小千谷震災記録

(この小説は2004年10月23日17時56分に起きた小千谷の地震をテーマにした小説です。当時その場にいた人間ではないので、史実と少し異なる部分もあると思いますが、ご了承下さい。
 新潟県小千谷市「おぢや震災ミュージアム そなえ館」にて閲覧してきたことをベースに書きました)


・【いつもの日常】

 ちょっと前からランドセルは小さく感じているし、何なら一足先に違和感だって抱いている。
 ランドセルを背負っているのに、街の人からは「中学生ですか?」と言われることがある。
 俺は確かに身長が高いが、この冬までは小学六年生だ。
 10月23日、小千谷の街には肌を刺すような風が吹く。
 暦の上ではまだ秋だが、もう冬の足音は迫ってきている。
 俺は寒がりなので、厚着をして登校する。
 まだ小学生だから受験は無いけども、大切な境目の時期なので、俺は風邪を引かないように自衛する。
 今日は一限目から外で体育、正直だるいけども、まあ動けばまだ暖かく感じる季節だと信じよう。
 登校は四歳下の、小学二年生の弟と一緒に登校する。
「お兄ちゃん、今日も寒いねっ」
 そう言いつつも、スキップしながら歩く弟の優也。
 何がそんなに楽しいか分からないけども、まあ楽しいに越したことないので、それでいいだろう。
 俺は優也を見て、
「今日はちゃんと手袋をしてきたな」
「うん! 昨日は寒かったから! 今日は手袋あっていい感じ!」
 俺も手袋をしている。
 まだ手袋はちょっと早いと、同級生から言われることもあるが、温めておくことに悪いことは無いので、俺も弟も付けている。
 弟は俺のことを見上げながら、
「今日はパパがいないから、ママとお兄ちゃんと三人だね! 夕ご飯が豪華だといいけどなぁ!」
「しっ、そういうことを大きな声で言っちゃダメだから。パパがいない日は子供向けのご飯を作ってくれることは勿論嬉しいことだけども」
「でもパパだってイヤホン旅行というヤツで、温泉で豪華な夕ご飯食べるんでしょ!」
「慰安旅行で鬼怒川温泉ね、まあ豪華な夕ご飯は食べるだろうけども」
 俺と優也はそんな会話をしながら、登校した。
 小学校もいつも通りで、しっかり授業を受けた。
 一限目、二限目、三限目、四限目、給食に昼休み、五限目が終わり、放課後、ちょっと友達と遊んでから家に帰宅した。
 すぐさま玄関に優也が俺を出迎えに来たので、そのままハグした。
 手洗いうがいをして、居間に入って、時計を見ると、16時35分。
 宿題をさっさと終わらせて、優也とテレビゲームでもしようと思い、自分の部屋に入って勉強をし始めた。
 今日の宿題は少し多めなことに気付いたので、すぐに優也とテレビゲームはできないかもなと思った。
 勉強の合間の気分転換に、机の上に飾っている小さな観葉植物を見て、癒された。
 さて、眺めてばかりじゃ宿題は終わらないので、もう少し頑張ろう……と思ったタイミングで、部屋をノックする音が。
 何だろうと思いながら開けると、そこには優也がいて、
「早く一緒にゲームしようよ! お兄ちゃん!」
「ちょっと待て、今は宿題をしているんだ。優也は宿題が無いのか?」
「もう終わったよ!」
「まあ小学二年生にそんないっぱい宿題出ないか。もう少し待ってて。あとちょっとだから」
「うん! 分かった! 僕、待つね! というか先にやってる!」
 優也は俺の部屋がある二階から、居間の一階へ走って下りていった。
 うちは別に広くないんだから、そんな走らなくてもいいのに。
 まあ俺ももっと子供の頃、よく走り回っていたような気もするから、いいか。
 時計を見ると、17時10分。
 これはテレビゲームの前に優也とお風呂に入る時間だ。
 さっさと宿題を終わらせるか。
 17時25分、宿題も終わり、お母さんがお風呂を既に沸かしてくれていたので、俺と優也でお風呂に入った。
 お風呂は少し暖かめの41度。
 夏の間は40度だったけども、10月の下旬になってお風呂の温度をお母さんが上げてくれた。
 やっぱり体は温めるに限る。
 冷えたら病気になるけども、熱くて病気になることはないから。
 そりゃ寝づらくなるくらいはあるけども、熱いほうが体には良いことだと思うから。
 うちは築10年の家で、お風呂もそれなりに広めにとってあるので、二人で入ることもまだ余裕がある。
 でも俺が中学生になって、優也も小学四年生くらいになったら、もう二人では入れないんだろうなとも思っている。
 まあ今からそんなことを考えても意味が無いので、俺は優也と仲良く会話しながらお風呂を上がった。
 17時50分。
 お母さんがエビフライを揚げてくれている。
 やっぱり今日は夕ご飯が豪華なんだ、と思いながら、俺と優也はテレビゲームをし始めた。
 大体、18時10分くらいがうちの夕ご飯の時間なので、ちょっとくらいならテレビゲームができる。
 優也が大好きなカートのゲームで4,5レースできるかなと思った。
 17時55分。
 最初の分のエビフライが揚がり、俺と優也はテレビゲームにポーズを掛けて、出来立てのエビフライをまず味見してみることにした。
