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太宰捨て身の一撃!は

太宰治『如是我聞』

太宰治による評論。初出は「新潮」[1948(昭和23)年3~7月]。志賀直哉を筆頭とする一群の「老大家」と、いわゆる「文化人」に対する非難で、継続の意志が見られるものの太宰の死とともに終了している。感情がままの罵詈雑言で評論と呼ぶには耐えがたいとの評価もある一方、その捨て身の訴えは大きな問題提起を孕んでいる。

「にょぜがもん」と読むという。まあ、よほどの人ではなければ読めないし、意味もわからない。太宰がこの題名にしたのは意味あることで、この題名の意味を考えて欲しいということだ。ここの解説が相応しいと思う。

読むお坊さんのお話「如是我聞」http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/story/000790.html

太宰が非難するのは年上の者(戦争加担者)が年下の者(敗戦を知る者)の文学を知らず、書くということに無反省に厚顔無恥でいる作家先生なのだ。例えば志賀直哉を賛美する川端康成。そして、彼らの美文は三島由紀夫に繋がっていく。芥川の弱さの苦悩が理解出来ないと。そこだけは太宰は嘘は言ってない、と思う。

教祖は小説の神様と崇められる志賀直哉。志賀直哉を神の位置から引きずり下ろそうとする太宰は必死である。それは志賀直哉が取り巻き連中と太宰を引きずり下ろしたからである。その報復だとしたら可愛げがない。ただそれも太宰のスタイル。その太宰が同じ俎上で自ら引きずり込もうとして下落していく。お釈迦様の掌に。

そう願ったのは太宰の本心だと思う。志賀直哉は「シンガポール陥落」でさんざん大袈裟な帝国主義を賛美しながら、しれっと文壇の中で生き残り、上から目線で文章を書いている(太宰が言うとるんです)。例えば『小僧の神様』。志賀直哉の視点は、小僧にあるのではなく神様の位置。

それが客観小説と言われる。なんの疑問なく、ただ描写は時間経過を描くからそこに動く人の心理が浮かぶという。小僧の心理も。そこに太宰は食いつくのだ。恵んでもらう者の辛さを知らなすぎると。作者の自己満足に過ぎないのならそれもいいだろう。でもみんながそれを褒めそやすのは耐えられない。何故か?文学が戦争に負けたから。

太宰が描く作家、批評家、読者の正三角形。それぞれが三角形の内側に向き合い作品(三角形)の世界を構築していく。それが大作家の批評が直線上に作家と読者を断ち切るように批評家がいる。批評家が大作家で古いスタイルでの言論でぶった切る。新しい文学はそこに生まれない。例えば読みやすい簡潔な文章ばかり褒めそやす。それは新しい文学には関係ない。何故なら、彼らは書くことについての疑問を捨て去ってはいないからだ。神の位置を疑っている。



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