「存在を抱く」木下晋+村田喜代子 対談(藤原書店)

木下さんからスマホへのメールがあって、12月4日(日)のNHKテレビ、中江有理の番組で「存在を抱く」の紹介を見た。アマゾンで取り寄せて、読ませてもらった、画家と小説家の対談。「存在」とは、木下にとっては妻であり、村田にとっては亡夫なのかもしれないし、あるいは、生命界であったり、地球であったりするのかもしれない。
終わりの方で、村田は「心底、正直なのね、あなたは。」(p.244)と言っているのが、まさに、この対談の内容でもあると思った。人前ではなかなか言えないけど思っていることが、木下の口から次々と出てくる。それに対して、村田もつっこみやら、反論やらするが、結局のところ、生きるということについての語りは、二人とも似たところがある。
藤原書店の藤原良雄の司会で3回の対談を「”存在“ということ」「”人間“とは」そして「未来へ」という章題のもとにまとめられている。木下のこれまでの大変な生活は、何度も読んだり聞いたりしているが、今は、パーキンソン病の奥様を介護しながら描き続けている。
全盲の小林ハルさんを黒鉛筆だけで描いて、色を感じたり、魂を感じ取る。それを「人間の持っている五感みたいなものが一つの形になること」(p.24)と言う。村田からは、10歳のころに、「弟に宮沢賢治を読んでやった」(p.62)という話がでる。木下が学生運動盛んなりしころ「土壌の会」を作ったということは、知らなかった。どのように生きるべきかということをまだ食えるかどうかの画家としては、議論したかったということなのだろう。
人間の話をすれば、木下からは、バチカンのピエタの話や宇宙のホーキングの話が出る。(p.117)村田からは、「伸びよ、伸びよ」と祖父母に育てられた話。お祖父さんは襖絵の絵描きだったと。
柳田国男の「遠野物語」が登場すると、アイヌ人と和人の住み分けの話になる。自然への畏怖ということ。これを失ってきたのが、この戦後75年なのかもしれない。東日本大震災で、改めて思い知ったはずなのに、10年も経たずに忘れている日本だ。
村田は、介護の末、ご主人を亡くしてまだ半年。今も尋ねると声が聞こえたりするという。木下は、介護と描くことを同時に行っていて、いつまで出来るかという緊張感に日々、生きている。奥様が居なくなったら、どんな生活になるのか、どんな絵を描くのかと思う。
第3章は、藤原の司会が話を投げかけていて、鼎談の様相でもある。村田は、韓国人は、簡単に謝らないけど、日本人はすぐ謝るという。戦後の日本が謝った状況も、今も、首相が国民に謝ったり、社長がテレビで深々と頭を下げて謝ったり、今の日本社会そのものかも知れない。
藤原は、後藤新平の「無私の精神」の後に、イバン・イリイチの言葉として「『最善の堕落』は最悪だ」を紹介している。教育、医療、交通というサービスが、制度化、システム化することによって自立性を欠いた依存的なものとなり堕落するという。ジャレッド・ダイアモンドの国の崩壊の原因の一つに、「ルールにこだわる」があったが、同じこと。建築基準法がやめられない建築界も言ってみれば建築の堕落と言える。ただ、それで金を回し、生活が成り立っている多くの人がいることも事実。3人とも、哲学を持っているが故に、変な権威はまったく認めない。物書きになろうというときに、文学部教育は必要ないし、絵描きになろうというときに美術大学は不要だと言う。建築をやる人に、1級建築士の試験が本当に必要かという問題に通じるのである。
3人の本音の言葉の端々から、生きていることへのいろんな思いが広がる。夜中にメールしたくなることのあるという木下さんがくれたメールがきっかけの思考だ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?