見出し画像

読書録📚イドコロをつくる

個人でできる小さい広場のつくり方、見つけ方。ayumimimiさんのオススメから気になり、読んでみました。

イドコロは、「自然系」と「獲得系」の2つ

イドコロを身体の免疫系に喩えると、
自然免疫的な「自然系イドコロ」と
獲得免疫的な「獲得系イドコロ」になる。

自然系イドコロ
・生活を共同する集まり(≒家族など)
・(親しい)友人
・仕事仲間

獲得系イドコロ
・強い趣味の集まり
・公共空間の気に入った場所
・日頃通える小さいお店
・有志でつくるオープンな空間
・文明から離れて一人になれる空間

「どれがいい」ではなく、複数のイドコロを持つことで、"正気"が保たれる。

イドコロは"淀み"

人間には群れる習性と、過密になると衝突が起こるという、相反する2つの習性がある。

現代は、都市化により農作業などの共同作業が不要になってきていることが問題。
かといって、共同の草刈りなどの義務は、フリーライダーへの妬みや村八分を生むリスクがある。

イドコロは、もう少し重たくなく、居心地のいい場所。
いわゆる"コミュニティ"でもなく、あくまで、人がいる「淀み」。
たまたま居合わせた人が適当な範囲で交流し、無理やり他人に同調する必要はない。

共同作業がない街の住民で、協力できる環境を支える。「広場」のようなもの。

"仕事仲間"がイドコロになるケースは減っている

経済がまだ右肩上がりの場合は、仕事仲間は仲良くしやすいイドコロだった。
しかし現在、限られた資源を取り合うような空気になり、ギスギスしやすい。
もはや会社組織は、忘年会の酒盛りだけで元気になれるイドコロにはなれない。

しかしそんなイドコロになりづらい"職場"も、問題意識を共有できる有志を見つけ、自主的な勉強会を結成するなどすると、まだイドコロになる可能性がある。

現代の家族は"強い趣味のサークル"

これまで婚姻における家族形成は、生存手法の一つであった。
なぜなら、特に農村部や地方都市では女性が(実は男性も)単独で自活できる職務を得ることが難しかった。
家族は趣味ではなく必需品だった。

本書より

現代では家族は「必需品」ではない。
強い趣味のサークルとして捉えなおすと風通しがよくなる。
共同生活や保育などの長期間の生活共同プロジェクトをやるためのサークルを運営する感覚で家族を捉える。

現代は「核家族作戦」をそのまま採用できない

現代のきつさは、時代状況が変わってきているのに、核家族時代に強化された一親族等以内の血縁関係者だけで生活を完結させないといけないという思い込みが温存されていることだ。
人口減少局面の低成長・定常状態の経済環境下に、昭和と同じことをしようとしているわけで、これは実現性が低い。

本書

現代の「家族」の運営は、血縁関係以外の協力関係、つまり獲得系イドコロと連携させることが重要。

"わが子良ければあとはどうでもいい"血縁至上主義は、他人への信頼感や共感が後回しになり窮屈。子どもの公共心も育ちにくい。

感想

イドコロがあるかないかというより、
イドコロにするのかしないのか
意思の問題のように思いました。

おそらくイドコロは、オープンマインドでいられる場所なのかな、と思いました。

裏を返せば、オープンマインドでいられれば、どんな環境でさえ"イドコロ"にすることができそうです。

なので、イドコロがたくさんあるayumimimiさんに尊さを感じるし(常日頃オープンマインドでいられているということ)、イドコロを作ることのできるたまちゃんも尊い。

義務感も強制感もなく、ただそこにいてくれること。尊い…(拝)

本書によると、縁側をただ作るのではなく、そこに寛いでいる家主がいること。が大事なんだそうです。

職場でも地域でも、個人個人の働きかけで"イドコロ"的な場所に近づけることもできるのかなと思いました。

迷惑をかけてもいい雰囲気をつくるとか、
「どうぞ」の姿勢を見せるとか、
余力で人を助けていくとか、
職場で読書会をするのも楽しそう。

ただ個人的には、イドコロを欲しているかというとよくわからないです🙄
しんどくなってきたらいつでも行ける場所、というのはあるといいものなのかもしれません。
みなさんは、イドコロと感じられる場所はありますか?

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?