見出し画像

シン・短歌レッス50

今日の一句

アゲハ蝶は夏の季語だよな。アオスジアゲハ。まだ動きが鈍いから写真に納めることが出来た。ほとんど跳ぶ瞬間。

魂や夏蝶のごと離脱せよ

自由律風に

夏蝶のごとく離脱せよ

後鳥羽院の和歌


塚本邦雄『花月五百年』

白菊に人の心ぞ知られける うつろひにけり霜もおきあへず    
                後鳥羽院『初度百首』

塚本邦雄『花月五百年』。塚本邦雄が後鳥羽院を褒め称えるのは定家批判としてなのか?そこがよくわからないというか、何故それほど定家を嫌うのか?堀田善衛で定家を知ったから歌はともかく文学者としてはそれほど政治的には思えなかったのだが、塚本邦雄評は政治的に歌を利用した定家を描描いているようだ。特に『新古今』で後鳥羽院が定家の歌を入れ替えたことと百人一首の評価の低さ。

人も惜し人も恨めしあぢきなく 世を思ふ故にもの思ふ身は  後鳥羽院『百人一首』

後鳥羽院も百人一首の載せたのはたいした歌ではなく他にもいくらでもあると言って上げたのがこのうた。確かに塚本が上げた歌の方が天皇の優美な白菊の歌だが。百人一首の歌は後鳥羽院の人生論じみているか。

塚本邦雄短歌5首

難解歌とされる塚本邦雄の短歌。先日借りた「コレクション日本歌人選『源氏物語の和歌』」が良かったので、そのシリーズ、島内景二『塚本邦雄』を借りてきた。

初戀の木陰うつろふねがはくは死より眞靑にいのちきらめけ  
錐・蠍・旱・雁・掏摸・檻・囮・森・橇・二人・鎖・百合・塵
サッカーの制吒迦童子火のにほひ矜羯羅童子雪
詩歌變ともいふべき豫感夜の秋の水中に水奔るを視たり
燻製卵はるけき火事の香にみちて母がわれを生みたることを恕す

島内景二『塚本邦雄』

早くも旧字体に後悔してしまふ。塚本はこれを「正字体」と呼んでいるそうだ。「眞靑(まさを)」もそうである。そうか、塚本邦雄も本来、「塚」を旧字体でに「塚」(パソコンじゃ出ない)

で「邦」も「パソコンじゃでない」問題があったのだ。


繊細な歌人は、そういうところに拘る。そういえば戸籍の漢字が旧字になっていたが、いつも当用漢字の方で書いていた。こういう問題があり現代人の「恋」と日本古来の「戀」とは違うのだ。漢字の中に言葉があり糸で繋がっているのか。糸電話みたいだな。スマホ時代にそれは通用するのか?日本文化に対する姿勢だった。
「雪月花」の「雪」も「月」も「花」も微妙に違っていてその違いがわからんものは文化人である資格がないという。そんな文化人は今は必要とされるのか?

錐・蠍・旱・雁・掏摸・檻・囮・森・橇・二人・鎖・百合・塵もルビがないと読めない問題があった。「きり・さそり・ひでり・かり・すり・おり・おとり・もり・そり・ふたり・くさり・ゆり・ちり」でもこれは意味があるのか?音韻だけのような気がする。読者がその漢字の余白部分を読むことでイメージが膨らむという。「掏摸が檻に入れられる」「森の中を橇が二人すべってゆく」。「その二人は鎖で繋がれている」(『手錠のままの脱獄』という映画であったな。)そのすべてが「塵」として終わってしまう。
「制吒迦童子(せいたかどうし)」は背の高い選手かと思ったら仏像だった。

これ一首について調べるだけで一時間以上かかってしまうのだ。矜羯羅童子(こんがらどうし)も仏像。

ここまでやると知的ゲームだな。「火のにほひ」「雪のかをり」も旧仮名遣いでこれを塚本は「正仮名」と呼んだという。「新字新仮名」は絶対に譲れないのは戦後民主主義になったのも国家が文化に強制したからだということなのだが、塚本お前が旧字を強制しているじゃないか?選ぶ権利は受け手にあるような気がする。パソコンに出て来ない旧字を使えるか問題。でも塚本邦雄もかつて間違っていたということがあったという。原初的なものを求めると原典主義になってしまうのだ。それは現代の社会に合わないものも従わせようとするものだと思う。例えば男尊女卑のような思想が。世界が開かれている限り言葉は変化していくという文学観の違い。こういう古典主義は受け入れられなかった。それは、テリー・イーグルトン『文学とは何か』を読んだからだ。

