見出し画像

大きな賞の選評は役に立つ

『短歌 2022年6月号』

もののあはれを知る

【カラーグラビア】
名湯ものがたり 湯の花温泉…中津昌子
空の歌…鍋島恵子 選

【巻頭コラム】うたの名言…高野公彦

【巻頭作品28首】松坂弘・小池光・内藤明・栗木京子
【巻頭作品10首】志野暁子・田野陽・鵜飼康東・田宮朋子・中根誠・江戸雪・道券はな・吉田隼人

【特集】人称フロンティア
総論 短歌における人称…谷岡亜紀
人称代名詞一覧図…編集部
一人称の短歌…小黒世茂・斉藤斎藤
二人称の短歌…佐波洋子・山川築
三人称の短歌…川本千栄・長屋琴璃
特別論考 短歌と俳句の人称表現の違い…坪内稔典
アンケート 短歌は一人称の文学だと思いますか?…千々和久幸・佐保田芳訓・大崎瀬都・標珠実・カン・ハンナ・谷川電話

【作品12首】青野里子・川崎勝信・片岡明・斎藤佐知子・吉沢昌実・水上比呂美・島内景二・尾崎朗子・宇田川寛之・永田淳・岩内敏行
【作品7首】茅野眞澄・相原由美・久保みどり・藤井徳子・岡田恭子・桜木由香・小澤婦貴子・神田宗武・西台恵・加藤ひろみ・辻聡之・阿波野巧也・佐世弘重
【第56回迢空賞 発表】受賞=大下一真歌集『漆桶』
【第13回角川全国短歌大賞 発表】

【連載】
フリージアの記…水原紫苑
挽歌の華…道浦母都子
かなしみの歌びとたち…坂井修一
ぼくは散文が書けない…山田航
啄木ごっこ…松村正直
歌人解剖 〇〇がスゴい!…土岐友浩
うたよみの水源…鯨井可菜子
一葉の記憶…高島裕
嗜好品のうた…松野志保
見のがせない秀歌集…林宏匡
短歌の底荷…好日/水甕
ふるさとの話をしよう 静岡県…柴田典昭

【歌壇時評】
【月評】
【歌集歌書を読む】
【書評】

【投稿】
角川歌壇
題詠

歌壇掲示板
読者の声
編集後記/次号予告

『短歌 2022年6月号』目次

【第56回迢空賞 発表】受賞=大下一真歌集『漆桶』

こういう賞は受賞作が理解できなくとも選評が理解を助け参考になる。

佐々木幸綱『新仮名の僧の歌』で新仮名使いの歌だからと反対意見があったそうだ。確かにカタカナは、和尚とはそぐわない感じもするが、短歌だけで和尚と思うわけでもなく経歴を参照するからだ。その部分で未だに「私性」を離れられない短歌なのかとは感じてしまう。和尚にもいろんな人がいるのだ。

高野公彦は、あえて新仮名使いだけど、そこから仏性を読み取ろうとする。そこの部分はよくわからなかった。でも母を思う気持ちは厳密に言えば煩悩だよな。出家者なんだから。そういう仏教の変化(俗習に傾く)と短歌の変化とは共通性があるのかもしれない。イズムではない歌だった。

【特集】人称フロンティア

短歌は「私性」と言われるように、その歌に詠み手が潜んでいるということでは一人称の文学とされているのだが、最近は虚構短歌も多く、それが改めて取り上げられているようだ。
一人称と言ってもプルースト『失われた時を求めて』のように作者と語り手が一致しない(むしろそのように描いた)小説もあるし、俳句ではそういう一人称は廃する方向にあるので、なんで一人称にこだわるのか不思議だった。

確かに短歌では我や君を読み込んで感情表現すればいいぐらいに思っていたのだが。ここであえて一人称にこだわる人はちょっと頭が堅いと思ってしまう。

そんな中で斎藤斎藤氏の「神について黙るときにわれわれの語ること」が理解でいた。ようは暗黙の了解というやつで、宗教性とは言わないが共同体的な暗黙があるのだと。

坪内稔典氏は俳人だから、その点は最もだと思える。それは「私性」というとき、詠み手のことしか考えていないので、「読み手」との共同作業的な作品になると人称なんてどうでもいいというか、作者中心の世界はどうかな?ということです。そこに難解になりすぎる古典主義的短歌があるのだし、最近の口語自由の現代短歌ではその辺は問題にしてないと思う。それも内輪ばかりになるという所がない面もないが。

ようは開かれた文学であるかどうかなのだ。短歌が「私性」にこだわるのは閉じられた文学だからなのだと思う。作品は子供と同じで生まれたら、親の元を離れて勝手に成長してゆくものだ。いつまでも子離れできない人が多いのだろうか(権威的な人に多いような気がする)。

作品 江戸雪『卵』

作品では江戸雪『卵』は口語現代短歌でわかりやすかった。「卵」の日常性と言葉のイメージから(村上春樹のカフカ賞受賞の言葉だろうか?卵を弱い民衆に喩えていたのは)社会性へ落とされるときに感じる悲鳴というような。

割れ目から落ちるほかなく卵黄は悲鳴のように卵白のなか
潰された卵黄はゆめ卵白に侵略されずと信じてそして

『短歌 2022年6月号』江戸雪『卵』

歌壇時評「パラダイムシフトの時」前田宏

ロシアのウクライナ侵攻時に時事短歌がずいぶんと読まれたそうだが(この号でもウクライナの時事短歌がずいぶん読まれている)、普段短歌をやらないものは目にもしなかった。あるは、コロナ禍やマスクと言った人間相互の分断、地球規模の分断があるという。そうしたパラダイムシフトを明確に短歌で捉える瞬間というのは大事だと思う。

この時評の中にも触れられているが映画『ひまわり』のウクライナの状況というよりも「うたの日」のお題として歌った一首があった。それはロシアのウクライナ侵攻も頭にあったがそれとは別の日常性も詠んだつもりだ。

新妻は死者を弔い毎朝をひまわりの数だけ卵を割り

パラダイムシフトと言えば外部の変化からくるものもあれば内部からの変化からくるものもあると思う。私の中での短歌化というパラダイムシフトがあるのは事実だ。短歌関係の言葉のわからなさがあり、例えばこの時評では断り書きを「詞書」というように、テーマ詠での連歌も連作でいいのだった。こういう批評での特殊な世界の言葉、例えば「私性(わたくしせい)」は短歌ではそれが前提なのだと初めて知った。その特集が「人称フロンティア」なのだ。すでに小説のジャンルでは語り手=作者でさえ疑わしきものになっている。プルーストの例とか。そこでフィクション短歌に惹かれるのは当然として自分の中の文学としてはあるのだった。

あと「うたの日」は学生の短歌同好会の繋がりがあるというのは事実のようである。それで極端に多い♪とかの謎がとけた。そういうところに参加してないものは♪は少ないのだ。ただ❤は一つしか与えられないので、そこの部分は実力がものを言う世界のようだ。♪には惑わされてはいけない。

書評 鈴木智子『舞う国』

踊る、と落ちるは似ている今がそう淵にいるときわたしは踊るカーディガンのガンを強めに発音し袖から取り出すgunを握って
辞書のように入念な言葉を選ぶからまち針いくつも刺して待ってて

夢よりもぶっ壊れる今が良いプレパラードに羽根を預けて

『短歌 2022年6月号』

素晴らしい。言葉の追求から象徴的イメージを取り出すというのは塚本邦雄的なのかな。でも古典じゃないからわかりやすいかも。「プレパラード」だけだよな。意味不明なの。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?