「こどもの目をおとなの目に重ねて」(中村桂子著)に共感

この本も、おそらくは木下晋の「いのちを刻む」出版記念パーティで、発起人の一人として挨拶された中村氏の存在を知っっていたことで読むことになった。ともに人間を片や鉛筆で、片や生物学からライフワークとして追及しているという同じ見方があってのことだろうと思う。本の存在は、長谷川逸子による朝日新聞の書評で知った。
「はじめに」と「おわりに」だけが書き下ろしで、ほとんどは新聞、雑誌へのコラムを編集したものだ。登場する人々の紹介が、「そうそう。まさにそう」ということばかり。その名前を並べるだけでも、石牟礼道子に鶴見和子、南方熊楠、今福龍太の宮沢賢治、ジャレッド・ダイヤモンドとなる。
高層ビルの章では、「現在の東京はオリンピックという免罪符のもと、構造ビルのラッシュである」「超高層のビルの記事には、そこでの暮らしが少しも描き出されていないのが気になる」(p.48)とあり、宇沢弘文が文化功労章をもらったときに、昭和天皇が武藤清に投げた質問「建物は大丈夫でも、中の人間はどうですか?」を思い出す。
鶴見和子の内発的発展の紹介は、まさに建築基本法でもテーマとしている地域創生、あるべき地方自治の姿に重なる。「鶴見さんはそのような一律化を求めた故のゆがみが生じている現状に対して地球上のそれぞれの「内発的発展」が必要と仰いました。」(p.70)「生命誌」という中村のテーマは、自然の中の人間の存在であって、生命誌絵巻が南方曼荼羅と重なるらしい。
長谷川櫂や高木仁三郎も紹介して、東日本大震災後の変わらない原子力発電依存の行き方に疑問を呈しているのであるが、科学技術の失敗、安全管理の失敗を、しっかりと確認することをせず、ただ覆い隠すようにして、より安全にしたから稼働してよいという、今の社会に対して、われわれは何を学んで、どういう選択をするのか、もう少しちゃんと考えようと言う。「食べ物、健康、住まい、環境、エネルギー、文化の基本を小さな地域の自然に合わせて作るだけの余裕と知恵を、今私たちはもっているはずである。」(p.121)
科学者や技術者の役割についても、巧みな表現で述べている。「科学や芸術はスポーツと同じ文化として存在するとはいっても専門用語もあってわかりにくい。論文は楽譜であると捉えその演奏が必要と考えている。」(p.136)
最後に登場するのが、イマヌエル・カントの「永久平和のために」である。220年前に、71歳のカントが書いたこの言葉を、自分のものにしていこうと、結んでいる。一度、生命誌研究館を訪れて38億年の生物の歴史の中の人間の存在を体感する必要がありそうだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?