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後輩書記とセンパイ会計、 列車の消失に挑む

 開架中学一年、生徒会所属、有能なる書記のふみちゃんは、時代が違えば鉄道王・ハドソンの秘書にだってなれた――は言い過ぎか。ただ、ふみちゃんは小学校時代、自由研究で日本の鉄道文化史をみっちり書いて、それが鉄道雑誌の企画で入賞するほどの上級者だったらしい。その割にふみちゃんは自転車にも乗れず、ただの本好きで、歩いて行ける近所の図書館に通うだけで、電車にあまり乗ったことがないというから驚きだ。
 しかし、いまふみちゃんと並んで線路脇の夜道を歩く一年先輩の生徒会所属、平凡なる会計の僕は、およそ吊り合わないほどの鉄道音痴で、数学が得意な理屈屋で、さっき起きたことを眼鏡のせいにしようとする冷静な感覚の持ち主だった。
 さっき起きたこととは――電車が消えたことだ。
 隣りを歩くふみちゃんも……今のは気づいたはずだ。ただ、何も言ってこない。
 今日は、ふみちゃんから遠くの図書館に行きたいと頼まれ、自転車の後ろに乗せて一緒に行ったのだ。ふみちゃんは背が小さく、黒髪を両サイドに分け、白いリボンで結んでいる。前髪を切り揃え、素朴でふんわりした感じだ。
 図書館に着くと、ふみちゃんは書庫の奥へずんずん入って行き、僕はそれに付き添うのはやめ、漫画を読んで時間をつぶした。そのうち陽も落ちて夜が深まり、閉館時間になって、僕は書庫から満足気に弾み出てくるふみちゃんをロビーで待った。帰り道、コンビニで飲み物を買って、線路脇の道を二人で歩いていた。
 そんな、十月十四日。電車に詳しいふみちゃんの話では、日本初の鉄道が新橋と横浜間で開業した日だそうだ。ただ、当時の新橋駅は後に貨物駅となり今はないとか、当時の横浜駅も今は桜木町駅に名称が変わり……とか説明されても、さっき見たもののせいで頭に入らない。
「――そっか、電車の日か」
 それが……消えたんだけれど。
「数井センパイ、違います。鉄道の日です」
 ふみちゃんが訂正する。鉄道と電車の違いとかはどうでもよくて。さっき電車が消えたのが、まさか僕だけに見えたってことはないよな。
 実は、ふみちゃんと一緒にいると、たまに不思議なことが起こるようなのだが、ふみちゃんに見えるらしいものが僕には見えないのだ。いや、僕だけでなくその場の誰にも見えていない。で、ふみちゃんは僕に前置きなく大雑把に説明してくるのだが、今はそれがない。
「ふみちゃん、ちょっと聞いていいかな?」
「はい」
「あのさ、電車って――消える?」
「消えますよ」
 まさかの即答だった。軽く首を傾げ、当たり前のことを聞かれたような、きょとんとした表情をする。いや、されても困る。
 僕が見たものとは、二台の電車がすれ違った瞬間に起きた。進行方向が同じ電車は、僕たちを追い抜き去って行った。一方、向こうから来た奥の電車は、手前の電車とすれ違った後、なぜか姿が現れなかった。走行音も消えたのだ。
 僕はやっぱりこのままはおかしいと思い、立ち止まる。ふみちゃんも足を止めた。目を見て、もう一度聞いてみる。
「なあ――電車って消えるの?」
「消えますよ」
 ふみちゃんは同じ早さで答えたが、理解不能だった。
「……どうやって?」
「タヌキの仕業かな、と思います」
 まったく答えになってない。タヌキは動物園で見たことはある。が、あの黒いのが何をどう頑張れば電車が消えるのか。
「タヌキが、電車を、消す?」
「数井センパイ、違います。正確には、タヌキが電車の幻覚を見せるんです」
 頭が痛くなってきた。タヌキが人を化かす昔話はあるけれど、電車の幻を人に見せて消すなんて大掛かりなのは初耳だ。どうしようもなく混乱する。いや……だけど、本当に僕は見たのか? 電車が消えたことを、自分で信じられるか?
「センパイ、顔色が悪いです」
 青くしおれた僕の顔を覗き込み、ふみちゃんが言葉をかけてくれた。
「大丈夫だよ」
 自分にも言い聞かせる。声が弱々しく説得力に欠けるのがつらい。いや待てよ、もっと合理的に電車が消える理由はないのだろうか。例えば、巨大な看板で隠れたとか!
 消えた場所を振り返ったが、そんなものはなかった。深い溜め息が出る。
「センパイ」
 ふみちゃんが本気で心配げな顔をしている。そもそも、本当に答えが要るんだろうか。けれど、これ以上考えても仕方ない気がした、そのときだ。
「実は――電車が消える別の原因もあります」
 ふみちゃんが服を揺すって訴えてきた。
「えっ、なに? 教えて!」
 ふみちゃんは得意げに頷く。
「ムジナです」
 ……もう十分だった。ムジナってアナグマだろ。アナログTVと一緒に消えたやつだろ。タヌキと大差ないって。脱力する僕を見て、ふみちゃんは慌ててムジナの説明を始めたが、そんな哺乳類の違いを知りたいわけじゃない。

