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こんばんは、ikeariです。
私はつい先日、2泊3日で娘と沖縄に行っておりました。

地元の人にとって、とても大切な場所をいくつも周り、地元の方の案内を聞き、個人的に思ったことを書きます。私が思ったことを、私が忘れないため、私のために書きます。

ただ、もし、誰かの心にも残ったのなら、その気持ちをどこか片隅に残しておいてほしい。
そう思い、noteにまとめることにしました。

沖縄のお墓

沖縄初日は雨が降り、地元のイオンで買い物。2日目は、手作りの体験をしたあと、沖縄本島の北、大石林山に行きました。その後、本島の西にある、美ら海水族館へ。

沖縄の端から端を運転している中、私には気持ちの良い違和感がありました。

それは、点在するお墓に、「怖い」や「気持ち悪い」といった感情を抱かなかったこと。
私は、"なんとなく気持ちの悪い場所"が分かる性質を持っていて、特に「ここは絶対やめた方が良い」というその場の空気を、敏感に感じ取る体質です。

そのため、地元のお墓を娘が指さそうものなら「やめなさい」と声をかけ、悪いものがついてきたりしないよう、なるべく見ないように過ごしていました。

しかし、沖縄のお墓は違う。
本州の墓石とはまるで違う、お家のような広々とした空間。そこにあるのは、静かで、”あたたかい”が過言であっても、決して冷たくはない、そんな空気。
娘が「あれは何?」と聞いてきても、「死んだ人が眠っている場所だよ」と穏やかに返すことができる。

「なんかいいなぁ」

それはお墓であるはずなのに、私が素直に思ったことです。

美ら海水族館の帰り道

娘を「美ら海水族館」に連れていったはいいものの、購入したお土産を即落とし、娘にイライラした私。少し薄暗くなってきた帰り道、窓を開け、Youtubeで沖縄メドレーを検索し、大きな声で歌いストレス発散しながら運転していました。

沖縄ならではの島唄が流れる中、誰もが聞いたことのある『さとうきび畑』が流れ始めます。「ざわわ、ざわわ、広いさとうきび畑は~」の、あの曲です。

この曲は、子どもの頃に学校で流れ「『ざわわ』って何?」と友達と笑っていた曲。大人になり、しっかりと聞いてみたのは初めてでした。

「あの日鉄の雨に打たれ 父は死んでいった」
「お父さんて呼んでみたい お父さんどこにいるの このまま緑の波におぼれてしまいそう」

隣で娘が眠る中、私は大きな声で歌いながら泣いていました。

薄暗くても分かる美しい海と、南ならではの緑の濃さが、より夜の黒を深めて、センチメンタルな気分になったからかもしれません。

泣きながら、思い出していました。和歌山のとあるお寺で聞いた話を。
「沖縄は、都会な場所でも、まだまだ掘り起こされてもいない骨がたくさん眠っていて、お坊さんがお経を上げながら町を練り歩くんです」

そう、沖縄は、戦争にとても近かった場所。

それでも町があたたかく、お墓まで冷たさを感じなかったのは、地元の方が戦争に向き合い、子どもにそれを伝え、死者を大切に慈しんできたから。

私は、自分の祖父のお墓を怖いと思ったことは一度もありません。
そこに眠っているのは、私の家族である祖父だから。祖父が眠るお墓を、恐怖の対象に見たことはカケラだってない。

沖縄で眠る方々は、きっと遠縁であっても、血が繋がっていなくても、それでも、地元の方が大切に慈しんできた。大切に大切にしてきた。だから、沖縄のお墓は怖くないんだ。沖縄の人が、血のつながりなんて関係なしに、家族のように大切に慈しんだ。だから、沖縄のお墓はおだやかな雰囲気が流れてる。楽しみながら買い物をした場所も、誰かが眠っている場所かもしれない。沖縄は、海がただ美しいだけじゃない。そういう、場所なんだ。

車を借りるとき、空港近くのレンタカー屋さんは言った。大きな音に「これ、飛行機ですか?近いですね」と笑う私に、「あぁ、これは軍機ですね」と。

なんで、そんなに大切に死者を慈しんできた人が、今も戦争に近い音を、ずっと、大きく聞いて過ごさなきゃいけないんだろう。

「じゃぁお前の地元に米軍がいてもいいのか」
そういわれたら、それは怖い。やめてほしいって思う。
それでも、なぜ沖縄だったんだろう。わかるよ、土地的に中国とかいろんな場所に行きやすいからだっていうのは。

沖縄の方は、「飛行機ですか」と笑って聞いた私を、どう思っただろうか。若い人だったから、なんとも思っていないかもしれない。でも、なんとも思っていなかったら、それだけ当たり前に怖い音がそばにあることが、より悲しい。

斎場御嶽にて


沖縄最終日、私は聖地とも呼ばれている「斎場御嶽」に行った。そこは、地元の方にとって、大切な祈りの場所。少しきゃっきゃしている、明らかに観光で訪れた女の子たちの横で、70代に見える女性2人が山に向かって真剣に祈りをささげている。

幼い娘がいるから、たくさんの方が娘を想い話しかけてくれる。
「ナナフシがいるよ、見てごらん」

私は初めて、ナナフシを見た。図鑑や映像でしか見たことがない虫。私は興奮した。

地元の方は、ナナフシを見ながら教えてくれた。
「ナナフシはね、地元の言葉で『ソーローウマ』という。死者の魂を乗せていってくれるから、聖なる場所にしかいないんだよ」

本当に、沖縄のナナフシが聖なる場所にしかいないのかは、正直分からない。

それでも私は、沖縄の方が大切に祈りをささげてきた場所で、祈りをささげている女性がいるそばで、死者の魂を運ぶナナフシを見た。

オオゴマダラという、黄金に輝くサナギも見せてくれた。
「昔、ここから砂金が出ると思ってずっと待ってたことがある」と笑って教えてくれた。

娘に何度も「静かに、大切に祈るんだよ」と教えながら、斎場御嶽をゆっくり歩いた。私には何もできないけれど、それでも、穏やかに祈った。

黄金に輝くサナギが蝶になったら、どんな姿なんだろう。

きょろきょろしながら歩いていると、斎場御嶽の最後の祈りの場所で、「あ、これがオオゴマダラだ」と、すぐ分かった。黄金ではないけど、太陽に透ける白い羽が、虹色のように輝いている。

私や娘の周りを、たくさんの蝶が飛んでいた。
祈りの場所に、集まっているみたいに感じた。

沖縄の方にとって、きっと、生きている方はもちろん、亡くなった方も、同じ家族なんだ。家族ではなかったとしても、家族のように、大切に祈ってきたんだ。

慈しみの、本当の意味を見た気がした。
私の祈りが、少しでも安らかに眠るために使われてほしい、そう思って、私も祈った。

戦争をなくすことなんて、できないかもしれない。
でも、だからといって、それを目指さないことは、今生きている私たちがするべきではない。
たくさんの方が戦争でなくなり、日本ではなくても、今もたくさんの方が戦争により亡くなっていること。それを、目に入る情報ではなくて、脳に、心に叩き込んで、「なくしたい」と自分の感情で思うことが大切なんだと思う。
何ができるわけでもない、それでも、戦争なんてなくなればいいと、本気で思って、思い出したときだけでも、祈って慈しむ。
そのあたたかさが、沖縄にはあるんだと思った。

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