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澄む絵
満月の夜、大学時代からの親友が運転する車に乗って郊外を走っていました。
閑静な住宅街にそってゆるやかな勾配のついた道を、前の車のスピードにあわせてゆっくりゆっくりと。
住宅の切れ目にさしかかり、目の前に広い夜空がひらけた瞬間に、それはそれは大きく膨張したオレンジ色の満月が、浮かんでいるのが見えました。
「うわっ!満月めっちゃでっかいやん!でもこういうのスマホで撮影してもぜんぜん伝わらんし、いつも残念な感じになるよなー」
スマホのカメラを夜空に向けて何とかそれを捉えようと興奮していると、
「うん、わかる。こいう時、絵はいいよな。 “バーンって大きい月があった”って、自由に表現して伝えられるもんな」
と、親友が言いました。
ほう。
なるほど、と。
なるほどな、と。
自分が月を見て感じた世界をより主観的に表現すれば、“バーンと大きかった”という事を、とても正しく、驚きを持って伝えられる気がする。
これまでの人生において絵を描くことに無我夢中になれた期間は短かったけれど、やはり今でも描くことへの憧れや、期待や、可能性を感じることがあります。
そして今はただ、好きなものを好きなようにゆるりと描いている時間が純粋に楽しいと感じられるのは、昔と違って描く自分への期待や強迫観念のようなものが、もうないからだと考えています。
好きなものを好きなように描く。
もう、何を描いたっていい。
コンセプトなんて必要ない。
振り返れば昔から、ふんわりと、やわらかい、ロマンチックな世界が大好きです。
そんなことも、今なら素直に認められます。
時折、少女漫画に出てくるようなきらきらした女の子を描き、幼い頃から抱き続けている心の中のロマンチックな部分、何にも邪魔されないかわいい世界に浸って夢中になることで、大人になった自分の日常世界との折り合いをつけています。
今朝『猪木やと思ったら阿藤快やったわ!爆笑』と誰かに言って笑った自分の声で目が覚めたとか、電車に乗り込んだ瞬間にヒラヒラと白い蝶がまとわりついてきたので、まぁ素敵と思ってよく見たら蛾だったとか、最近衝撃を受けた『にしな』というアーティストの名曲【debbie】を聞いて歩いていたら、通りでアンデスの楽曲を奏でている外国のおじさんがいて、ちょうどサビの部分の音が混ざり合って台無しだったとか、FaceIDのロックが解除される変顔の限界を1人試してみたとか、仕事の納期がなさすぎて『あのクライアントおかしいんちゃう!?』と愚痴ったりとか、宝くじ当たったら仕事辞めるのになーと考えながら宝くじ売り場を通り過ぎたとか、そんな日常との折り合いです。
絵は今日も、澄んでいます。
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