 結局、ムジナとは何か――さっぱりわからなかった。振り向くと顔がないとか、ソバを売ってたとか、まったく何の参考にもならなかった。僕は意を決し、どうしようもない心の曇りを解消するため、今すぐ自転車で駅に行くことにした。行き先は消えた電車が向かったはずの駅だ。
「ふみちゃん、行くぞ」
 すると、こくんと頷き、僕の肩をつかんで後ろに登った。クッションを乗せた程度しか感じないほど軽い。ふみちゃんは僕の首に両腕を自然に回してきた。この瞬間、僕は消えた電車のことなんか忘れそうになる。いや、行かなきゃダメだ。
 赤信号が少なくて結構飛ばしたせいか、数分で駅に着いた。夜は無人になる小さな駅だ。自転車を停め、入場券代わりに一番安い切符を速攻で二枚買い、ふみちゃんに渡した。
「あっ、自分の分は出しますよ」
「いいから。早く行こう」
 ふみちゃんは財布から小銭を出すのも遅いのだ。僕は急いで改札をくぐった。
「数井センパイ、電車停まってますよ」
「――ん、電車が? どこに?」
「二番線です」
 ホームは二本しかないが、電車はどっちにも停まっていない。ホームには人が三人ほどいて、静かに電車を待っているだけだ。電車は停まってない。
 けれども、ふみちゃんのバッグから、本に挟んだ花柄のしおりがきゅるるるっと踊るように舞い上がり、先に飛んで行こうとした。前にもふみちゃんが変なことを言い出したとき、しおりが宙で踊ったのだ。
 僕は、他の人に見られまいとそれをバッグで抑え込み、口を固く握ってホームに立った。駆け混んで来た僕たちを見て、男の人がもう電車が来る時間か? という感じで携帯を確かめる。
 いや、来ない。時刻表を見る。電車は来ない。

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 呼吸を整えて、話を総合する。文系の女の子に見えて理系の僕に見えない何かがあるのだろうか。あるとすれば探るしかない。
「電車が……あるのか?」
「でも、動物しか乗ってません」
 そこから溢れ出す状況説明は雑だった。運転席に黒っぽい哺乳類の運転手がぽつんといて、電車の中にも同類の動物がたくさん乗っているという。みんなシートや床の上で丸まくなり、深く眠っていて動かないそうだ。
「……眠ってるの?」
「たぶん、そうかなと思います。全然動きません」
 現実には、目の前に線路しかない。実体の電車はまだ来ない。じゃあ、ふみちゃんが見ているらしい電車はいつまで二番線に停まっているのだろうか。それとも、実体の電車が来たら――いや、そんなの想像しても意味はない。
「ふみちゃん、電車は消えるって言ったよね」
「はい」
「それは……いつ消えるの?」
「仕返しが済んだときです」
 意外なほど、鋭利な答えだった。
 哺乳類と聞いて、少し思い出したことがあった。二番線の電車の出発駅は、山の中にある。山から出発し、町中を通り、大きな駅に着くのだ。山にはたくさんの動物がいる。
 昔、地元のテレビ番組で見たのだが、明治時代に上流の川でカワウソが乱獲されたらしい。日清戦争や日露戦争で兵隊服の毛皮がたくさん必要になり、捕まえ過ぎてカワウソは絶滅に追い込まれたそうだ。
 昔、本当に電車にたくさん乗った動物がいたとすれば、それなんだろうかと考える。ただ、これは想像だ。黒っぽい哺乳類と言った。仕返しと言った。それだけだ。
「……仕返しって、誰に対して?」
「たぶん、誰に仕返ししたらいいのかも、もうはっきりしてないみたいです」
 僕はこれ以上何を確かめればいいか迷った。そもそも消えた電車を追いかけてきたのは僕なのだ。この駅に停まっているらしいのは、昔この近くに何かあったからなのか。ただ、ここでそれを確かめる可能性も必要性も、もうない気がした。
 むしろ、実体の電車が来る時間までホームにいるのがつらくなり、僕はふみちゃんを連れて早々に改札口を出ることにした。

 ふみちゃんを後ろに乗せ、自転車をぐっとこぎ出す。もう駅を振り返ることはなかった。電車はそのうち来るはずだけれど、僕たちがコンビニを通り過ぎる頃になっても、一番線にも二番線にも電車は来なかった。
「センパイ」
 線路脇の夜道が少し下り坂になり、軽くて飛びそうなふみちゃんは、後ろからゆっくり首に腕を回してきた。ニットの長袖が少しくすぐったい。
「ん?」
「気分は良くなりました?」
 不思議なくらい、優しい言葉だった。夜風が涼しくても、背中がほっこり温かく、僕は少し幸せな気持ちになった。
 久しぶりに遅い時間までの外出だったけれど、電車のこともあって、ふみちゃんとは別に進展はない。えり元をやわらかく包むふみちゃんの腕をぽんぽんと撫でて、神社をやっているふみちゃんの家まで送り届けるだけだ。

(了)

各話解説

 第四作目「列車の消失」は、伊藤鳥子さんが編集長をつとめる『絶対移動中』Vo1.12(二○一二年十一月十八日発行)に掲載された作品です。題材は少し怪談めいたマイナーな『偽汽車』という妖怪です。ムジナが人を化かす類の話ですが、もう少し踏み込んで、なぜムジナ的な動物が列車を消すに至ったかを自分なりに考察しています。
 なお、『絶対移動中』参加者でもある秋山真琴さんから、阿井渉介氏の「列車消失」みたいなミステリーだと思ってて違ったと言われましたが、そんなパクリはしません(笑)
 本作は数井くんが理屈で考え混乱するわけですが、どう頑張ったところで列車の消失が理解できないところに、理屈が通じない妖怪物の不条理が感じられれば幸いです。

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