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後輩書記とセンパイ会計、北方の小人に挑む

 開架中学一年、生徒会所属、有能なる書記のふみちゃんは、時代が違えばアイヌ語の研究に生涯を捧げた民俗学者、金田一京助(きんだいち・きょうすけ)とともにアイヌ文化の調査に励んでいただろう。ふみちゃんは小学生時代、お父さんが集めていた日本各地の民族楽器を六年間でだいたい演奏できたほどの上級者だったらしく、特にアイヌの楽器ムックリ(口琴)がお気に入りだったそうだ。しかし、昨晩ふみちゃんの見た北海道の夢の話を聞く一年先輩の生徒会所属、平凡なる会計の僕は、およそ吊り合わないほどの民族文化知らずで、数学が得意な理屈屋で、金田一京助という学者が丸眼鏡だったことをふみちゃんに教わり、そう言えば丸眼鏡は一個も持ってないな、と思い返すくらいだった。
 ふみちゃんが昨晩見た夢とは、自分の背丈を越すほどの大きな蕗(ふき)の生い茂る中に迷い込んだというものだった。ふみちゃんは小学校低学年とよく間違われるくらい背が小さい。黒髪で、サイドを二つ結びにして白いリボンで止めている。前髪はきれいに切り揃っているから余計に幼い印象を与えるのだと思うけれど、ふみちゃんは「小さい」と言われるのを気にする割に、外見はいつも一緒だった。
「数井センパイ、違います。今日は腕輪をつけてるんですよ。その眼鏡、ちゃんと見えてますか?」
 先輩である僕の新調したばかりの眼鏡にケチをつけるとはいい度胸だけれど、ふみちゃんと生徒会室で会うと、ああいつもと同じ髪型だな、という感想しか浮かばなかったから、確かに腕輪は見落としていた。眼鏡を人差し指で上げよく見ると、草のツルみたいな不思議な模様が彫られた金具に編んだひもがついている。厄除けのようにも見える変わった腕輪だった。
「学校につけてきていいの?」
「えっ、数井センパイ、意外に固いんですね」
「固いも何も、僕は生徒会だよ。ついでに言うと、ふみちゃんもそうだよ」
 すると、ふみちゃんはつまらなそうに目を伏せてしまった。
「これ、銀河さんにもらった北海道のお土産なんです。よく似合うよって銀河さんに言われたので……数井センパイに見てほしくって……」
 僕が悪かった、と十回くらい頭を下げた後、ようやく巨大な蕗の話を進めることができた。ちなみに、銀河さんは女性で、僕たちの生徒会長のお姉さんで交友範囲のすさまじく広い大学生だ。今は九月上旬で二学期が始まったばかりだけれど、銀河さんは大学生だから日本中に旅行しているそうだ。北海道の阿寒湖の湖畔に行き、アイヌの伝統的な祭りを見てきたらしい。全部ふみちゃんからの説明だ。
「アイヌって聞いたことはあるんだけど、よくわからないんだよな。今もいるの?」
「数井センパイ、それは知らなさ過ぎです。もちろんいますよ! 銀河さんも会えたって言ってました」
 大学生の銀河さんはともかく、ふみちゃんの知識量は平凡な中学生の水準をはるかに超えている。何しろ一年中図書館でいろんな本を読んでいるのだ。しかし、なぜかその自覚がない。
「わかった、それは覚えるよ。で、蕗はどうだったの?」
「実はですね、この腕輪がうれしくて、昨日つけたまま寝ちゃったんですよ。それなのに、数井センパイは全然……気づかなくて……」
 とまた残念そうな顔に戻るので、僕はもう十回謝った後、腕輪がアイヌ紋様だという説明をしっかり受け、それから何とか大きな蕗の話を聞くことができた。本当は蕗の話もそれほど関心が湧かなかったのだけれど、聞かないで帰ると次の生徒会でふみちゃんに口を聞いてもらえない可能性があったので、それは回避したかったのだ。

