見出し画像

東京の職業婦人ほととぎす

デジタルリマスター版『東京物語』をWOWOWで観た。デジタルだと小津監督の静止画の構図の素晴らしさがよくわかる。『東京物語』はセット撮影が多くほとんどカメラが動かない。構図の鬼だ。紀子との東京見物のシーンはバスが動いてその中での固定撮影。写真(そういえば小津は映画のことを「写真」と呼ぶ)はカットからカットで切り返す。多くはバストショットで紀子の部屋のシーンは紀子は老夫婦ではなくカメラ目線。

画像1

あと背中からショットも多い。背中を見せることで年齢を感じさせる。徒労感も。その中で人物が多少動く熱海から東京に帰ってきてどこにも行く場所がなくて老夫婦二人で彷徨うシーンで、「カメラが動いた(立った)」みたいな。それもほんの僅かな移動撮影で。

構図で凄いと思うのは荒川の土手のシーンと尾道での外景色のシーン。あとお化け煙突と尾道の汽車のシーンで場所を感じさせる。ラストは、窓から船が動くシーンと笠智衆背中のカットの切り返し。そこで一気に年を取ってしまった寂寥感を醸し出す。見事だ。

過去ログを見たら、紀子三部作(『晩春』『麦秋』『東京物語』)の『麦秋』で大家族を解体させたのは幼なじみの子持ちと結婚して地方へ行ってしまう紀子が原因だった。紀子の稼ぎを当てに出来なくなった間宮家は長男の収入だけでは大家族を維持できずに、老夫婦は大和に帰ることになった。

『麦秋』と『東京物語』はパラレル・ワールドになっている。小津監督が「輪廻転生」というテーマで『麦秋』を描いたのだ(『東京物語』の前に『晩春』と『麦秋』のパラレルな関係があるのだ。)。見比べるといろいろ発見があるのがわかる(笠智衆の人物の変化とか、「因果応報」になっているのだ。酔払て帰ってきた笠智衆と東野英治郎に杉村春子の長女が世知辛い仕打ちをすることになるが「この人誰?」と東野英治郎に言う、『秋刀魚の味』で父だ!)。紀子の「わたしずるいんです」は専業主婦でなく職業婦人として(『東京物語』では夫の戦死ということがあるが)大家族を解体させたことが関係していると思う(独り身の寂しさから戦死した夫を忘れることもある)。それが一番良くわかるのは杉浦晴子の長女だった。

そして『東京物語』での葬儀では火葬だから輪廻転生できないので、そこで終わる。その無常観がすべてだった。映画の終わり方として本当に素晴らしい。そして、杉村春子のせっかちさ。葬儀のシーンでさっさと東京に帰ろうとする「。さっさと自分の要求を言って、団扇をパタパタあおぐシーンとか。長女しげは美容院をやっている一家の主だ。職業婦人として自立していくには手に職を持つ美容院が流行ったのだ(そういえば長男は開業医だ)。




この記事が参加している募集

#映画感想文

67,333件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?