 味見なんて言っても、絶対旨いことは分かっているんだけども。
 揚げたてのエビフライは勿論、サクサク、むしろザクザクくらいな感じで、パン粉のカリカリ感が楽しくて香ばしい。
 エビは身がぷりぷりで、瑞々しく、噛めば噛むほどエビの甘みが口いっぱいに広がる。
 エビは元々旨味成分の多い食材なので、どんどん食べたくなってしまう。
 優也も二本目に手を出したところで、お母さんが、
「優也! 楽しみは夕ご飯にとっておきなさい!」
 と言って、言われた優也は手を止めた。
 優也はしょんぼりしながら、布巾で手を拭いて、テレビゲームの元に行こうとした瞬間だった。


・【17時56分】

 17時56分、俺は最初、家に雷が落ちたんだと思った。
 そのくらいの轟音が家中に響き渡ったと思ったら、すぐさま家が大きく揺れ始めた。
 優也が咄嗟に大声で、
「わぁぁああああああああああああああ! 戦争だぁぁあああああああああああああああ!」
 と叫んで、その場に伏せた。
 呆然自失といった感じに立ち尽くすお母さんを腕で押して、俺はコンロの火を止めて、油の入った鍋は一旦流し台の中に置き、
「みんな! 一旦机の中に隠れよう!」
 と声を荒らげた。
 優也が言った通り、戦争なのか、それとももしかしたら竜巻なのか、それは分からないけども、俺はとにかく机の下に隠れたほうがいいと思ったのでそう言った。
 俺はお母さんの手を引っ張って、優也と共に、居間の机の下に身を隠した。
 いつまでも激しく揺れ続ける家に、一体どうしてしまったんだと思った。
 揺れはどんどん増していき、台所の棚からは食器が流れ落ち、床に散らばり、皿は割れていった。
 あまりの振動で冷蔵庫も開き、中から食材が飛び出してきた。
 出来上がったエビフライも皿ごと全部床に落ちていき、床はめちゃくちゃになってしまった。
 ゲームをしていたテレビも、液晶が割れるように前のめりに倒れて、テレビからは音が流れなくなった。
 居間にあった小物や本もどんどん落ちていき、あんなに整理整頓された家は一気にゴミ屋敷のようになってしまった。
 俺は正直この世の終わりがやって来たんだと思った。
 あんなにいつも通りだった日常が崩壊するなんて、思いもしなかった。
 しかしお母さんの言葉でやっと現状が見えてきた。
「友宏、優也、今のは多分地震だから、家から出て避難場所へ移動しましょう」
 そうか、地震か。
 地震だったのか。
 でも地震って、ちょっと揺れるなぁ、みたいな感じじゃないのか?
 まさかここまで大きな地震があるなんて、と思っていると、また揺れ始めた。
 優也が、
「わぁぁああああああああああああ! まただぁぁあああああああああ!」
 と叫んだ。
 俺は優也のことをギュッと抱き締めて、
「大丈夫、ただの余震だから、ただの余震だから」
 と呪文のように唱えた。
 優也のために言っているというよりも、自分に言い聞かすように俺は言っていた。
 お母さんのほうを見ると、机の脚をグゥーっと掴んでいた。
 その後も断続的に起きる地震と、もはや氾濫とも言えるほどに床に散らばったモノたちのせいで、俺や優也、お母さんは机の下から動けなかった。
 早く避難場所へ行きたいのに、机の下から一歩も動けないのだ。
 また余震。
 いやもうこれが本震なのか、それは分からない。
 揺れる度にモノ同士が擦れ合い、ガチャガチャと音がする。
 でもその音をかき消すように、遠くからサイレンの音が聞こえ始めた。
 俺の家は、目の前に川がある。
 大雨が降り、川に大水が出た場合、サイレンが鳴る時はあるけども、地震でサイレンが鳴るとはどういうことなのだろうか。
 地震と川は関係無いはず。
 それともあまりにも大きな地震だから、川とは別にサイレンを鳴らしているのだろうか。
 そんな時だった。
 床にちょっとした水気を感じた。
 最初、もしや雨漏りかもとか思ったけども、まだ築10年の家、雨漏りなんてするはずない。
 いやでももしかすると地震によって、天井が割れたのか、と思っていると、お母さんが叫んだ。
「家が浸水してきてる!」
 なんと家の中に濁った茶色い水が入ってきていたのだ。
 お母さんは慌てながら、
「早くここから出なきゃ!」
 と言って俺と優也の手を引っ張った。
 しかし床はモノが散乱し、足の踏み場は無い。
 でも、もうそんなことも言ってられない。
 お母さんは玄関へいける方向の床を目いっぱい押して、スペースを作り、
「友宏、優也をおんぶしていける?」
「多分大丈夫」
 俺がそう答えると、お母さんが行けそうな道筋を立てて、歩き出し、俺はお母さんの作ってくれたスペースで優也をおんぶして、お母さんのあとをついていった。
 玄関を見ると、重い玄関の引き戸が開いていて、そこから水が入ってきていた。
 まだ家中に溢れるといったイメージではないが、玄関の段差を越えて、水が家の中に侵入してきていた。
 なんとか三人分の長靴はあったので、それを履いて、俺と優也とお母さんは外に出た。
 するとアスファルトはバキバキにヒビが割れていて、何なら土が盛り上がっていた。
 目の前の川は氾濫とまではいかないけども、明らかに増水していた。
