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後輩書記とセンパイ会計、 不滅の陶器に挑む


 開架中学一年、生徒会所属、有能なる書記のふみちゃんは、時代が違えば、瀬戸物を再生した陶工・加藤民吉に茶碗を焼いてもらうほどの間柄にだってなれただろう。ふみちゃんは小学校時代、町内の陶芸教室で作った陶器が県のコンクールで最優秀賞をもらうほどの上級者だったらしい。しかも陶芸教室では、自分でうわぐすりや染料も調合して焼いたそうだ。そんなふみちゃんと雨避けで相合傘をしている一年先輩の生徒会所属、平凡なる会計の僕は、およそ吊り合わないほどの和物音痴で、数学が得意な理屈屋で、陶芸と言えばいつだったか体験教室で眼鏡にべったり泥がついた思い出しかない程度だった。
 九月九日、愛知県の瀬戸市で開かれた『瀬戸物祭り』の最終日である。その少し前のある日、陶芸教室の先生からチラシをもらったとかで、ふみちゃんが生徒会室で見せていると、生徒会長の屋城世界さんがガッツリと食いついたのだった。世界さんはすごい名前だが、性別は男だ。陸上部のスターであり、走り幅跳びで県大会に出るほどの実力者である。瀬戸物は歴史が長く、鎌倉時代までさかぼり、開祖と言われる加藤景正が道元という僧侶に従って中国に渡り、製陶法を日本に伝えたらしく、歴史好きな世界さんは道元の名前に熱く湧き立っていたが、僕には話を追うのも厳しかった。眠気を抑えつつ口を挟む。
「加藤カゲマサ……って、戦国武将でしたっけ?」
「数井センパイ、違います。戦国武将は加藤清正です」
 ふみちゃんは残念そうに目をつぶり、首を横に振った。そうか、さっき鎌倉時代と言ってたのに戦国武将なわけがないな。すると、世界さんが腕組みしながら渋い顔をする。
「ははっ、まったくトーシローだなぁ」
「屋城センパイ、違います。藤四郎は、加藤景正の通称です」
 ふみちゃんは横入りした。もう僕にはキヨマサなのかカゲマサなのか、何が合ってて何が違うのか整理がつかないが、とりあえずふみちゃんが瀬戸物祭りに行きたがっているのは伝わってきた。愛知なんて遠すぎるのでどうするのかぼんやり考えている間に、話はさらに進んだ。どうやら陶芸教室の先生は瀬戸市の生まれで、故郷にいる姪が今年の『ミスせともの』に選ばれたらしく、先生は今年それを見に行くそうだ。瀬戸には加藤景正をまつる神社があり、陶祖参拝を兼ねてふみちゃんも一緒に行きたいと先生に強くせがんで了解をもらったそうだ。
 なぜ、それをこの生徒会室で話すのか。ふみちゃんの小動物みたいな目と目が合った。
「数井、お前がついて行け」
「えっ。――えっ?」
 世界さんの突然の提案に戸惑う。
「お前、さっき景正を清正と間違えたことを神社で詫びて来るんだ」
「いや……別にちょっとした勘違いですよ」
「ついでに名古屋で加藤清正像にも詫びを入れたほうがいいな」
 何なのだろう、この流れは。僕の興味は関係ないのだろうか。ふみちゃんのほうを見ると、瀬戸物祭りのチラシや観光雑誌を楽しそうに眺めていた。世界さんが妙に押してくる。
「興味があるだろ?」
「え、えっと」
「数井センパイ、ほら、これが瀬戸物の歴史ですよ。読んで来てくださいね」
 文字数がやたら多い解説書を一冊渡された。カラー図解入り、日本の陶芸がこれ一冊でわかる、的なタイトルの本だ。持つとずっしり重かった。文字しかないページだらけだ。僕は文字が隙間なく縦に並んでいるだけで軽くめまいがする病気持ちなのだ。
「瀬戸焼を焼けるようになりましょっ」
 何を言っても押し切られる予感しかしない。
「う……うん、まあ、新しい茶碗でも買おうか」
「お揃いか?」
