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朝顔や朝の決意は露のごと

朝顔見たらコンビニに行きたくなった。またアイスを買ってこよう。日記を書いてからか?

昨日は朝から映画館。『YOLO 百元の恋は中国版『百年の恋』なのだが趣旨が違ってダイエットボクシング映画になっている。中国の映画だけに金はかけているのだろうが、『百円の恋』のチープさとインディーズっぽさに欠ける。ジャー・リンは監督だったのか?自分で企画を持っていって成功させたのは『ロッキー』だったんだな。ただこの動画が映画の趣旨なのが悲しすぎ。

『百円の恋』を観ていなかったらダイエット映画として感動したかもしれないが、百円というチープさが重要なのだ。それを安藤サクラが演じていたのだから、ただのデブ映画ではないのである。

これはSNS動画の世界なんだな。女子プロレスのプロモーションみたいな。始めから約束されたスター・システムというような。その批判をTV番組のあなたをスターにします的番組の批判として描きながら自らがそうした映画になっている。

映画に対する熱意とスターになりたい熱意の違いというような。帰ってから『百円の恋』を観たが安藤サクラが演じているのは人生の落伍者なのだ。ボクシングシーンはほとんど焼き直しで、これはパクリ・レベルなんだが、最後のエンディングロールでプロモーションビデオのようなおまけ映像が敗者の映画ではなく、ハリウッド式の勝者の映画になってしまっているのが決定的に違うのだ。その違和感がある。

ぐだぐだしてしまった。今日はNHK俳句と短歌の日だから家でぐだぐだしていてもいいかな。涼しければいいのだけれど。

今日の一句。

朝顔や朝の決意は露のごと 宿仮

読書は『中上健次短編集』を読んだ。『千年の愉楽』が見つからず図書館で借りた。まあ、だいたい『千年の愉楽』で書きたかったことは書いているのだけれども。

『短歌と日本人VII 短歌の創造力と象徴性』岡井隆編「テーマII「文体」。「小説の文体」というと小説家の個性だが「俳句の文体」というと俳句のルール(コード)のようなものをイメージする。「短歌の文体」はその両方を含んでいるのかな。なかなか示唆に富む章だった。作中主体というのが、最初全然わからなかった。というかそんなもん必要なのかと。虚構性のものだろうが。その主体となる文学に反旗を翻しているのに。短歌だとそのシステムの中にある天皇制を考えてしまう。だから日本だけのものだとか世界へ広がっていかない内輪の世界になるような。今日の一首。

朝顔を
仏壇に飾り
萎れ花
仏も浮かばぬ
この罰当たりめが!

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