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野分は光源氏で、後から修復する息子夕霧だった

『源氏物語 28 野分 』(翻訳)与謝野晶子(Kindle版)

平安時代中期に紫式部によって創作された最古の長編小説を、与謝野晶子が生き生きと大胆に現代語に訳した決定版。全54帖の第28帖「野分」。この年は野分(台風)が激しかった。風の強さに妻戸が開き、夕霧は偶然紫の上を見てしまう。美しい継母の面影が心を捉えて夜も眠れない夕霧。翌朝、夕霧の様子から紫の上を見たのではないかと疑う源氏であった。父の供をして女性達を見舞った夕霧は、複雑な想いを抱いて雲井の雁に手紙を書くのだった。

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野分の後に中将がやってくる。光源氏の息子夕霧の帖だった。まめまめしさは父譲りだが自制心はあるのだが、父の姿を見ると欲望が起きてくるのだった。紫の上と玉鬘の姿を垣間見ながら六条院を回る。風見舞いというらしい。そうした見舞いをしながらも垣根が崩れているから、覗き見もできるのだという。

末摘花までも見舞っているが。光源氏は明石の君を見舞うのだが風のように去ってしまう。野分とは光源氏のことだったのだ。

(明石の君)
おほかたに荻の葉過ぐる風の音も憂き身ひとつにしむここちして

その後に光源氏は玉鬘と戯れいるのを中将に見られるのだった。

(玉鬘)
吹き乱る風のけしきに女郎花しをれぬべきここちこそすれ
(光源氏)
した露になびかましかば女郎花荒き風にはしをれざらまし

中将は明石の君から硯と紙を借りて雲居雁に手紙をしたためる。それで欲望の風を抑えようとしているのだった。

(夕霧)
風騒ぎむら雲まがふ夕にも忘るる間もなく忘られぬ君

そして幼い姫君(明石の娘)と遊ぶのだが、紫の上を山桜、玉鬘を山吹、そして姫を藤の花に譬える。そして、大宮の元へ。大宮って誰だっけと思ったら葵の母上だった。そうだ夕霧は葵の息子だったんだ。複雑すぎて系図を忘れる。そっか、だから雲居雁とはいとこだったんだ。このへんの混乱状態は系図がないと理解できないな。光源氏のせい。


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