 世界さんが大真面目な顔をして茶化す。夏休みが明けてから何となくこの調子だ。この人、何か見たり聞いたりしたんじゃないだろうか。でも、その提案はちょっといい響きだった。僕はあくまで旅の思い出として、そういうのもありだなと思う。
「屋城センパイ、違います。焼けるようにするんです」
 それは僕にはハードルが高すぎる。

 陶芸教室の先生は、まさか名字が有田とは思わなかった。有田焼の有田。陶器の種類は、例の本をペラペラめくった程度で、にわか知識だ。あと、中の写真に登場する陶芸家はだいたい線の細い人だったが、有田さんは六十歳以上と言う割に、見上げるほど体格が良くて、白髪混じりの黒いひげもじゃだった。まるでテレビで見る戦国武将みたいだ。昔は警察官だったそうで、退職した今は町内で剣道教室もやっているらしい。『ミスせともの』に選ばれたという姪の人は――本人を見るまで想像するのは止めておこう。
 僕は学校の先輩ですと自己紹介し、有田さんのワゴン車に乗せてもらった。後部座席にふみちゃんと並ぶ。他の生徒もいるかと思ったが、誰もいなかった。ふみちゃんに聞くと、さすがに瀬戸まではみんな行かないらしい。というわけで――三人だけだ。最近このパターンが多い。しかも、陶芸の話がまったくできない僕が本当にここにいていいのか。不安いっぱいの心を乗せて、ついに車は出発した。
 長野を経由して中央高速道に入り、まっすぐ名古屋をめざす。ずっと山の景色だったが、パノラマみたいに秋色の高原が広がり、爽快な気分だった。有田さんも僕が陶芸に詳しくないことを知り、学校のことなどわかる話を聞いてくれた。サービスエリアに停まると、トンボがたくさん飛び交い、胸が空くほど空気が澄みきっている。
 有田さんが午前中のおやつにと、焼きたての五平餅を二人に買ってくれた。甘くて黒い味噌のタレで、ふみちゃんの小さな口元はべとべとになった。それを言うと、怒った顔をして洗面所へ口を洗いに行った。
「ふみちゃん、何で陶芸を始めたの?」
 再び走り出した車の中で、何となく聞いてみた。どうしてこんなに日本文化が好きなのか不思議なのだ。
「日本は物質資源が少ない国なんです」
 予想外に難しい話が返ってきた。本当に予想外だった。
「……鉄とか、石油とか、そういうこと?」
「他にもいろいろありますけど。センパイ、『もったいない』って言葉は日本生まれで、世界でも使われるんですよ。日本では、物にはみんな神様や精霊が宿っていて、捨ててはいけないんです」
 うん、と僕は頷いた。ふみちゃんは両手でまるでツボを持つような仕草をする。
「焼き物の材料は土です。物質資源は少ないけど、掘った土を芸術的に美しく焼き、日用品としてみんなが使うって、日本のいいところですよね」
 陶芸を始めた理由ではない気がしたけれど、ふみちゃんはそう思って答えているのだろうか。この前渡された本を読めばそういうことが書いてあったのかな。
「ふみちゃんは……いろいろ考えてるんだね」
 有田さんが運転席から声をかけてくれた。
「いやー。数井くん、心配するな。ふみちゃんの話はさ、他の生徒もわからないよ」
「有田先生、違います」
 ふみちゃんは僕に対してふくれっ面をする。なぜ僕に対して。
「芸術的かぁ。そうだね、焼き物ってきれいだよね」
「数井くん、日本の物は――作った人の技がこもっているんだよ。それが、物に神様や精霊が宿るってことかもしれないな」
 確かに洋食の白い食器に比べて、いろいろな絵柄がある日本の食器は、人が作ったことがよくわかる気がする。見た瞬間、誰かがこれを作ったと感じて、捨てにくい気分にさせるのかもしれない。有田さんは続けた。
