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後輩書記とセンパイ会計、 逆夢の悪鬼に挑む

 開架中学一年、生徒会所属、有能なる書記のふみちゃんは、時代が違えば清少納言の親友にだってなれただろう。ふみちゃんは小学校時代、世の中の気になることを原稿用紙に書き綴り、それを枕にして寝るほどの上級者だったらしい。冬は、雪の積もった朝に「炭火を焚いて」と親にせがんだくらい筋金入りの国風文化人のようだ。
 しかし、いまふみちゃんの体に布団を掛けた一年先輩の生徒会所属、平凡なる会計の僕は、およそ吊り合わないほどの風流音痴で、数学が得意な理屈屋で、枕元に置いた眼鏡も見失うほどの視力だった。
 三月十三日。一応、明日は男子にとって重要な日と心得ている。思えば一ヶ月前、バレンタインを真ん中に挟む日程で行われたスキー教室。そこでちょっとしたことがあった後、僕はふみちゃんからホワイトチョコの家をプレゼントされたのだ。もちろん美味しく完食した。意味はともかく、手作りの家をもらったのだ。だったら僕は何を返そうかと悩んでいた。まあ、お返し自体が生まれて初めての悩みだけど。
 やっぱり本が好きだろうな――と思うが、相手が上級者だけに外しそうで微妙だ。それより、渡すタイミングを押さえなくては。
「ふみちゃんは来週火曜に何か予定ある?」
「数井センパイ、違います。春休みはまだです。ちゃんと学校に来ますよ」
といった変なやりとりがあり、先週末勇んでデパートに出掛けたのだ。
 勝手な想いから、永遠に続くものということで輪っか状のものを選んだ。まずはふみちゃんが好きなドーナッツを買い、部屋に置いてもらえる物もと思い、ムートンの白いクッションを買った。僕はこれも輪っかがいいと思ったが、店員さんから「お父さんにあげるの?」と聞かれ、いえ友達ですと言うと穴のないタイプに替えられた。終わりなき三・一四という意味で輪っかにこだわりたかったが、店員さんに従って穴のないものにした。
 で、そのクッションが――本来渡すべき日の前夜に、すでにふみちゃんの枕になっている。ふみちゃんは制服姿ですやすやと眠っている。なぜこうなったか、ここはどこかと言うと、開架中学にある茶道教室用の和室なのだ。ここまでの経緯はやや複雑である。

 まず、今日この和室に新しい畳が入った。ふみちゃんはその臭いが大好きで、いても立ってもいられず放課後に忍び込んだようだ。やがて、ふみちゃんから『センパイ、畳好きですか?』という謎のメールが届き、僕は様子を見に来た。で、畳に貼りつくふみちゃんを目撃。臭いをもっと味わうために布団をかぶせて欲しいと頼まれ、僕は押入れから備え付けの布団を出し、ふみちゃんの仔猫みたいに小さな体にかぶせ、満足するのを静かに待った。そしたら、すっかり夜が深まっていた。僕も寝てしまったのだ。
 入口の使用記録を書き忘れたので、見回りの用務員もよく確かめなかったようだ。新しい畳の臭いに吸い寄せられた生徒が寝ているとは思わなかったのだろう。僕もふみちゃんに掛けた布団の温もりに吸い寄せられ、うとうとして気がつかなかったのがまずかった。ミイラ取りが、という現象である。
「ふみちゃん、ごめんな……」
「センパイ、違います。これは新しい畳の導きですよ。絶好のチャンスです」
 意外にもふみちゃんは乗り乗りだった。いや、ただの畳好きか。絶好のチャンス――というのがどういう意味か気になったが、高揚を隠しつつ同意した。
 それから悪いことに、部屋に電気ストーブや給湯ポットやカップラーメンがあることに気づき、プチ家出的ないたずら心が二人に芽生えてしまったのだ。次に考えたのはアリバイ作りである。両方の親とも帰宅が遅いと感じているだろう。ふみちゃんと一致した答えは、元生徒会長の世界さんを抱き込むことだった。
 屋城世界さんは、親がつけた名前とは言え、世界を名乗れるほど寛容な人である。性別は男だ。走り幅跳びで県大会まで行った陸上部のエースだ。三年生の先輩で、四月からは高校生である。ふみちゃんの携帯から世界さんに電話する。すぐ出たようだ。
「もしもし、屋城センパイ?」
「どうした、迷子か? 家出か? 非行か?」
 電気ストーブがチリチリ燃える静かな部屋で、向こうの声もよく響いた。世界さんは実に勘が鋭い人だった。質問は脈絡がないが、どれも絶妙にかすっている。
「――訳は聞かず、今日屋城センパイのうちに泊まったことにしてください」
 ふみちゃんは潔いほどストレートな頼み方をした。僕は隣りで心臓が飛び出そうになる。
「今日と言わず明日もいいぞ」
 世界さんはまさに大物だった。何なんだこの会話は。
「ありがとうございます。実は、もうひとつお願いが……」
「勿論協力するぞ、どうした?」
 聞く前からOKを出す豪快さ。
「数井センパイも、今日センパイのうちに泊まったことにしてください」
 何か頼み方が恥ずかしい! 聞いてて顔から火が出そうになる。
「ははは、だったら、最初からうちで『会長お疲れ様パーティ』があると言ってくれたほうが話が早いじゃないか」
 えっ、ヤバイ、やって欲しかったのかな……と僕は動揺する。でも、ふみちゃんは電話口で明るく笑い返した。
「屋城センパイ、違います。それは春休みにちゃんとやりますよ」
「よし、頼んだぞ」
 楽しげな声を結びに電話が切れた。その後、僕は親に電話をし、久しぶりに嘘をついた。