 大きな蕗は、北海道の東部にある阿寒湖(あかんこ)の近くに流れる螺湾川(らわんがわ)の流域にあるそうだ。僕は阿寒湖の名前も知らなかったが、マリモがいる湖だと言われて神秘的で山奥深いイメージを持った。銀河さんは山巡りも大好きなので、いかにも行きそうだなと思う。ふみちゃんは逆にインドアなので、大人になっても一人では行かないだろう。
 阿寒湖の湖畔には『コタン』と呼ばれるアイヌの集落が残っていて、アイヌ文化が受け継がれている。アイヌ人が江戸時代に数万人いたが、現代では数百人まで激減してしまった原因は病気や災害でなく、昔の政治のせいだったそうだ。古くは室町時代から武士の最高位として【征夷大将軍】の位があったが、この征夷の夷はアイヌ人のことだった。つまりアイヌの討伐の責任者である。江戸時代も松前藩によって、製鉄技術のないアイヌ人の搾取は続き、アイヌ人の指導者コシャマインやシャクシャインによる反乱が起きたが鎮圧され、迫害行為はさらに厳しくなったそうだ。
 江戸幕府が倒れ明治時代になっても、同化政策と言われ、政府がたくさんの移民を北海道に送り、アイヌ人は強制的に土地を奪われ、生活手段である漁業を禁止され、呼びにくいアイヌ語の名前や地名をみんな日本語に変えさせられ、天皇崇拝を強要され、“土人”と侮辱されたといった歴史があるそうだ。そして、これだけ迫害しておいて、日本の政府はいまだに一度もアイヌ人に謝罪をしたことがないと言う。こういうことは本に精通したふみちゃんでないと人には説明できない。僕はただ相づちを打ちながら同調するだけだ。
 北海道の山なんて熊がいて鮭を獲ってるだけのイメージしかなかったから、温和な日本人が原住民の生活を奪うやり方をするのは想像しにくかったけれど、明治時代は北方のロシアとも大きな戦争をするほど領地拡大に積極的な国だったようだ。アイヌ人は、政府が国を強大にしたいがための犠牲者だったのだ。生まれる時代が違えば、自分の国がアイヌのような他民族やロシアのような他国と戦って勝ちに行く考え方を持っていた、というのは背筋が寒くなるくらい恐かった。
 螺湾川に生える蕗は、人の背を優に超えるそうだ。ふみちゃんが携帯の写メを見せてくれた。銀河さんの旅行写真だ。金髪に近い色のショートヘアで、タンクトップでヘソ出し全開でデニムのミニスカートをはいた銀河さんが大学の友達っぽい人たちと笑っている。後ろに巨大な蕗が何本もそびえ立っていた。二メートル以上あるのは間違いない。
「なるほど、これは確かにふみちゃんだと姿が見えなくなるね」
「数井センパイ、違います。みんな一緒です。私だけじゃないです」
 人間の背を超える植物の写真は正直恐かった。それをまぎらわすために、お約束の茶化しを入れつつ続きを聞いた。
 昨晩の夢は、きっとこの巨大な蕗だった――とふみちゃんは思い返す。蕗の奥で銀河さんの呼ぶ声がしたので中に入っていくと、そこにアイヌ紋様の衣装を着た髪の長い女の子が立っていたそうだ。頭にバンダナみたいな布を巻き、裾が長く足まで隠れる服を着て、腰に帯を巻いていたそうだ。草履をはいていたので、昔の人に思えたらしい。