「例えば、プレゼントをもらったとき、御礼の言葉にも違いがあってさ。外国の人は『やったー! これが欲しかった!』って喜ぶんだけど、日本人は『大事にします』って言うんだよ」
「そうなんですか」
「だからな、お嫁さんをもらうときも、日本の男だったら『大事にします』って言うんだよ? 数井くん」
 もう陶芸の話から離れていたけれど、ふみちゃんと並んでその言われ方をすると変に恥ずかしかった。
 一方、ふみちゃんはトートバッグから焼き物の本を取り出し、ひざの上で開いた。まさにそこが瀬戸物のページだと言わんばかりに、愛用している花柄のしおりが挟んである。僕の顔をちらっと見る。どうやら僕が日本文化に関する話を聞く構えができたと思われたようだ。それから、ふみちゃんから瀬戸の加藤民吉がいかに苦労して瀬戸物生産を復興したか、それが九州の唐津焼き中心だった日本陶器の勢力図にいかに変化を起こしたか、などをこんこんと説明されたが、僕のキャパシティでは生返事をするのが精一杯だった。

 車が瀬戸市に入ると、道は予想以上に混雑していた。同じ方向へ歩く人の数が多く、路地からも人が出てきて集まり、どんどん増えていく。天気がいいせいもあって、道行く人は夏の格好でゆったりと歩いている。自転車でさえ走りにくそうだ。有田さんが苦笑する。
「これはみんな瀬戸物祭りだなぁ。もう、この辺で車を停めて歩くか」
 正直、僕は瀬戸物祭りをもっとこじんまりしたものだと思っていたが、全然そうではなかった。瀬戸生まれの有田さんの話では、商店街を中心にかなりの広さで瀬戸物の店が並び、その間にはいろいろな食べ物の屋台も出て、ミニコンサートやパレードなどもある大きくて賑やかなお祭りだった。
「それに――ここは買い手と売り手の〝戦場〟なんだよ」
 車を下り、有田さんは意気揚々と腕まくりした。この安売り市ではお店の人と値段交渉をしながら瀬戸物を買うそうだ。
「お店と競り合うんですかー。矛と盾の話みたいですね。ワクワクします」
 なぜかふみちゃんも興奮ぎみに一緒に腕まくりする。ホコって中国の古い武器だったか。いや、瀬戸物市に武器は出てないと思うが。この二人は先生と生徒だけど、勇ましい祖父と、真似っ子の可愛い孫のコンビに見えた。ということは僕も孫に見えるんだろうけれど。
「待った。買い物にはちょっと時間が早い。まずは腹ごしらえだな!」
 瀬戸焼きそばの店に入り、三人前を注文した。ソース焼きそばと違って、醤油の香りがすごくしている。五平餅も食べたので大丈夫かとふみちゃんに聞くと、「あれは昼飯前です」と答えた。それはまったく間違ってないが、とにかく一人前食べられるということはわかった。
 瀬戸焼きそばがテーブルにすぐ届いた。器も瀬戸物で、中華風のきれいな絵柄が描いてある。ねっとりモチモチとした麺だ。有田さんはあごひげも気にせず、うれしそうにガツガツ食べる。瀬戸焼きそばは、蒸した麺を鉄板の上で醤油のダシをかけて焼くそうだ。豚肉がたくさん入っていて、醤油ダレも濃厚な肉の味がして美味しかった。
「ふみちゃん、どう?」
「はい、美味しいです。お肉が多くて……多くて……お腹いっぱいです」
 やっぱり半分くらい残っていた。僕も一人前で十分だった。有田さんが笑って遠慮なく全部もらっていく。

 昼ご飯が終わり、買い物の前に『ミスせともの』発表会を見に行くことになった。道が広くないので迷子にならないように、有田さんがふみちゃんの手をつなぎ、僕もふみちゃんと手をつないだ。手のひらに汗がにじんでいる。熱くて、やわらかい。日差しに照った体から汗がふき出す。人にぶつかったり足を踏んだりしないように注意しながら、商店街を通り抜けて会場へ向かった。
