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底冷えよ「なしくずしの死」よ風呂だよ

雲は美しいなんて感じるのは無職だからだろうな。抽象芸術の最たるものだ。なにかしら想像できる。ここには兎がいる。

寒くて風呂入りたいのだが、この日記を済ませてからにしよう。いつも朝ニ回は入るのだが、不経済すぎる。足湯にシャワーでいいという人もいる。完全に身体が温まるまでエンジンかからないんだよな。エアコン直すか電気ストーブ買ったほうがいいんだろうか?

昨日は引き籠もり。白熊杯に俳句を投稿。それだけで十分だった。今日は短歌を投稿しようと思う。夜になりそうだが。もしかしたら明日の朝方かも。

公募マニアは正月は年間計画を立てるらしい。早速やってみたいが、小説は書けるか疑問だ。十代の頃は作家になりたいと思ったが作家になってからが大変なようだったのでならなくて正解だったのか。でも創作の意欲は今の方がもりもりだった。先が短いからだろう。

読書。橋本治『失われた近代を求めて 上』読み終わったが感想が書けていない。田山花袋の「自然主義」の考察なんだが、言文一致の二葉亭四迷から始まった明治文学改革運動が、言文一致→自然主義とするには無理があるのじゃないかという提言。二葉亭四迷が自然主義に疑問を解こしていたこと。そして、その対象として『平凡』を書いて、言文一致→言文一致というものを一つ完成させた。言文一致から自然主義は導かれないというもの。どうでもいいと言えばどうでもいいんだけれども。田山花袋の自然主義は私小説を導いたのでいつの間にか私小説が絶対という流れになった。それが川端康成まで行くのかな?そんな予測。アンチ私小説論になると思うのだが。

あとでまとめる。今日も映画を観に行く予定。図書館に予約本も届いたから。今日は休みじゃないよな。調べていかなくては。

今日の一句。今日はなんの日から始まる。「一無、二少、三多の日」とは?「一無」は「無煙と禁煙」、「二少」は「少食と少酒」、「三多」は「多動(体を多く動かす)と多休(しっかり休養する)と多接(多くの人、事、物に接する生活)」のことである。他接以外やっている。たせつと入力すると「他殺」と出るパソコンだった。今日の季語は「冷える」だな。「冷える」だけだと秋の季語になるようだ。「冷たい」まで言わないと駄目みたい。傍題「底冷え」。これだ。

朝風呂の余裕なし崩し底冷えよ

もうちょっとかな。「なしくずし」は入れたい。

底冷えよ朝風呂入れなしくずし

「なしくずし」の意味は借金を少しづつ返すことだったのか。全てが崩壊することかと思っていた。セリーヌ『なしくずしの死』も誤用なのか?

底冷えよなしくずしの死よ風呂だよ

句跨りで乗り切る。


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