①左_コロポックル


「その女の子、私の背の半分くらいだったんですよ」
「すると、僕の背の四分の一くらいかな」
「数井センパイ、違います。私はセンパイの半分以上あります!」
「ははっ、珍しく計算が早いね」
 ふみちゃんはそのとき、自分の体のまわりで愛用の花柄のしおりが飛んだ――と言った。実は以前にも不思議な出来事が起きたとき、花柄のしおりがバッグや本から飛び出し宙を舞うのだけれど、いまだにふみちゃんはそれについて説明しないし、僕も基本的に触れないことにしている。夢の話だし、何が舞ってもいまふみちゃんが目の前で元気にしているのだから問題ないのだ。ふみちゃんは普通に話し続ける。
「で、その女の子が言うんです。『あなたに会ってみたかった』って」
 僕は顔を曇らせた。
「会ってみたかった……? でも、ふみちゃんは会ってないよね」
「うん、会ったかもしれないのは銀河さんのほうですね」
「いや――銀河さんだってそんな小さい女の子に会ってるのかな? ふみちゃんの背の半分だろ? 幼稚園児にしたって小さすぎるじゃないか」
「数井センパイ、その言い方、何か気になります……」
 悪かったと三回言って、すぐ話を戻した。
「それからどうなったの?」
「挨拶をしたら、私の体が小さいからって、エゾシカの干し肉を分けてくれました」
「エゾシカの肉?」
 小さい女の子に小さいと言われたふみちゃんの気持ちは気になるが、夢だからいいか。それよりエゾシカは食べていいのだろうか。奈良の鹿は食べてはいけない感じだけれど。
「アイヌの人はエゾシカをよく食べるんですよ。銀河さんも阿寒湖の宿で食べたって言ってました」
 何となく……ふみちゃんの夢は、銀河さんの旅行の追体験みたいな感じだった。夢診断とかそういった怪しい本も書店で見かけることがあるけれど、僕は何の知識もない。ふみちゃんはどうして僕に夢の話をし続けるのだろうか。聞いてほしいだけなのかな。
「――それから?」
「その女の子の国に行きました」
 僕は少し身を乗り出す。急に話が大きく複雑になった。国? 銀河さんの旅行から想像できる域を超えてきた。
「どういうこと? 何があったの?」
「蕗の国です。国の入口に守り神の大きなフクロウがいて、乾燥した固い蕗を木材みたいに使っていくつも家が建っていて、小さな川があって、蕗のイカダがあって、そこで鮭を釣っていて、女の子と似た服を着た人たちがお祭りをしていて、仲よく歌ったり、火のついた矢を撃って焚き火をつけたり、それを囲んで踊ってました」
 僕は息を飲む。ふみちゃんが語り出す夢物語がまるで見てきたような、あるいはファンタジー映画でも見たかのような細かさなのだ。考えたくないが、まるでこの特殊な紋様の腕輪に不思議な魔力が宿っているみたいな少し背筋の寒くなる感覚だった。夢とはわかっているけれど。わかってはいるけれど。文系の女の子が夢で見て理系の僕には伝わらない何かがあるのか。あるとすれば探るしかない。
「フクロウ、鮭、火、お祭り……」
 しかし、想像力が追いつかず、ふみちゃんの口から出た物を繰り返すだけだった。僕の戸惑いをふみちゃんは感じてはいたが、そこから溢れ出す状況説明は雑だった。
「鮭は神の恵みの魚なんだって、その子は教えてくれました。言い伝えでは、鮭は神の国からやってきて、人間の国で食べものになり、また神の国へ帰っていくんだそうです」
「……なるほど」
 頷くしかない。蕗の国では、鮭をスーパーで買う感覚がないことはわかった。
「私がエゾシカの干し肉を食べられなくて困ってたら、鮭を煮たスープをくれました。それがとっても温かくて美味しくて、ちょっと歩いてお腹も空いてたからおかわりもしました。それから、その子が友好の証に『タマサイ』っていうガラス玉で出来た首飾りをくれたんです」
 僕はじっと聞く。ふみちゃんはガラス玉のようにキラキラ輝く瞳で語り続けた。
「私にも『タマサイ』の作り方を教えてくれて、どうしてそんなにやさしいのって聞いたら、その子は蕗の花言葉を教えてくれました」
「花言葉?」
「――愛嬌と、仲間、だそうです」
 ふみちゃんは明るい笑みを浮かべる。夢の中で足を踏み入れた国は、愛嬌に満ち溢れる国だったことは十分感じた。そして、歌い踊り暮らす仲間の集まり。
 でも、ふみちゃんはどうしてすぐに仲間になれたんだろうか。どうして蕗の国に招待されたのか。
 今までの話を振り返る。純粋なアイヌ人は、もうわずかしかいない。彼らにとってふみちゃんは仲間。学者並みの知識量。アイヌの楽器も演奏できる。あ――そうか。その瞬間、僕はひとつの考えにたどり着いた。
「もしかして、ふみちゃん……アイヌの言葉が?」
 すると、ふみちゃんは満面の笑顔で頷いた。
「数井センパイ、合ってます。私、ちょっとならアイヌの言葉もわかるんですよ」
 なるほど、それで――蕗の中から現れた女の子は、ふみちゃんに『あなたに会ってみたかった』と伝えたのか。この子は、長い迫害の歴史で排除されてしまった貴重な古の言葉を知っているから、巨大蕗を分け入って、その国に招かれたんだ。おそらく幻の、誰もたどり着けない不思議なところへ――。
 ふみちゃんは夢語りをこんなふうに結んだ。
「あれは、『コロポックル』っていう小人の精霊たちだったのかな、って思うんです」
 そういう小人の名前も僕は初めて聞いた。素直にそう言うとふみちゃんは教えてくれた。コロポックルは、強大な力を持つ人間を恐れ、いつも蕗の中に身を隠して生活をしているらしい。でも、コロポックルが信頼できると判断し、友達になりたいと思った人間の前ならば姿を見せることがある、と。
 つまり、その大きな蕗の茂る川に行ってなくても、ふみちゃんは信頼できる人だったから夢の中で出会えたのだろう。せめてもの御礼に美味しい鮭のスープと楽しい歌や踊りで迎えてくれたのかもしれない。人口も激減して山で静かに暮らしている彼らは、きっと戦いを好まない心優しい民族だったろうことは、ふみちゃんの話でよくわかった。
「楽しい、いい夢だったんだね」
 僕は素直に感想を言った。身長のことをからかい、最初に恐がったことを少し後悔する。
「でも、数井センパイ、いい夢とは少し違います。仲間に引き込む夢だったんです」
「仲間に引き込む?」
「はい。植物の蕗は、草の路と書きます。ふきは不帰、つまり帰らない――二度と帰ってこない、死を意味する言葉でもあります。死への路です」
 突然出た『死への路』という重く鋭い言葉で体がひやっとした。ふみちゃんは真剣な顔をしていた。
「だから、私が迷子になりそうなときは、センパイがちゃんと迎えに来てくださいね。いくら私がちょっと小さくても、見失っちゃダメですよ」
 いったい何の信頼感なんだろう。僕には蕗の国も不帰の路もどうせ見えないだろう。
「ああ、そこは任せてもらっていいよ」
 ふみちゃんはすっと小指を立てて差し出したので、僕は求めに答えて指切りをした。