 確かに、有田さんの言った買い手と売り手の戦場という雰囲気だった。スーパーで値段の決まった食品やオモチャをカゴに入れる感じとは全然違う。ここでは、大きなザルや木箱に入った瀬戸物を手に取ってじっくり品定めしている人や、お店の人にあれこれ聞いている人が多く、またその後ろで話を聞き入っている人もいた。観光地でお土産を買っている感じではない。
「みんな真剣だろ? 店によって柄がひとつひとつ違うからな。だから、面白いんだ」
 広い場所に出ると、音楽やマイクを通した声が聞こえてきて、『ミスせともの』の看板が出ていた。和服を着た人だかりが出来ている。ようやく有田さんが姪に会えるのだ。係の人に身内ですと挨拶すると、すぐステージの裏に案内してもらえた。僕たちは身内じゃないけれど、おとなしくついて行く。
「おっ、いたぞ。いまり!」
 有田さんが大声で呼んだ先に、白い巫女服に身を包んだ若い女の人が三人立っていた。手が隠れるほど袖が長く、袖口も大きく広がった和服だ。赤い鶴の柄が刺繍されている。有田さんの声で振り向いた女の人がいた。サラリときれいな長い茶色の髪で、後ろで束ねている。
 戦国武将みたいな姿形の有田さんから想像したのを後悔するほど、美しい人だった。
「うそっ、おじさん! ほんとに来たの?!」
 巫女姿でぴょんぴょん跳ねた。有田さんからは車の中で、駅伝よりも大きいタスキをかけていると聞いていたけれど、それはなかった。
「嘘じゃない。行くって電話しただろ」
「えー。発表披露会は昨日だったよぉ」
「何だそうか。まあ、いいんだ。いまりが今日も出てて良かった。こんな可愛い姿を見れて俺は幸せだ」
 有田さんが頭を撫でると、えへへっと舌を出していまりさんが笑った。離れて暮らしているのに、すごく仲良しだなと感じる。有田さんの明るさがいまりさんにもつながっているのだろうか。そして、僕たちは陶芸教室の生徒と紹介された。帰ったら僕も入れられそうな流れだ。
 ちなみに、いまりというのも九州の陶器の種類だった気がする。ふみちゃんにそっと質問すると、ビックリするくらいの笑顔で頷いた。いや、違うって。「ついに数井センパイも陶芸の道に?!」的な反応をするな。変にその気にさせてしまうと胸が痛んで仕方ない。
 いまりさんが楽しげに今日の目玉を説明してくれた。
「この後、陶彦神社への奉納行列があるよ。ここから出発だし、おじさん、心細いからそばについて来てね」
 有田さんの袖を引いて甘える。いまりさんが言ったスエヒコとは瀬戸物の開祖・加藤景正のことで、その神社にまつられているとふみちゃんが説明してくれた。そこに参拝することが今回の目的だった。いまりさんが瀬戸物にやたら詳しいふみちゃんに興味を示す。
「何かこの子もすっごい巫女服とか似合いそうな感じね」
「あっ。うちは家が神社なんです」
「ほんとっ? 可愛いー! 本物の巫女さんなんだー」
 可愛いってそういう使い方するのかな。ふみちゃんは照れ臭そうに少しはにかむ。
「いまりさん、違います。今日は陶芸家の弟子です」
「そっかそっかー。じゃあ、十八になったら『ミスせともの』に応募しなよ。絶対クイーンになっちゃうよ」
「えっ……はい、頑張ります」
 何を頑張るのか。ふと頭の中で、十八歳のふみちゃんを想像したが、身長はあまり変わらない気がした。たとえ小魚や牛乳を百倍摂取したとしても――だ。人を造った神様が成長を許さない気がする。
「数井センパイ、違います」
「な、何が?」いきなり意表を突かれた。
「身長は伸びます。きっと、追いつきます」
「へっ――誰に?」
「センパイですよ」
 ふみちゃんはなぜか僕に対抗心を燃やしていた。よし、いいだろう、帰ったら保健室で現実というものを教えてやろうじゃないか。

