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差別って何なんだろう

こちらで紹介されていた映画、グリーンブック。

https://gaga.ne.jp/greenbook/

映画の中では、黒人の天才ピアニストが白人に招待された演奏会で、拍手喝采の幕切れの後トイレに行こうとしたら、
「このトイレは白人専用で、あなたのトイレはあちらです」
とボロボロの掘っ立て小屋のような黒人専用トイレへ案内される。

このシーンについてVoicyでは

"差別っていうのは、無意識のうちに行われるものが実は多い"

このコメントにとても驚きました。
なぜなら私は、あの差別が意識的に行われていたと思っていたからです…

こんな文脈にも気づかない自分は、もしかしたら日常で無意識的に差別を行っているかもしれないと思いました。

無意識のうちに差別してることってあるだろうか?考えてみたのですが、思いつかず。。
そりゃ、"無意識"なんだから、思いつかないのかも知れないなあ…

そんな折、こちらを読みました。

この本の中で、イギリスの中流階級のウィルが、貧困に生きるミアが作詞したラップのリリックに対し、"リアル(本物)"と称賛する場面があるのですが、まさに、称賛しているようで無意識のうちに蔑んでしまっていることはないだろうか。
それどころか、"差別"と分かっていたら絶対差別しない自信があったのですが、それも分からなくなりました…。

中学生の頃、不登校になってしまった友達の家に声をかけに行った、あれは哀れみを含んでいなかったか。差別だったのではないか。

前の職場で、関わり方が掴めない人がいた。同僚は「あの人はアスペルガー症候群」と言って徐々に距離を取るようになった。私は変わらず声をかけていたが、無理してはいなかったか。当たり障りのない会話は相手には苦痛だったのではないか。フラットなようで、差別してはいなかったか。

育休前の職場で、圧倒的に融通の効かない人がいた。仕事では傍から見るとズレたことをしていて、上司は自分たちの仕事のやり方にその人を合わせようと躍起になっていた。私は上司に、「こちらに合わせるのではなく、彼の得意を活かす方法を考えたほうがいい。」と再三伝えた。あのとき自分の言い分は正しいと思っていたけど、ある意味上司の対応こそ平等であり、私は彼を差別していたのではないか。

苦手だったり、自分と感覚が違う人に平等に接しようとする私の態度こそ、偽善で差別なのではないか。

差別って何なんだろう。

差別と分かっていれば差別しない自信があったけど、分からなくなってしまった。

わからないので、とりあえず日常の差別に敏感になってみたい。

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