 そして空気中に漂う、何だか不穏な香り。
 土埃の匂いというか、世界が濁っているような、不衛生な風が体を包み込むようで。
 道路は水浸しというか、もう既に、膝とカカトの間くらいまで水かさが来ていて、とても避難場所まで動けるような状態ではなかった。
 坂のある方向から、流木がすごい勢いで流れてくる。
 あれに当たったら、終わりだとすぐさま分かった。
 お母さんはまた呆然自失となって、その場に立ち尽くしていた。
 誰かが何か判断しなければならない。
 頼りのお父さんは、今日は鬼怒川温泉へ慰安旅行に行っていない。
 だからお母さんが何もできない状態ならば、俺が何か判断しなければ。
 俺はお母さんへ、
「とりあえず車の中に入ってラジオを聞こう。車は車庫の中にあって、すぐに流されるといった雰囲気じゃないから」
 うちの車庫はシャッターや屋根があるわけじゃないけども、かこいに囲まれていて、庭の奥まったところにあるので、急な波のような水が押し寄せてきても、すぐに流されるイメージではない。
 どこが安全かはもはや分からないけども、落ちてくるモノも無い車内なら、なんとかなるだろうと思って、僕と優也とお母さんは急いで車内に入り込んだ。
 ドアの鍵は閉めたけども、万が一のことを考えて、窓は開けておくことにした。
 もし急に、津波のような大水がやって来ても、外に出られるように、だ。
 車のラジオをONにした。
 そこから流れてくる情報は現実とは思えなかった。
 震度6の大地震。
 でも大した情報は入ってこない。
 ずっと震度の話と、落ち着いた行動を、という話ばかり。
 俺と優也とお母さんはこのままで大丈夫なのか、いやでもそんな局地的な情報がラジオから流れることはなく、このあとも余震は続き、車はグラグラと揺れた。
 優也は怖い怖いと泣き始めた。
 そんな優也を助手席に座らせて、お母さんはずっと背中をさすっていた。
 俺は後部座席から、外を眺めた。


・【夜】

 サイレンは鳴り止まない。
 ゴォゴォという水の音が聞こえる。
 どこか息苦しくなるような匂い。
 芯から震えるような冷たい風。
 でも車の窓を閉めることはできなくて。
 時折、車に大きな流木が当たる。
 ゴリィと響く鈍い音。
 もし車が壊されてしまったら。
 もう死はすぐ手前まできている。
 そう感じた。
 それなのに、夜空に星は輝いていて。
 まるで対岸の火事だ。
 星は変わらない。
 でも俺たちの生活は今まさに一変している。
 そろそろ夕ご飯で旨いエビフライをモグモグと口いっぱいにほおばる予定だった。
 でもそんな食事は霧散し、跡形も無く消え去った。
 家の中は暖かい。
 だからお風呂上りも、そこまで髪の毛を拭かなくても、いつかは乾く。
 でも今は、髪の毛が濡れっぱなしなので、これじゃ風邪を引いてしまいそうだ。
 いや髪の毛が濡れているのは、机の下に突っ伏していた時に浸水してきた水がついたせいか。
 足も冷えていて、頭も冷えていて、それなのに冷静ではいられない。
 今すぐにどこかへ走っていきたい衝動を抑えている最中。
 でも、とても避難場所へ行けるような状況ではない。
 今はもうこの車内で耐えるしかない。
 いつまで続くか分からない状況で、ガソリンをたくさん使うこともできない。
 暖房は使わず、来たるべき時に備えるだけ。
 でもその来るべきが来ないまま死んでしまったら、どうしようとか考えてしまい、自分が嫌になる。
 そんなことは考えない、今、生きるため、生き延びるためのことだけを考える。
 かこいはそれなりに頑丈にできているので、変な角度の波さえ来なければ多分大丈夫だと思う。
 ただ今は度重なる余震のせいで、一切動くことはできない。
 22時30分のラジオで衝撃のニュースが伝えられた。
 それは俺たちが住んでいる小千谷市内の全世帯、電気・ガス・水道・電話が停止しているというニュースだった。
 まさか現代人のライフラインが全て断絶されているとは。
(注釈:当時はスマートフォンが日本国内に導入される以前であり、ユーチューブやツイッター、インスタグラムもサービスを開始していなかった。日本国民には携帯電話を使ったeメールのみが普及していた)
 ラジオから流れるニュースによれば、そうなっているのは小千谷周辺の地域だけらしい。
 しかし俺には全世界がこうなってしまっているような錯覚をしていた。
 結局のところ、世界とは自分の半径1キロあるか無いかなのかもしれない。
 それ以上のことは俺に想像することができなかった。
 いや、そもそもこんなことになるなんて想像できていなかった。
 もっと防災意識があれば、なんて、きっと机上の空論だ。
 無いことを備えることなんて、多分できないことだと思う。
 当事者は当事者になった時にしか、芽生えないんだと思う。
 でも今まさに、俺は当事者になってしまって、と思ったその時だった。
 優也が眉毛を下げて困った表情をしながら、キョロキョロし始めた。
 泣いていたのが終わったのは良かったけども、何だか涙を流していた時よりも不穏だ。
 俺は優也に話し掛けた。
「一体、どうしたんだ?」