 陶器を奉納する行列が始まった。『御物奉公大行列』という立派な漢字が書かれた旗を先頭に、たくさんの人たちが和服やはっぴを着て、ぞろぞろと歩き始めた。笛や太鼓の和楽器を演奏する人たちや、いまりさんたち『ミスせともの』三人も旗の後に続く。その横を同じ歩調でお客さんたちも歩く。僕たちもいまりさんの横にぴったりくっついて陶彦神社をめざした。
 毎年、神社に瀬戸物を奉納する決まりがあり、それを収めた木箱に棒を差して運ぶそうだ。後ろで白装束の男の人が棒で担いでいる。頭にかぶっている黒い三角帽子は烏帽子というとふみちゃんが教えてくれた。本当に何でも知っている。
 買い物に熱中しているお客さんも、行列が近づいてくると笑顔で手を振ってくれた。いまりさんは沿道のみんなに手を振って笑顔を返す。
 何もない。今回は何もない――と僕は思った。
 ざあぁっ!! といきなり雨が降り出した。でも、空は晴れている。変な雨だった。
 有田さんはやっぱり降ったな、とつぶやく。やっぱりという言葉は、沿道のお店の人たちも口々に言ってる。えっ、それは何なんだろうか。あんなに天気だったのに? でも、急に起きたのはそれだけではなかった。
 突然の雨に驚いた少年の何人かが声をあげて駆け出し、白装束の男の人たちが担いだ木箱にぶつかってしまった。いきなりの激しい雨で慌てたせいもあるかもしれない。木箱が地面に落ちる。
 箱はひもでしっかり封がされていた。ただ、雨の音に混じって、ガチャン! と近くにいた誰もが聞き取れる音が鳴った。いや――割れたのは箱の中身かどうかわからない。ぶつかった子の一人がビニール袋に入った瀬戸物を道に落としたのだ。紙に包んであったみたいだけれど、落ちて割れたか、転んで踏んだか、とにかくビニール袋から焼き物の破片が出ている。少年たちが雨の中、立ち尽くす。転んだ子は泣き出す。
 行列は凍りついた。白装束の男の人たちは何より先に奉納の箱を持ち上げ、雨に濡れない場所に移動し、中身を確認している。ぶつかって転んだ子は、そばに親がいないようで、袋から飛び散った中身をかき集めようとする。その上に雨は激しく落ちている。行列のみんなは濡れないようにテントや店の中に逃げ込んだ。いまりさんは僕たちの姿を見て、巫女服の袖で雨からかばいながら、店のひさしに入れてくれた。店の人が傘を貸してくれて、一本はいまりさんが差し、小さな僕たち二人は相合傘をした。肌と肌がつく距離だ。
 道の真ん中を見ると、残っているのは有田さんだけだった。
 泣きながら瀬戸物の欠片を拾う子を一緒に手伝っている。傘を持った女の人が駆け寄り、有田さんに一本渡したが、それを道に置き、泣いている子の背中をさすっていた。破片は集め終わったみたいだが、腰が抜けて立ち上がれないのかもしれない。女の人は、その場で二人に傘を差していた。雨はまだ弱まらず、みんなは沿道からそれを見守っている。
 そのとき、白装束の人たちが木箱を抱えて困惑する声が聞こえてきた。
「布で包んでたけど、ちょっとヒビが入ってるなぁ。どうするか」
「だけど、毎年一個と決まってるから、急に替わりってのも――」
 それを聞いて、いまりさんが悲しい顔をした。
「やっぱ割れちゃったんだ……」
 一方、いまりさんは心配そうに有田さんの背も見つめる。僕は横のふみちゃんにそっと聞いた。
「ふみちゃん、奉納するやつが割れたらどうなるの?」
「わ……わたしもわかりません。たぶん取り替えて捨てるのは、あいつが、ゼッタイ納得しないと思います」
「あいつって?」
「瀬戸物の、武者です」
「――えっ、誰って?」
「大将です」
