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良し悪し族ではなく、好き嫌い族になろう

タイトルは、はるさんVoicyのなかで聞いた一文ですが、
最近ママボランの研修を受けるごとに、自分が幸せに生きるには、この言葉につきるなと毎度思います。

〇〇すべき?
〇〇したら周りにこう思われちゃうんじゃないかな…
〇〇さんは私にこうしてほしいのかな?
とか。ついつい考えがちですが(私は)

一番大事なのは、
したいのか、したくないのか。
どっちやねんという話ですよね(自分に言い聞かせています)。

実は幼少期から、こうあるべきと思うほうに進むトレーニングを積んできたような気がします。こうしたら親が喜ぶかな?とか。作文はこう書いたら先生に褒められるかな?とか。(私だけ?)
もちろん、基本的にはしたいように生きていたとは思うのですが、今仕事と子育てとの両立で自分軸がよく分からなくなってきた状況で、
私は何をしたくて、何をしたくないのか?
これにフォーカスして考えるのにすごく脳みそを使うんですよね。
ついつい、子どもはこう思ってるんじゃないかな?職場の方たちは~、夫は~~、世の中的には~~~、とこう考えてぐるぐる悩んでしまいます。
これは、行動のもととなるものがこれまで、「したい」より「すべき」に偏りがちだったことを証明しているんじゃないのかな。と。

最近、ママボランの研修やメンバーの考えに触れたりしているうちに、なんとなく憑き物が取れてきたように頭がスッキリしてきて(単純なタイプなのかも)、したい・したくないで考えられるようになってきました。「すべき」という考えが出ちゃった瞬間にも「はっ🙄!これは」と気づくようになってきたような気がします。

周りを気にしても何かしてくれるわけじゃないですし、自分が幸せな状態にならなきゃ意味がないですもんね(自分に言い聞かせています)

価値観は人それぞれ。
こうしたら?とアドバイスしがちな人でしたが、価値観や考え、状況など、人の多様性を前提にしない浅はかな行いだったなあ・・・と、色んな子育てママさんと研修を受けながら気づくとともに、過去のそういったアドバイスしてしまったエピソードを思い出しては恥ずかしくなる思いの日々です。。
noteでも、これはよいアイデアだ!と発信しても万人に響くor適しているとは限らないんですよね。そして逆もしかり。この投稿もしかり・・・(そしたら何も投稿できない)

ついつい自分の価値観が反応してしまうことはよくあります。
この人がやってること、何かよさそう!私もやったほうがよいかも?とか。
noteを徘徊すればするほど、「やったほうがよいかも?」ということがたくさん散らばっていたりして、頭の中がやったほうがいいかもで占領されていったり・・

しかし憑き物が取れてきた私は、やったほうがよいかも?レベルのことは、やらなくてもいいのかも、と。結局は、
やってみたいのか?それほどでもないのか?
どっちやねんという話なのではないかと最近思うようになりました。
(けどママボランは、やったほうがいいかも?でスタートして、結構いいんですよね。人との出会い・つながる系(←良い言い方が思いつかないw)で無駄なものはあまりないのかもしれません🙄)

多様な価値観があるなかで一つ正解があるとするならば、
自分がハッピーでいられることなのではないかなと思います。

ハッピーでいられるようにするには、自分がハッピーでいられる状況・ネガティブになる地雷を把握しておくことも必要なのかなと思います。
どうしてもネガティブ感情が沸き起こったときは
ラベリングする。

最近、ネガティブ感情の種類の多さを知って驚きました。
怒り、悲しみ、憎しみ、不安、焦り、恐れ、後悔、不満、嫌悪、恥、嫉妬、罪悪感、劣等感…

ネガティブ感情でもやもやし始めたら、その感情を名づけしてやることでもやもやの大半はすっきりするそうです。(最近受けた研修で、6割くらいすっきりすると言ってたかな?←曖昧な記憶)
ただもやもやしていても、その時間はあまりハッピーではないので、私はネガティブ感情が沸いてきたら、それに名づけをしてあげようと思いました。

そして、大収穫だった知見は、罪悪感が不要な感情であるということ。
敗戦国の国民にありがちな感情だそうです(戦勝国が敗戦国に対して「これ以上歯向かってこないように」作られた教育のなかで徐々に刷り込まれていくのだそう。)なので、アメリカ国民はそれほど罪悪感を感じない国民性らしいです(アメリカ人の友人がいるわけではないのでよく分かりませんが)
確かに、娘が保育園行きたくないとぐずると、ものすごい罪悪感沸いてきます…しかしこれは不要な感情なのだ…(と自分に言い聞かせる🙄)

周りに気を使うのは、自分の心が気持ちよくなれる分だけに。したい・したくないを大事にハッピーでいたいです✨

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