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鬼の俳諧の道は「おくのほそ道」よりも巌しそう

『鬼貫句選・独ごと』上島鬼貫 , (校注)復本 一郎 (岩波文庫)

芭蕉と同時代を生きた上嶋鬼貫(うえしまおにつら、1661-1738)は、天明俳壇の炭太祇、与謝蕪村による再評価により、「東の芭蕉、西の鬼貫」と並び称された俳人。『鬼貫句選』は、炭太祇が鬼貫の全発句のうちから、四百余句を精選した句集。『独(ひとり)ごと』は、円熟期の鬼貫58歳の作。「まことの外に俳諧なし」で知られる鬼貫の俳論・随筆の集大成である。

鬼貫(おにつら)という名前が凄い!(俳諧の)鬼の道の紀貫之先生なのだ。星一徹なみのスパルタだよ、姉ちゃん。やっぱ芭蕉先生の方がいいかな。なんとなく人気もありそうだし友達も多そうだ。「俳句の星(道)」は、遠い。

鬼貫句選

上巻が炭太祇(江戸中期の俳人)が選した俳句が季節ごとに並べてある。俳句だけではなかなかその良さがわからないのだが、季節で並べることによって時空を超えて共感できる部分はあるのかな。太祇の選も整っているということである。

今の季節ならこんな句。

藪垣や卒塔婆のあい(ひ)を飛ぶほたる 鬼貫

下巻の「禁足旅記」は、解説を読んでも芭蕉との関わりがよくわからなかったが、読んで思ったのは俳句としてよりも紀行文での面白さがあるのだった。一つはそれが歌(俳句)物語であるということ。

「伊勢物語」の歌物語の形式を踏まえているのだということ。そこに芭蕉の『おくのほそ道』より12年先に書かれたという鬼貫の歌物語『禁足旅記』があるのである。それも東海道の大阪→江戸の道行だから、面白いのかもしれない。実際に広重の「東海道53次」とか眺めながら見ても面白いかもしれない。

その途上で三日目に芭蕉に出会っているという。芭蕉がまだ『おくのほそ道』を書く前に、鬼貫が芭蕉に影響を与えたということなのだ。芭蕉の方にそういう記述は一つもないのだが。だから東の芭蕉と西の鬼貫と並べて述べたくなるのもわからないではない。関西のプライドなのかなと思う(関西を無視してしまう芭蕉の傲慢さもあるのかもしれない)。

そういうことを抜きにしてもこの紀行文が面白いのは、それまでの書物の歴史を踏まえているからだ。

幽霊の出どころはありすすき原

薄(すすき)は小野小町の類推。幽霊=小野小町。

義仲塚では『平家物語』を俳句にする。

柿茸や木曽が精進がうしにして 鬼貫

『平家物語』「猫間」の巻で、義仲が中納言に平茸を勧めたのを、精進料理と言ったというのを俳句にしているのだ。

またその後に芭蕉庵に行くのだが、その前に作った俳句。

石山の石の形(なり)もや秋の月 鬼貫

その後に芭蕉が『おくのほそ道』に入れた類想句。

石山の石より白し秋の風 芭蕉

結びに旅は夢であり歓楽だという。「邯鄲の夢」のごとく、栄華は一睡の夢という無常観は侘び寂びに繋がっていく。

独ごと

上は、鬼貫先生の俳句道。俳句というより俳諧かな。鬼貫という名前は、鬼(の道)に紀貫之ということだ。俳句の前に短歌があって、その道を極めたのが貫之ということで、『古今和歌集』に俳諧の源がある。それは、さらに陶淵明の漢詩やらそういう言葉の歴史があるということのようだ。それが言霊として後世から伝わっているのである。発句は祝詞であれという。

それに付ける連句は、自ずから自分勝手ではいけないわけで、自句を面白くするよりは、他者の句を学べということ。それは師があり、自然があり、天があるというような道のことだ。まことにこだわるのもその辺りなのだ。もともと武士であるような人だから、武士道に繋がるのかもしれない。なかなか形式重視の所があるのでそういう伝統句を学びたい人は役立つ本だと思う。

下。でも面白いのは、四季折々を通して感じられる四季のエッセイのような下巻のように思える。ここは今読んでも新鮮だし、季語の成り立ちや季節によって心情が変わる月や雨の表現は面白い。それはやはり伝統的な日本人の心情というものなんだろうか?じめじめ湿気がある日本人じゃないとわからない部分があるのだろうか?



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