「どうしよう、オシッコに行きたい……」
 そう言って俯いた優也。
 オシッコ、そうか、トイレか。
 でも今の状況、車から出ることは許されない。
 優也はポツリポツリと「どうしよう」という言葉を漏らしている。
 お母さんも頭を抱えている。
 でも答えはもう出ているんだ。
 そう、この場ですること。
 それ以外に方法は無い。
 だから
「優也、車の中で中腰になって、窓からオシッコをしよう」
「そんなこと、していいの……?」
 不安げに俺のほうを見てきた優也。
 でも
「今、優也がまた家の中に入るほうが不安だよ。これは非常事態なんだ。マナーとかは無視して一番安全な方法をとることが一番だ。大きいほうならまだしも、オシッコは我慢できないからね」
 一応お母さんのほうを見ると、お母さんもコクンと頷いた。
 というわけで、
「優也、優也のほうを見ないからオシッコするといいよ」
「分かった、お兄ちゃん」
 そう言って優也は車のシートに中腰に立ち、ズボンを脱ぎ始めた。
 そこから俺は優也のほうを見ず、また外を見た。
 お母さんはどうやら優也のほうを向いていた。
 優也がオシッコをし終えると、お母さんが車内のポケットから、レジャー用の手拭きを出した。
「ありがとう、ママ」
 優也はお母さんから手拭きを受け取って、手を拭いた。
 俺はこんなことを思った。
 トイレこそ人間の証だって。
 大や小をする場所が決められているということこそ、人間である証だと思った。
 何でも好きなところでするのは野良であり、人間じゃない、と。
 この理論で言うと、ペットも人間ということにもなるが、それはそう思ってもいいと思う。
 人間と生活するペットはもはや人間だ。
 だからこそ、ペットを飼っている家は一体どうなっているのだろうか、と気になってしまう。
 俺の家にはペットがいないので、心配は無いんだけども、例えば、山古志で牛の角突きをする牛や、錦鯉などはどういう状況なのだろうか。
 いや他人のことよりも、まず自分のことだ、と思っているとラジオからまた新しいニュースが入る。
《小千谷市内の水道管が破裂しているようです。近隣の住民の方々は注意して下さい》
《土砂崩れで川が堰き止められて、増水しているようです》
 そうか、この道路が水浸しになっている理由はこのどちらかか、それとも両方か。
 いや俺の家の前の川はまだ氾濫していないので、水道管の破裂が原因か。
 というかそうか、土砂崩れで川が堰き止められることによって増水するんだ。
 地震が起きることにより、そんなことが連鎖するなんて初めて知った。
 地震一つでこんなに災害が巻き起こるなんて、何も分かっていなかった。
 いやこれからどうなるかだって、何も分からない。
 果たして俺たちはどうなってしまうんだろうか。
 周りは暗いが、音はずっと喧しい。
 サイレンに水の音に、車に流木がぶつかる音、突発的に聞こえる人間の叫び声。
 全てが真逆になってしまった世界の中で、月の明るさだけ妙に強く感じる。
 肌を刺す寒さの中、車は窓を開けている。
 こんな生活がいつまで続くのか、何も分からないけども、とりあえず今は自分たちの無事を祈るしかない。
 車のフロントガラスから外を見ると、流木以外にもいろんなモノが流れてくる。
 食器類や、本、おもちゃのようなモノもあった。
 きっと全てのモノに思い出があって。
 でもそれも一瞬にして消え失せてしまっているのだろう。
 まだちょっとした浸水だけで、うちはたいした被害は無いように思える。
 しかしこれからの余震によって、倒壊する可能性だってあるかもしれないし、もう家の中は安全じゃない。
 今はこうやって車内で耐えるしかないのだ。


・【余震と家】

 あの大地震から一夜が明けた。
 どうやら俺も優也もお母さんも生きているらしい。
 ちゃんと車は自分たちの庭の中にある。
 家もちゃんと立っている。
 ただ少なくても俺は一睡もすることができなかった。
 それは余震があまりにも多すぎたからだ。
 正確に言えば、ちょっとは寝たかもしれない。
 でもすぐに次の余震に起こされてしまうのだ。
 目の前の道路はまだ水かさがあるけども、家の中を浸水するほどの水かさではない。
 玄関の段差で水がストップしているというような状況だ。
 でも床下や縁の下には水が入り込んでいるので、きっと家の地盤は脆くなっているだろう。
 だから今、家の中に入ることはできない。
 ということは、この自動車の中で過ごすしかない。
 でもずっと車内にいられるわけではない。
 まずは道路の状況、俺とお母さんは優也を車内に残して、家の前の道路を見に行った。
 道路のアスファルトは地震によって亀裂が走っているが、走れないほどでは無いらしい。
 しかし道路の上にはモノが散乱し、このまま車で走れるような状況ではなかった。
 まずはこれの撤去をしなければならない。
 うちの周りの家は、運良くというか何というか、全倒壊しているような家は無かった。
 部分倒壊してしまっている家はあるが、形は留めているといった感じだ。