 ふみちゃんがいつの間にか、僕の顔でもない、有田さんでもいまりさんでも木箱でもない、何かを見ている。僕はここ――陶彦神社の鳥居前で、おそらく誰にも見えていない事態が起きていることに気づいた。ふみちゃんのバッグに入った本に挟まれた花柄のしおりがくるくる狂ったように舞い出して、鳥居のほうへふらふら向かおうとした。僕は慌てて自分のバッグで捕獲する。ただ、ふみちゃんは鳥居の下を一点凝視していた。
 さっき瀬戸物の武者とか口走ったか? 待てよ。どうしたんだ。文系の女の子に見えて理系の僕に見えない何かがあるのだろうか。あるとすれば探るしかない。
「神社に……何か、いるのか?」
「鳥居の階段で仁王立ちしてます」
「……陶祖的なものか?」
「センパイ、違います。藤四郎は陶工。あれは瀬戸物そのものです」
 そこから溢れ出す状況説明は雑だった。体が瀬戸物で出来ている甲冑の武者が、雨に濡れながら奉納行列をじっと見つめて立っていると。トックリとか、絵皿とか、カンナベとか、丼とか、小皿とか、レンゲとか――だと。絵皿や丼の大きさは想像できる。そのサイズの置物みたいなものが神社の鳥居の下にあるどうかは、人混みや雨降りでよく見えないが、たぶん晴れていても空いていても見えないものだろうと感じた。
 雨をかき乱すように風が吹く。有田さんも奉納品の破損に気づき、転んだ少年を傘で守りつつ、すくっと立った。
「割れましたか?」
 勇気ある一言だった。その場のみんなが知りたいが、恐くて聞けなかったことだ。
「そうですね。少しヒビが入りました」
 白装束の男の人が答える。
 通り雨が少しずつ弱まってきて、みんなのざわつく声が大きく聞こえるようになった。僕たちに傘を貸してくれたお店の人も溜め息をつき、奉納品が割れたことを不安がっていた。別の店のおじいさんが人垣の前に進み出て、苦しげな声をこぼした。
「割れたものを奉納していいんだろうか。こんなこと、初めてだぞ」
 その一声でまたみんなが騒ぎ出す。たとえ信心深くない僕でも、神社への奉納品が割れて困った状況は十分わかった。ぶつかった子は怯えるように有田さんの後ろに隠れる。その子を責める雰囲気はないが、止まらない雨が余計にみんなを不安にさせているような気がした。
 そのとき、ふみちゃんが隣りでつぶやいた。僕にしか聞こえないような小声だった。

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「あっ、瀬戸物の武者が……有田先生の足下に……」
 有田さんは「まあまあ」と声を少し張りあげた。
「私も陶芸家の端くれです。ここには、私より熟練で目利きの立つ方もいらっしゃるでしょうが、すいません、代表でちょっと見せてください」
 陶芸家という言葉が坂道に響いた。白装束の人が木箱を持って、有田さんに見せに行く。有田さんはまるで剣を置くように、傘を畳んで足下に横たえた。両手でしっかり鑑定するようだ。
「――矛を置きましたふみちゃんが意味不明な実況をする。瀬戸物の武者というのは、まだ有田さんの足下に見えているのだろうか。
「今年のは蜀錦なんですね。これは『桃園の誓い』の場面ですか。ほんと、惚れ惚れする素晴らしい品です。奉納しないのは、実にもったいない」
 あたりは静まり、じっと耳を傾けている。雨がまた少し強まる。しかし、有田さんは悠然としていた。
「いやぁ、それにしても蜀錦とは運がいいです」
 僕は『ショッキン』についてふみちゃんに聞いた。古代中国の三国時代、蜀の都で作られた美しい布で、花や鳥や獣などのきれいな模様が入っているらしい。蜀がピンと来なかったが、『三国志』の魏・呉・蜀と言われてゲームのCMイメージが頭に流れた。それにしても、ふみちゃん、何でも知ってるな。
「……運がいい?」
