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シアーシャ・ローナンのかもめは海烏になっていた

『かもめ』(アメリカ/2018)監督マイケル・メイヤー 出演アネット・ベニング/シアーシャ・ローナン/コリー・ストール/エリザベス・モス

あらすじ
1904年、ロシア帝国。人気舞台女優イリーナは兄ソーリンが重病で倒れたのを機に、交際している人気作家ボリスを連れ、地方にあるソーリンの屋敷を訪ねる。屋敷には作家志望である、イリーナの息子コンスタンチンがおり、屋敷の敷地ではその恋人である女優志望のニーナを主演にしたコンスタンチン作の公演が開かれる。しかし、イリーナはその公演を酷評し、それを受け絶望的な気分になったコンスタンチンは自殺を図ろうとする…。

日本では劇場未公開の映画。チェーホフの人気戯曲で、今一番と言ってもいいシアーシャ・ローナンが出演しているのに不思議。彼女が演じるニーナは女優を目指す田舎娘で人気脚本家を頼ってモスクワに出たがぱっとしない役者人生を送る。華があるシアーシャ・ローナンはミスキャストじゃないかと思える。そのへんがあまりにも暗すぎるドラマなんで日本で上映されなかったのかと思ってしまう。

ニーナは凄い不幸な女である意味チェーホフは愚か者として描いているのだが、そこに人生のやりきれなさがある。シアーシャ・ローナンは華やかな役の方がいい。女優を観る芝居でもあり、母親役のアネット・ベニングはもっと凄い大女優の方が良かったみたい。バランス的にシアーシャ・ローナンが主役だというぐらいに目立ってしまった。

それでもラストは、やっぱ良かった。チェーホフは暗い。こんな暗い芝居だったっけ?希望がまったくないな。宗教的救いがあっても良さそうなものなのに。愚かさが詰まった芝居だった。そうなんだが、チェーホフはリアリストなのか?

過去ログを読んだけどチェーホフ『かもめ』は本来こんな暗い話でもなかった。悲劇として描いた映画だから、こんなに暗くなってしまったのは、演出家によるものだった。この映画のニーナが絶望的過ぎるのだ。ニーナの言うセリフ「わたしはかもめ」の意味をどう読むか。それでもわたしは女優を諦めないという浅川マキの「かもめ」の方だと思うのだ。


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