 学校でカップラーメンを食べるなんて、年末の生徒会室の大掃除を思い出すようだ。あのときも大変だったが、ふみちゃんのために僕は頑張ったのだ。お腹が温まると、何となく落ち着いて素直な気持ちになった。
 実は、僕は明日渡す予定のドーナッツとクッションを今日のうちに学校に持ってきていた。ホワイトデー当日に大荷物を持っていると冷やかされそうで嫌だったのだ。そして、いざ渡すべき相手と二人きりの状況で勿体ぶっても仕方ない。僕はカバンに入った袋の中身を見せた。
 ふみちゃんは目を丸くして輝かせる。上目使いにぐいっと身を寄せてくる。息が当たるくらい近い。先輩としての理性が揺らぐ。
「――これは何の準備ですか?」
「……ふみちゃん、違うよ。たまたまだって」
「でも、絶好のアイテムじゃないですか。もらっていいんですか?」
 ふみちゃんがクッションを愛しそうに撫でる。
「君のために買ったからね」
 勢いで恥ずかしい台詞を口にすると、ふみちゃんは少し頬を赤らめて僕の顔を覗き込んだ。僕はお返しとして両方渡す。ふみちゃんは早速もふもふのクッションを胸に抱き締め、満面の笑顔をしてくれた。
「家をあげたら、家具をくれるなんて、センパイもなかなかですね」
 そんな発想はなかったが、喜んでくれたなら十分だ。いつもみたいに「違います」と即否定されないのも一安心。ふみちゃんは楽しそうにクッションに頬ずりして、僕のひざのそばにコロンと寝転んだ。もう眠いのかな。
「布団かける?」
「えへへっ、まだいいですよ。掛けたら寝ちゃいます。センパイ、もうちょっとおしゃべりしましょっ」
 僕は頷く。ますます照れ臭い。教室が明るいとバレるかも、とふみちゃんが言うので、蛍光灯を豆電球だけにした。電気ストーブの明かりが部屋をオレンジに染める。
「あっ――何だ、いたんだね。これはダメ! 絶対盗らせない」
 突然だった。ふみちゃんは今夜も突然だった。こんなタイミングに、どこかに何かがいるらしい。ふみちゃんに慌てる様子はないが、僕はもう気が気でない。文系の女の子に見えて理系の僕に見えない何かがあるのだろうか。あるとすれば探るしかない。
「えっ、何か……いるの?」
「寝込みの枕を狙うやつです」
 そういう類いに詳しくない僕でもそれは少し知っていた。いたずら好きの鬼か何かだ。ふみちゃんとよく話す間になってから多少ネットで調べるようになったのだ。だからと言って見えるものではないのだが。
「センパイ、守ってください」
 ドキリとする。畳に寝たまま、思いつめたように僕の顔を見入ってくる。
「まっ、守るって?」
「だから、枕ですよ。盗られると最悪の場合死にます。一緒に守ってください」
 そこから溢れ出す状況説明は雑だった。天井あたりに虎視眈々と睨んでいるやつが浮いていて、クッションを狙ってるのだという。もし奪われると一時的に魂が抜け、持ち逃げされると逆夢に引き込まれ、二度と目を覚まさないことがあるという。今までにない恐ろしい話だった。
「――ど、どうやって?」
 僕は気が動転していた。
「センパイ、枕はどうやって守るんですか?」
 抱くしかない――と僕は答えた。
「だから、それです。ほら早く、向かい側から……お願いします」
 僕は、急いでふみちゃんの正面に寝て、クッションごとしっかり抱き締めた。体温がつながって温かくなる。いやそれ以上に体が熱くなる。さっきまで天井を見ていたふみちゃんの瞳がまっすぐ僕に向けられる。もう天井のやつを見なくていいのだろうか。すごく真剣な表情なので、下手なことを聞けなかった。
「しばらく二人で守ったら消えちゃいますから。このままでいてください」
「あ、ああ」
「ゆるめないでくださいね。センパイが――わたしの大切な頼りですから」
 僕は心臓が激動するこの幸福な状態を一時間ほど続けた。やがて、ふみちゃんは「もう大丈夫です」と笑顔で囁いて、寝息を立てはじめた。腕をゆるめないように頑張った。理性がゆるまないようにも頑張った。どっと疲れが溢れ出る。
 そして、僕は電気ストーブを消し、制服姿のふみちゃんに布団を掛け、気づかれないようほっぺに少しキスをしたのだった。