 こうやって家が残っているということは幸せなことなんだと思い、そんな幸せな家庭の人間こそ、道を開けるための撤去作業をしなければならないと思い、僕とお母さんは御近所さんと声を掛けながら、まず道路の上のゴミをどっちか側に寄せることにした。
 お母さんは車内から軍手を取り出して、
「友宏、軍手をしなさい」
 と言って渡してきた。
 どうやら急に雪が降った時用のタイヤのチェーンを付けるために使う、軍手が車内にあったらしい。
 軍手は2セットあったみたいで、俺とお母さんで軍手をして、撤去作業を始めた。
 ゴミは例外なく土や泥がついていて、ぬめぬめして持ちづらく、何度も長靴の上に落としてしまった。
 当然長靴とは言え、角材などが足に落ちれば痛いわけで。
 でも弱音は吐いてられない。
 10月下旬はどんどん気温が下がってくる季節。
 暖房を入れなければ、病気になってしまう。
 その暖房を入れるためには、ガソリンスタンドで給油しなければならない。
 だからまずはそのガソリンスタンドに行くまでの道のりは安全を確保しなければならない。
 ガソリンスタンドには車で行くから、ここからガソリンスタンドの距離なんて正確には分からない。
 でもやらなければいけない。ただそれだけだ。
 もうやるしかない。
 こうなってしまったらシンプルだ。
 やらなきゃ終わらないんだから。
 自分の身長が小学六年生の割に高くて良かった。
 その分、力があって誰かの力になれるから。
 でもその分、良くないところもあって。
 それは身長や体重に比例して、真水が必要になることだった。
 しかし当然ながら真水なんてなくて。
 何かで飢えをしのがなければならないけども、その何かがある場所は無事かどうか、それも分からない。
 お母さんの指示で撤去作業は一時中断し、とりあえず食料の確保をすることにした。
 コンビニは歩いて800mくらいのところにあるので、お母さんは優也の様子を見ていることにし、俺が一人でお金を持って買い物に行った。
 車内の中にお金を用心で入れている家庭だったので、家の中には入らず、お金を手に入れることができた。
 俺は落ちているゴミに気を付けながら、道を歩いていった。
 車は全然走っておらず、道路の真ん中を歩いた。
 道路の真ん中は水も少なくて、また道路の脇には流木やら何やらが溜まり、とても歩けた状況では無かったから。
 小千谷市内は田舎だ。
 だからってそんな山奥というわけでもない。
 朝になれば普通に自動車が走っていて、信号機が無ければ横断できないような街だ。
 そんな小千谷市に車が全然走っていない。
 こんな状況があるなんてと思っていると、遠くで自動車の列を見つけた。
 一体何だろうと目を凝らして見てみると、そこはなんとガソリンスタンドだったのだ。
 ガソリンスタンドに自動車が集まり、大行列を巻き起こしていた。
 考えることは皆、一緒だと思いつつも、今はどうすることもできないので、というより今は自分のやるべきことを全うするため、コンビニへ向かった。
 コンビニに着くと、そこも人でいっぱいで、一家族何個までという制限を設けていた。
 しかしもう棚の中は無くなる寸前で、余っているのは真水が必要とするカップラーメンばかりだった。
 飲み物の類は全然無くて、正直途方に暮れてしまった。
 一応、噛めば食べることはできる、油で揚げているほうのカップラーメンを何個か買って、家へ戻って来た。
 家の前ではお母さんや御近所さんたちが撤去作業をしていた。
 早くそっちの手伝いをしなければ、と思って、お母さんに近寄ったその時だった。
「お母さん! 長靴破れてる!」
 つい大きな声が出てしまった俺。
 お母さんは自分の足元を見ると、今気付いたみたいで仰天していた。
「お母さんは休んで。ここからは俺が頑張るから」
 そう言って俺はお母さんの分まで頑張った。
 やっとメインの道路へ車を走らせられるようになった時には、もう夕暮れになっていた。
 果たしてガソリンスタンドのガソリンはまだ余っているだろうか、そんなことを考えていると、真水のペットボトルを買い込んでいた御近所さんから水を1リットル分けて下さった。
 これは貴重な飲み水として、まずは優也に5分の2ほど飲ませた。
 僕とお母さんは残りを半分ずつ飲んで、その日の食事はそれで終わらせた。
 変にカップラーメンをかじってしまうと、喉が渇いてしまうかもしれないから。
 またトイレ問題として、御近所さんと話し合って、できるだけ低い場所、つまりは水が逆流してこないところで用を足すことを決めた。
 本当はいけないんだけども、溜まった糞尿は近くの川に流してしまうことにした。
 とは言っても、誰も何も食べていないから、そんなに糞尿も出なかった。
 震災から2日目。
 今日は車に乗って、3人でガソリンスタンドに行くことにした。
 ガソリンスタンドの前は既に大行列になっていて、時間が掛かることがすぐに分かった。
 また、最初は分からなかったが、近付いていくにつれて、いつものガソリンスタンドではありえないような人の動きをしていることが分かった。
 きっとそれがまたこの行列の理由だと分かったけども、どうしてそんな変に人が出入りしているのかは分からなかった。
