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「二・二六事件」松本清張の推理は?

『新装版 昭和史発掘 (5)』松本清張 (文春文庫)

いよいよクライマックス 「二・二六事件」へ突入

陸軍省内で白昼堂々軍務局長を斬殺した「相沢事件」。新資料を駆使して軍閥暗闘の内幕を解明していく。他に「軍閥の暗闘」「相沢公判」

担当編集者より
いよいよ本書の核となる「二・二六事件」に突入。「永田閣下に天誅を加えてきました」——皇道派・統制派の争いは熾烈さを増し、遂に相沢中佐は、統制派の大物であった永田鉄山軍務局長を陸軍省内で白昼に斬殺するという前代未聞の事件を引き起こす。執念の取材により初公開される新資料で軍閥の暗闘が白日の下に晒されていく。

2.26事件に繋がる永田少将暗殺した「相沢事件」。そのきっかけとなった皇道派と統制派の主導権争い「軍閥の暗躍」。そして「相沢公判」の三本立て。「二・二六事件 一」と総題になっているから、松本清張の中ではすでに2.26事件が始まっている。「相沢事件」は1935年(昭和10年)8月12日、皇道派の相沢三郎陸軍中佐が統制派の永田少将を白昼日本刀で斬殺した動機と行動の全貌。資料を元に描いているのだが、活劇を読んでいるようなリアリティを感じた。

「軍閥の暗躍」相沢事件の要因は、陸軍大臣林銑十郎大将による皇道派の真崎教育総監罷免。その裏で操っていたのが統制派の永田少将ではないかという怪文書を相沢が義心を感じた為。清張は林大臣の無能であったとしたけど罷免での永田が介入したのではなく、皇族の閑院宮載仁の要請があったとする。内閣岡田啓介首相は「相沢事件」で林陸相の辞任を受け、後任に統制派の渡辺錠太郎を指名。その間に国会では美濃部天皇機関説問題があり内閣を退陣させようとする皇道派と統制派の暗躍。

内閣が美濃部を辞任に追い込むと皇道派は逆に天皇機関説を支持。その上層部の曖昧さが青年将校の2.26事件の決起の要因となる。「相沢公判」。皇道派の青年将校は相沢の行動を義のある行為と称賛する。公判では弁護士に法学博士の鵜沢総明と陸軍歩兵中佐の満井佐吉。鵜沢総明選任は北一輝とも親交があるる西田悦(後に2.26事件で北一輝と共に死刑)。しかし法廷闘争では皇道派は挫折する(相沢死刑)。「相沢事件」は三島由紀夫の自衛隊突入事件を彷彿とさせる。(正)義にかられての日本刀乱入。三島はこの事件に影響されたのではないか?

資料が多くて全部を理解して読み通すには大変で、だいたいは清張の要約でわかると思います。怪文書も含めてよく資料を精査している。そこがまた歴史学会の専門家にはうざったいのかな。大胆すぎる推理とか。(2019/11/06


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