 翌朝、早起きし、用務員が見回る前に生徒会室へ移動した。朝ご飯というのも変だが、二人でドーナッツを二個ずつ食べた。天井に浮いていたやつのことをもう楽しげに思い出話するふみちゃん。朝の笑顔がまぶしい。この子と一晩一緒に寝ていたなんて。それこそが逆夢だと疑いたい。
 それから、世界さんは何も電話して来なかった。本当に懐が広すぎる人だ。
 とりあえず、お返しはきちんとしたものの、変な邪魔があったせいもあり、ふみちゃんとは別に進展はない。卒業式と終業式が済み、『会長お疲れ様パーティ』の内容を考え、仕事を片付けてふみちゃんと帰るだけだ。
(了)

各話解説

 第四作目「逆夢の悪鬼」は、加楽幽明さんが編集長を務める競作掌編集『シンクロニクル弐號』(二○十二年五月六日発行)に掲載された作品です。題材は、これも比較的メジャーと思われる妖怪『枕返し』です。夜中に枕元に現れて枕を引っくり返すものですが、枕を返す意味は、夢を見ている人間の肉体と魂を切り離すという説もあります。
 この作品は、単独でも十分楽しめる内容にしていますが、第一巻に収録した、スキー教室が舞台の『一本の足跡』に対するアンサー作品にもなっています。何だよアンサー作品って……とイラッと来た方、すいません。ただやってみたかっただけです(笑)。
 他の三作はいずれもサブキャラが登場し、アクティブな展開ですが、この話は二人きりでゆるっとふわっとおしゃべりし続けるというデザート的な作品です。作者的には、他よりもふみちゃんを少し大人っぽく書いたような感覚を持っています。

 さて、第二巻もまた、後輩書記シリーズではあまり妖怪名を出しません。それによって、作中でそれが本当に存在するのか、それともしないのか、曖昧な形にしています。このシリーズは妖怪に疎い数井くんの知識レベルに合わせており、ふみちゃんの説明以外の情報が得られない状況で、物語が広がり転び着地するストーリーを基本スタンスにしています。このシリーズを読んでも妖怪には詳しくならないですが、数井くんが巻き込まれた状況を追体験しながら物語を愉しんでもらえると大変ありがたいです。


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