塚本邦雄の短歌は入力するだけでも大変だった。だからひらがなで入力して検索して短歌を出している。それだと厳密に言葉の一つ一つが勉強にならんのだが、仕方がない。「詩歌變」という歌集で、さらに『天変の書』『豹変』『不変律』『汨羅変』という歌集があって(「変」は全て旧字)が最終歌集を「神変」としたかったらしい。つまり神の権力を得たかったのかと思う。命日は「神変忌」と呼ばれているとか。

面白い記事を見つけた。

でもこの人も「神変忌」を旧字体にしてないから塚本邦雄の意図からは外れてしまうな。
塚本は西欧の象徴詩の美学(T.S.エリオットの新古典主義か)を『新古今集』に見出したという。それは正岡子規の短歌革命『万葉調』による反逆であったと。詩歌を変えること(伝統回帰、それも『新古今』だった)に美学があるとおもっていたのだ。時代錯誤も甚だしい。だから美学というものが嫌なんだ。
「母がわれ生みたることを恕す」って何様なんだ。こういうところが男尊女卑に繋がると思う。三好達治の詩を引用するのはほとんど確信犯的である。

ひとつ一番有名な短歌を飛ばしてしまった。

革命歌作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ

技法としての句跨りは塚本邦雄が最初だったのか?いまでは誰のものでもないが。俵万智が「サラダ記念日」で再び見出したということだが。そういう専売特許制が嫌だった。言葉は誰のものでもないし、文学もそうだと思う。だから塚本邦雄が現代短歌の意匠に祭り上げられるのが嫌なんだ。

尾崎放哉の句

渡辺利夫『放哉と山頭火』を借りてきたので、今日から自由律の研究。放哉と山頭火の区別もつかないのだが。エリートから転落したのが放哉、お遍路さんが山頭火かな。今日は放哉の自由律句。

コスモスの花に血の気なく
火ばしさす火の無き灰の中ふかく
晴れつゞけばコスモスの花に血の気く
台所のぞけば物皆の影と氷れる
土運ぶ鮮人の群一人一人氷れる
何もかも死に尽くしたる野面にて我が足音
青草限りなくのびたり
夏草限りなくのびたり夏のあはれなり
わが胸からとつた黄色い水がフラスコで鳴る
妻を叱る無理と知りつゝ淋しく

朝鮮火災海上保険の支配人だたが仕事を投げ出して酒浸りの日々。人間関係の煩わしさということだった。その頃出会った荻原井泉水の自由律の魅力に惹きつけられたとある。京城には死に場所を求めてやってきたと。
「ひばし」の句は定形俳句だった。火ばしは冬の季語。
最初の「コスモス」の句形は俳句の出来損ないのようだった。「晴れつゞけば」を取り除くことで、「コスモス」が自己に近づいた。
俳句には収まらない心情が散文化してくるのか?
短歌のような感じだ。切れがない。
「なにもかも」は、京城生活の終わりの句というより歌のようだ。俳句にも短歌にもならない中途半端感があった。
「青草」は京城生活のどん底から満州へ希望を見出して満鉄で大連から長春に向かう。長春駅で驟雨の後の快晴を読んだ句だという。
「夏のあはれなり」は和歌的表現だよな。短歌の下の句を取った形なのか?芭蕉の句、「夏草やつはものどもの夢のあと」の本歌取り。センチメンタルの部分を削除したのが自由律の形か?
「わが胸」の句。持病の肋膜炎が悪化。これは散文だな。

日本を離れて外地でなんとかしようとする心持ちは夏目漱石『それから』の平岡のようだという。

ただ放哉は自分ひとりではなく妻を伴っている点に弱さを感じてしまう。

映画短歌

『レッド・ロケット』

湾岸の向こう側に抵抗す
海風の
吹き溜まりの街ファック・ユー

おかしいな。五六五五七七になっていた。

湾岸の向こうは彼岸
海風の
吹き溜まりの街ファック・ユー


この記事が参加している募集

#今日の短歌

39,052件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?