 その晩、夕食後、ふみちゃんから携帯に電話が来た。夕食に鮭のホイル焼きと蕗の煮物が出てきて、偶然過ぎて恐かったらしい。蕗の国に入った夢は平然と語ってくるくせに、何でお母さんの料理の偶然にそんなに怯えるのか。ふみちゃんの基準が僕にはよくわからない。
「それは恐いね。で、残したの?」
 とりあえず僕は同調して尋ねた。
『いえ……全部食べました。残さず食べないと、大きくなれないと思って』
 まあ、ふみちゃんの背が大きくなる可能性は、僕が夢で蕗の国に迷い込む可能性よりも低い気もするけれど、この状況でまたからかうと電話越しに十回は訂正され、二十回は謝らないといけないので、「感心だね」と軽く答えておいた。
 ふみちゃんは銀河さんの腕輪のお土産の御礼に、夢で小人の女の子に教わったガラス玉の首飾り『タマサイ』を作ってみるらしい。だから、次の週末にパワーストーンの材料を買うのについて来てください、とふみちゃんに頼まれた。要するに買い物デートみたいなものだけど、ふみちゃんはたぶんストーン選びに夢中になって僕の存在を忘れると思うので、別に進展はない。それと、ただでさえ人並み以上に活動的な銀河さんが精霊の力を身につけたらもっと桁外れになりそうだなと思いながら、せっかくだし、もう少しだけふみちゃんと電話してぐっすり眠るだけだ。

(了)



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