 白装束の人が聞くと、有田さんは奉納品を木箱に戻し、ふたをした。
「いや、言い方が悪かったかもしれません。実は、瀬戸物に宿る九十九神は、蜀の大王・曹操にとても恩義を感じていた武将・関羽の化身だという逸話があります。したがって、この見事な蜀錦模様の焼き物をないがしろにしては、かえって機嫌を損ねるかもしれない、ということです」
 雨の中、朗々と語る有田さん。みながその声に聞き入っていた。
「ここの神様は、陶器の神様。これだけの一品を作る重みはよく知っておられるでしょう。はるか西の大陸へ渡って我が国に新しい産業を持ち込まれたんだ。奉納品が割れ物だからと腹を立てるような小さな器じゃないでしょう」
 うんうん、と頷く声が出はじめた。
「そして、瀬戸のみなさんはよくご存じだと思いますが、今日のこの――瀬戸物祭りの雨は、九州から製法を盗んできた加藤民吉の妻の、恨み、嘆きの涙だと言われます」
 民吉は瀬戸物を再興した人だったと思い出したが、製法を他から盗んだのは驚きだった。「えっ」という声を僕が出すと、隣りでふみちゃんから「えっ」と返ってきた。しまった、予習してこなかったことがバレてしまったか。
「センパイ。何か、お祭りの日に嘆きの雨が降るっていうのは、悲しいですね」
 ふみちゃんが沈む気持ちはよくわかる。
「……でもさ、いつもいいことばかりじゃない。悲しいこと、困ったことは起きるよ」
「――センパイ」
 いつもいいことばかりじゃない。
「だけど、そのときどうするか考えて動ける人は、大事なものがわかってる。ちゃんと信念があるんだよ」
 僕は有田さんの姿を見つめて言った。
道の中央で、有田さんはまた周囲をゆっくりと見渡し、明るく語りかけた。
「妻が世を恨んだ理由は記録に乏しく、諸説あると言われます。とにかく、今は後世、雨は因縁なのです。妻の涙雨ならば、今日は夫婦の仲を結ぶ瀬戸物でも探しませんか」
 周囲からそうだな、という声が出て、落ち着いた空気が広がった。雨粒も弱まる。
「実は――私も、来月から長期療養が始まる妻の励みに、新しい夫婦茶碗でも買ってやろうと、生まれ故郷の瀬戸にやって来ました。きっと、これも巡り合わせの雨です」
 しん、と静まり返る。
 そうだったんだ、と小声でふみちゃんに話しかけたが、ふみちゃんは黙ったままだった。
「さあ、奉納行列を続けましょう。恩義を、一品を、大事にしましょう」
 話が終わると自然に拍手が巻き起こった。通り雨が去り、参道の坂道をまた強く日差しが照りつける。ふみちゃんの話だと、瀬戸物の武将は行列の中にまぎれて消えたらしい。有田さんが助けた少年も泣きやんで、白装束のおじさんたちに謝り、また友達の輪に戻っていった。いまりさんも有田さんと鳥居の前でうれしそうに並び、写真を撮ってもらっていた。
 和やかな雰囲気で、奉納の儀は無事に済んだ。
 その日、夫婦茶碗がどの店でも飛ぶように売れたそうだ。

 帰りの車の中で、ふみちゃんと揃いの茶碗と箸置きを袋から出してじっくり眺める。参拝後、有田さんが瀬戸物市で目利きと値段交渉をして、僕たちに揃いの茶碗を買ってくれたのだ。店の人はさっきの語りを聞いていて、もうそれくらいなら無料でもいいよ、と気前よく言ってくれたのだが、有田さんは「あれは捨てるのが惜しいという神様の気持ちが何となく聞こえただけで、それはもったいない」と丁寧に断って、しっかり値切ってお金を払った。店の人は「じゃあ、その子供さんたちに」と言って花の形をしたピカピカ輝く箸置きを一個ずつ付けて包んでくれた。
 ふみちゃんは茶碗と箸置きをもらったときは跳ねるほど喜んでいたけれど、なぜか車に戻ったら浮かない顔で、口数もぐっと減っていた。疲れたのだろうか。高速道路に入り、夕闇がだんだん迫ってきたころ、ふみちゃんが運転席に向かって尋ねた。