 優也が眠そうに目をこすりながら、
「お腹すいた……」
 と言ったので、カップラーメンを開けて、油で揚げている麺だけど、ゆっくり食べさせることにした。
 麺自体の塩気はそこまでじゃないし、口の中で転がさないと飲み込めないので、食べ物を口の中に入れているという感覚を味わうにはちょうど良かった。
 麺を粉々にしてから優也に渡し、優也がそれを口に入れると、
「何かカサカサだぁ……」
 と言って俯いた。
 そう、カサカサ。
 決してサクサクではなく、カサカサなのだ。
 震災直前はプリプリのエビフライを食べられていたはずなのに、今はお湯の無いカップラーメンだ。
 そこに旨味も暖かみも、ほどよい瑞々しさも何も無い。
 ただ生きるためだけの食事。
 人間らしいとは程遠かった。
 でもまだ今、俺たちは食べられるだけ幸せだ。
 きっと今、何も飲まず食わずで助けを待っている人だっているのだろう。
 こうやって肌寒いながらも、日の光を浴びて、何かやろうとしているだけできっと幸福なんだと思う。
 何かある、何かやろうとするということは素晴らしいことなんだと思う。
 自分で考えて、行動をできているって、とても大切なことだと思う。
 でもそんな当たり前の幸せは、非常事態にならなければ気付けなくて。
 俺は幸せ者だったんだと、今、もう無い過去で実感している。
 やっとうちの番になった時、ついに変な人の出入りの謎が解けた。
 ガソリンスタンドの店員さんが言った。
「給油中に余震が発生した場合のことを考えまして、被害を少しでも減らしたいので、給油中は乗っているお客様全員、屋根の無い店の敷地外に出て下さい」
 お客さんの安全に配慮して、こういう行動をとっていたのか。
 でも給油中にもし余震が発生した場合、店員さんはどうなってしまうのだろうか。
 こんな瞬間でも常に命懸けで。
 死がここまで隣り合わせとは思っていなくて、俺は背筋が凍ってしまった。
 俺は優也と手を繋ぎ、お母さんと一緒に屋根の無い場所で待っていた。
 給油が終わった合図を店員さんが出してくれて、俺と優也とお母さんはすぐさま車内に入って、できるだけ速やかに家へ戻った。
 道路の水はもう引いていたが、依然としてゴミが散乱し、酷い有様だった。
 こんな生活がいつまで続くんだろうと思いながら、今、車内の中で休んでる。
 車のラジオからまた新しいニュースが流れる。
 それはエコノミー症候群でお亡くなりになった人のニュースだった。
 ずっと車内など、狭いところにいると、血液の循環が悪くなり、死んでしまうという病気だ。
 だから俺とお母さんは勿論、優也も時折車から降りて、体を伸ばさないといけない。
 ラジオのニュースからは避難所のニュースも流れる……が、まだ整備ができていないという話だ。
 いつまでこの車内で生活しないといけないのだろうか。
 願わくば、エコノミー症候群に罹らなければいいなと思った。
 そんな日の夕暮れ時、御近所さんから、ついに小千谷市総合体育館の準備が整ったという情報を得た。
 まだラジオのニュースからは流れていないけども、どうやらそうという話だ。
 明日早く避難所へ行くことにして、今日だけは車内で眠ることになった。
 この日は、避難所の目途も立ったので、寝る直前まで暖房を付けることができたけども、すぐに車内は寒くなった。
 相変わらず、月が明るくて、星が綺麗な夜だった。


・【情報】

 小千谷市総合体育館の近くまで来ると、路上駐車の車が多くて、きっと体育館の駐車場には入れないと思うので、うちもどこか広いスペースに路上駐車させてもらい、歩いて体育館の前までやって来た。
 すると何だか拡声器でデカい声が聞こえてきた。
《今はまだ体育館は使えません! ガラスの処理が終わっていません!》
 なんと小千谷市総合体育館の準備が整ったという人づての情報は間違いだったのだ。
 どうすればいいか分からず、呆然としてしまう俺とお母さん。
 優也は俺とお母さんを交互に見上げていた。
 一旦帰るしかないのかと思ったその時だった。
 別の声が聞こえてきた。
「近くの農家さんがビニールハウスを貸し出して下さるそうです! そこを一旦の避難所にします!」
 その声につられて大勢の人々が動いていく。
 しかし人の波も大渋滞していて、なかなか動かない。
 そんな中、ちょっとした内情の声が聞こえてきた。
「トマト栽培するハウス4棟のうち、1棟は冬にイチゴを作る予定だったらしく、整地していたそうです」
「避難所で使う予定の毛布とかは既に用意できていて良かったな」
「まだ日の光が入ってくるこの季節なら、ビニールハウスは暖かいはずだ」
 だけどビニールハウスで寝泊まりって、どうなんだろうと思ってしまった。
 そんな経験したことないから、どういう気持ちになるのか分からない。
 体育館でなら、正直体育の授業を休んでいる時に寝てしまった時があるので、体育館で寝る感覚はある。
 でもビニールハウスでの寝泊まりは見当もつかなかった。
 しかしながら周りに促されるまま、係員さんから毛布を受け取って、ビニールハウスの中に入っていった。
 ビニールハウスの床は床ではなくて、地面だ。
