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バルザックの短編集(そのもの)

『グランド・ブルテーシュ奇譚』バルザック, 宮下 志朗 (翻訳) (光文社古典新訳文庫)

善人も、偽善者も、悪人もバルザックの描く人間がおもしろい! 妻の不貞に気づいた貴族の起こす猟奇的な事件を描いた表題作、黄金に取り憑かれた男の生涯を追う「ファチーノ・カーネ」、旅先で意気投合した男の遺品を恋人に届ける「ことづて」など、90篇あまりもの作品からなる《人間喜劇》と呼ばれる作品群から人間の心理を鋭く描いた4篇を収録。ひとつひとつの物語が光源となって人間社会を照らし出す短編集。

バルザックは、それまでの作家とは違い最初の大衆作家というべき人なのか。それまでは名誉のための小説だった。しかしバルザックは作品が売れることを目的として、実際に書籍販売についてまで考えていたのだ。貴族社会からブルジョワジーへの移行していく最中にいた作家。だから金銭的な話が多い。

ここに収めてある短編は「人間喜劇」という壮大な物語群の小さなエピソード群というところ。人物再登場方式(現代文学でも使われる)を導入したのでも有名。実際にこの短編だけ読んでもどこに出てくるかはわからないのだが。それでも短編としての魅力もあると思う。最後はエッセイだが。

関連作品として、

グランド・ブルテーシュ奇譚

奇譚とあるように幻想文学。廃墟に纏わる伝承譚である。バルザックの時代を知らしめるのはナポレオン戦争の後遺症的なものか?ポー『黒猫』と比較されるが、決定的な違いはポーの場合はその罪が明らかにされるのだ。

しかし、バルザックのこの奇譚では、罪人が明らかにされるわけではない。いや罪人は明らかにされていたのだが、情状酌量の余地があるということか?情状酌量の余地とは、愛なのだろう。そこで判断保留となり、幽霊は浮かばれず成仏できないのである。

ナポレオン戦争でスペインに侵攻した時の捕虜がグランド・ブルテーシュ城に預けられる。由緒あるスペインの青年貴族のなのだ。その城主の妻と出来てしまった。城主との関係は冷え切っていた。不倫が見つかり、スペイン貴族は夫によって隠れている部屋を煉瓦で塞がれてしまう。逃亡したという噂もあった。事実は闇の中である。

ことづて

青年貴族の伯爵夫人の愛人を持つ親友が馬車の転覆で亡くなる。そのことづてを頼まれ伯爵夫人に会いに行く話。バルザックのこの時代は青年貴族の恋の相手は年上の伯爵夫人であった。ただそれだけの話ではあるが、青春の思い出として語られる美談なのかな。

ファチーノ・カーネ

『アラビアン・ナイト』の盗賊の話のような。貴族の青年が文学鍛錬?のために貧困街に住む住民の心を読む訓練をしていたある日、結婚式に招かれそこで盲目のクラリネット吹きに出会う。彼はイタリア貴族なのだが、若者の無謀さで人妻を愛し夫を殺めてイタリアを出る。ヴィスコンティ一族に滅ぼされたとかいう貴族。しかしお宝を隠してあるので、イタリアに連れていけば莫大な財産を相続出来るという話をする。そして、いざそれを実行に移そうと思ったら死んでしまった(あまりにも高齢だったもので)。

吟遊詩人ホメロスに重ねて語られるのが味噌か?英雄譚のパロディになっている。

マダム・フィルミア

最初に17人のマダム・フィルミアの人物評価が述べられる。多用な顔を持つ魅力的なサロンの花という感じだが、その彼女の若い恋人の話である。彼女にしても未亡人でありながら25歳(実際は28歳という噂もある)と若いのだが、これが語られるのはすでに彼女が40過ぎてからの過去の経緯を探る話だった。

青年貴族が自分の遺産を投げ売って彼女と結婚する。しかし、貧乏な書生暮らしの彼といまだ豪勢な城に住む彼女なのだ。そこへ叔父が財産を女のために食いつぶしたと怒鳴りこむのでだった。事実は?よくわからない。ただ青年の話では、金や遺産よりも自身の心が彼女の清い心に相応しいかということなのである。そもそもその遺産の出どころも人から分捕ったものではないか?ということらしい。彼女の愛を推し量るための遺産放棄は手段だったのか?

時代的なものが貴族社会からブルジョワジーに移行していくなかで、見せかけのものより、本当の愛はというテーマだと思うが、青年は騙されていたのだろうか?

ーニ書籍業の現状について

書物が貴族の名誉のためのもの(千冊も売れれば十分だった)からブルジョワ社会で、利益というのを考えそれを一般大衆に広めていく(バルザックの時代で数万部というところだから現代はいかに膨大かわかる)。作家からの要望。手っ取り早く言えば中間御者を無くして、作家と読者の直接的な関係での書籍づくりにするべきということだ。ブック・クラブというようなこともやっていたらしい。

今の時代もターニング・ポイントだが、すでにバルザックの時代から問題が指摘されていた。現代にも通じる話である。例えば10出版してそのうち1作でも当たれば万々歳である。残りの9はゾッキ本でもいいのだ。厳しい意見だ。出版業界の現状は、そう言えないだろうか?良書とわれるものが、やがてゾッキ本に駆逐される。

そこで目利きの批評家が登場してくるのだろう。しかし、それは作家に取って良からぬ存在でもあった。プルーストはサントブーブのバルザックにおける批評が不満であの長い小説を書いたのだった。売れることより芸術家としての意地かも。これは本作品には関係ない話だった。



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