

「目覚めぬ」の「ぬ」を打ち消しか過去完了で読みの意味が違ってくる。そこの冒険ですね。でも「に」がついているから否定なのは見え見えだった。他に助詞あるかな。

結果

親戚の子供ばかりのお年玉 寝たきり老人、夢に目覚めぬ
『 32音で『 お年玉 』 』 やどかり #うたの日 #tanka http://utanohi.everyday.jp/open.php?no=3200a&id=80

正月二日目でどんまい。まあネガティブすぎた。でも正月だから明るい甘いうたばかりだと思うとこういう辛口もいいと思うのだが。397人いて一人も評価が付かないということは、ある意味逆選みたいなもんだ。

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