 だから地面に直接毛布や布団が敷いている。
 整地されたビニールハウスは確かに綺麗だった。
 真っすぐに、平たくなった床……というか地面はデコボコが一切無く、体育館の床のような感覚だった。
 でも土だ。土なんだ。
 歩けば土埃が少し舞ってしまいそうな状態。
 歩く時は慎重に歩かないと、布団の上で寝転んでいる人に土が掛かってしまう。
 その他、毛布や布団以外にも、ハンガーが支給された。
 支給されたハンガーは、ビニールハウスの骨組みに掛けていいらしい。
 しかしビニールハウスはどこまで頑丈なのか分からない。
 たくさんの人がハンガーを掛けてもいいのだろうか、と思っていた。
 置いてある支援物資も正直異物に感じる。
 それともこれらは無事だったゴミを少し洗ってから置いてあるのか、大人しかいないゾーンに子供用の発色の良い青と黄色のイスが可愛く置かれていた。
 でもそれが久々見たカラフルな色で、こういう派手なモノって存在するんだ、と思ってしまった。
 今まではテレビやゲームの中でいくらでも見てきた色なのに、今、俺の目に映る色は砂と泥交じりの淀んだ色ばかりで。
 いや色の話はどうでもいい、それよりも何よりも透明で美しい真水の話だ。それも色か。
 しかしその透明という色は最重要で。
 避難所では、際限なく、では決してないが、真水のペットボトルの支給もあり、やっと生きるという最低限の保証がされたような気がした。
 お母さんは避難所に来てから、今まであまり使っていなかった携帯電話をよく使っている。
 何か重大なことが起きた用にとっておいていたらしく、避難所に来た安心感から、やっと使うようにしたらしい。
 今まで慰安旅行でいないお父さんに生存しているというメールだけは定期的に送っていたらしいけども、今はお父さんとしっかりやり取りをしているみたいだ。
 避難所に来てしまうと、とりあえずはやることが無くなった。
 勿論、お風呂なんてないので、ただただできるだけ動かず、汗をかかず、その場で眠るだけだ。
 人が大勢いたら、うるさくて眠れないのでは、と思っていたのだが、誰も騒ぐような人はいなくて、異様なほどに静まり返っていた。
 いつも元気だった優也も黙って、じっと携帯電話でメールをしているお母さんを見ているだけだった。
 そんなある瞬間、急に大きな声を出した人がいた。
 それはお母さんだった。
「貴方! こっちこっち!」
 お母さんが立ち上がって手を振る方向になんとお父さんがいたのだ。
 お父さんは駆け足でこっちへ向かってやって来て、
「大丈夫だったか! オマエら!」
 と叫んだ。
 すると、今まで沈黙状態だったビニールハウスの中は拍手が起きた。
 どうやらうちの家族が再会したことを祝ってくれているらしい。
 ふと感じた人の温かさが心の奥まで染みたと同時に、俺にできることがあったら何でもしたいと思った。
 幸い、俺は小学生の割には体が大きいので、力仕事はなんでもできるほうだ。
 勉強だって苦手じゃないから、もし勉強できない子供がいたら手伝いたい。
 でも今はそんな段階じゃないので、静かにその場で座っていたけども、来たるべき時が来たら、必ず自ら動き出そうと思った。
 お父さんから、小千谷市外の様子の情報を聞いた。
 ここまで大きな被害が出ているのは、川口町や山古志など、局地的ではあったらしく、他の新潟県内はそこまでの被害では無いらしい、と。
 そして今、全国から、いや全世界から支援物資が送られているという話だ。
 電気は通電火災の可能性を含めて、慎重に見て回っているが、復旧は震災から5日後にあたる明後日にはできそうらしい。
 自衛隊も派遣されているので、この避難所の近くで炊き出しを行なうらしい。
 ボランティアも検討されていて、とにかく復興のため、死力を尽くして下さるという話だ。
 俺はお父さんに、
「お父さんはこれからどうするの?」
 と聞くと、お父さんは厳しい表情になってから、
「仕事もあるからな、残念だが俺はオマエらと一緒にはいられない。仕事場で泊まり込みで働き、また復興の手伝いもしようと思っている。だから」
 そう言ってお父さんは俺の肩を掴み、
「友宏、オマエがうちの家族を守るんだぞ。まだ小学生なんて言ってられない。オマエはお母さんよりも力があるんだから、何でも率先してやっていくんだぞ」
 お父さんは結局、すぐにその場を後にしてしまった。
 優也は口を八の字にして、グズっていたし、お母さんも悲しそうな顔をしていた。
 でもそれぞれやるべきことがあるんだ、と、俺は思って、俺もやるべきことをやろうと思った。
 しかし今日はやるべきことも見つからなかったので、その場で待機することにした。
 ビニールハウスの中は意外と快適だった。
 昼間に日の光を溜めこみ、中は暖かく。
 でも外が暗くなると、気持ちは一変する。
 比例するように気分がみるみる落ち込んでいく。
 人が大勢いる安心感も、人が大勢いる不安感も抱くようになっていた。
 急に誰かが大きな声を上げたらどうしよう、とか思ってしまうのだ。
 いやそれ以上に優也が突然泣き出したらどうしようとも思ってしまう。