「あの……おばあちゃん先生、病気なんですか?」
 そうか、それが引っかかってたのか。すると、有田さんは背中で答えた。
「ああ。いいや、病気じゃないぞ」
「えっ?」
 僕も揃って聞き返した。
「あれは、口上だ。妻のくだりはね、ちょっとした芝居だよ。関羽は実直な人物と言われるが、事を収めるために、時には同情を誘うような口上だって戦場で打ったかもしれないなぁ。あの場で、何かそんな気がしてさ」
 僕にはまったくピンと来ない言い方だったが、故事のわかるふみちゃんはかなり納得したようだった。まあ、とにかくふみちゃんの顔色が晴れたのならば、それでいい。
 話も終わり、手元に出した茶碗と箸置きをまた包みにしまおうとすると、ふみちゃんが何となく寂しげにそれを見ていた。
「センパイ。お茶碗、せっかくお揃いなのに、別々になっちゃいますね」
 ん? 何を言いたいのだろうか。迷う。
「……うん、まあ、そうなんだけど。これから僕はこれを使うよ?」
 すると、ふみちゃんはパッと満開の笑顔になった。
「はい、わたしも使います!」
 買ってくれた有田さんにも聞こえていると思うが、有田さんは何も言わなかった。
 ふみちゃんは自分の茶碗を両手で包み込む。
「センパイ、お願いです。ずっと、ずっと、大事にしてくださいね」
 胸からしぼり出すように、目を見つめながら言われた。
「うん。――ちゃんと、大事にするよ」
 でも、この言葉は有田さんに言うもんじゃないかな、と心に感じつつ、夕陽に赤く染まるふみちゃんの頭を撫でて、僕は思い出の一品を包み紙にしまった。
 一品の恩義と重みがある瀬戸焼きの立派な夫婦茶碗と箸置きをもらったわけだが、ふみちゃんとは別に進展はない。家の近くで車から下り、有田さんに御礼を言った後、ふみちゃんが家の神社の前で満足げに手を振る姿を見送るだけだ。

(了)


各話解説

 第二作目「不滅の陶器」は、これも新刊用の書き下ろしです。瀬戸市の観光関係者くらいにしか通じないネタ満載ですが、今年二○十二年は『陶祖八百年祭』が開催されており、陶器の九十九神『瀬戸大将』は、まさに今取り上げなければならない(と私が勝手に意気込んだ)妖怪です。
 瀬戸の地名については、瀬戸内海のイメージが一般的には強いため、愛知であることを知らない人が多いと思います。ちなみに、いわゆる「瀬戸物」は瀬戸だけでなく、京都など西日本各地で広く製造されています。
 私は子供の頃から瀬戸物の茶碗で食べるごはんが好きで、大人になっても例えば居酒屋で料理が瀬戸物の皿に盛られて出てくるとより美味しく感じます。世間ではグローバル化などと言いますが、そういう時代こそ、日本古来の精神と器物を尊重し、大量生産の洋食器とは違う、ひとつずつ技の宿った瀬戸物も愛用してほしいと思います。
 瀬戸の窯業は過去に廃れかけ、長い年月をかけて再興されたそうです。だからこそ瀬戸大将は闘将であり、今回は不滅をテーマにしました。鳥山石燕の『百器徒然袋』の絵は、関羽にたとえた割に、妙にコミカルな表情なので、芯が強くは見えないんですけどね(笑)。ともかく、主人公二人が日本文化の深みを見つめた感慨深い一作です。
 なお、瀬戸市の祭りは、春の『陶祖祭り』と秋の『せともの祭』があり、前者は御物奉納大行列、後者は特売市やミスせともの発表披露会が目玉ですが、本作は両方混合した祭りとして描写しています。機会があれば(ミスせとものの巫女姿という眼福を含め)足をお運びくださいませ。

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