 でもそういうことは全て、全ての人を信頼するしかないと思った。
 みんなで助け合っていくしかない、と。
 相変わらず月は明るくて、星が綺麗だった。
 ……と思ったその時だった。
 徐々に夜空は暗くなっていき、黒い雲が覆い始めた。
 そして雨が降り出したのだ。
 バタバタバタという強い音がビニールハウスに響き渡る。
 このまま雨がビニールハウスを穿ってしまうのでは、と思うくらいの勢いだ。
 周りの気温もどんどん下がっていき、毛布はもっとたくさんほしいくらいだ。
 真っ暗闇に激しい雨の音が鳴る。
 何だか土も湿ってきているような気がする。
 すると優也が小さな声で、
「怖い」
 と呟いた。
 俺は優也の手を握って、
「大丈夫、俺がついているから大丈夫」
 と言ったのだが、優也は声を震わせながら、
「でもパパ……」
 と嘆いた。
 俺にお父さんの代わりはできない。
 何故なら俺は優也にとってお兄さんだから。
 お兄さんだからこそ、
「優也、俺は優也と学校も一緒だから知っているぞ。優也が本当は心が強いヒーローみたいな人間だって。優也なら絶対大丈夫さ」
 お父さんと俺なら俺のほうがいつも優也と一緒だ。
 優也の性格は正直お父さんよりも俺のほうが知っている。
 だから感情を込めて、俺は優也にそう言った。
 すると優也は少し間をとってから、唸るように、
「頑張る」
 と言った。
 俺は優しく優也のお腹をさすった。
 次第に雨脚も弱くなり、俺も多分優也も眠ることができた。 


・【小千谷市立総合体育館】

 ついに、体育館を避難所にできることになった。
 体育館に散らばったガラスの破片を撤去し、準備も終わったらしい。
 一応、体育館の床に描かれたバスケットボールの線に沿って、区画が分かれるように布団を並べてあったらしいけども、すぐさま人が思い思いの場所に新たに布団を広げて、すし詰め状態となった。
 係員の方々も何だか困惑しているみたいだ。
 どうやら想定よりもやって来ている人が大勢いるみたいだ。
 でもいつ倒壊するか分からない、家の中には入れないので、うちも例外無く、避難所にやって来ている。
 そこで今まで会えていなかった、学校の友達と会うことができた。
 優也も会えたみたいで、今まで見せなかった笑顔で友達と走り回っている。
 俺も学校の友達と遊ぼうかなとも思ったんだけども、
「動ける若い人は手伝ってくれ!」
 の声が聞こえたので、俺はそっちへ行くことにした。
 学校の友達はまだ身長が低くて、力もあまり無いので、俺はバイバイしてから、声がしたほうへ行った。
 体育館の外へ出ると、そこでは自衛隊の方々が炊き出しの準備をしていた。
 俺は、
「何か手伝うことはありますか?」
 と近くにいた係員さんに言うと、
「君は中学生かな?」
「いいえ、俺は小学六年生です。でも中学生くらいの体のサイズはあるので、何でもできます」
 係員さんは腕組みをして、う~んと悩んだ。
 やっぱり小学生か中学生かは何らかのラインがあるらしい。
 でも俺は、
「力仕事でも声を掛けるだけでも、俺はやれることはやりたいと思っています。是非、何か手伝わせて下さい」
 と言うと、係員さんは「よしっ!」と叫んでから、
「君は炊き出しを開始したことを伝える係に任命する! しっかり声を出して、耳の遠いおじいさん・おばあさんがいたら、ちゃんと連れてくるんだぞ!」
 俺は元気よく、
「はい!」
 と返事して、炊き出しの完成を待った。
 きっとこれはトン汁だ。
 温かい味噌はとんでもなく香りが立つなぁ、と改めて思った。
 動物性の脂の甘い香りに、野菜の優しい香り、野菜の中でもタマネギのまろやかな香りには心が躍る。
 そして俺はこの大きな鍋から巻き上がる湯気に感動してしまった。
 久しぶりに湯気というモノを見たからだ。
 温かいって本当に有難いことなんだなと思った。
 係員さんから俺は、
「まず君の名前は何ですか? 僕は高橋啓哉です」
「俺は友宏です。五十嵐友宏です」
「よしっ、友宏くん。早速、働く前に君から炊き出しを食べるかい?」
「いいえ、俺はまだ元気なんで大丈夫です。もっと食べたい人から食べるべきだと思います」
「良い考え方ですね、それでは早速、炊き出しの準備が整ったことを伝えに言って下さい。よろしくお願いします」
 そう言って高橋さんが俺にしっかり頭を下げて、一礼して下さった。
 そうやって一人前の人として扱って下さったことが何だか嬉しくて、俺は走って体育館の中に入っていった。
 そして
「炊き出しの準備ができました! 量はたくさんあるので急がず、慌てず、体育館の外に来て下さい!」
 そう言った刹那、すぐさま人が一気に立ち上がり、なんと走り出す人もでてきた。
 それに俺は、
「慌てなくて大丈夫です! 順番にいきましょう! 今、一気に行き過ぎると立って待つ時間が長くなるので、順番にいきましょう!」
 と叫んでも、人の波は留まらず、どんどん人が炊き出しのほうへ走っていった。
 そのワッと動く人々が何だか俺は怖くなってしまった。
 まるでみんな別人になってしまったようで。
 遊んでいた学校の友達も、もう遊んでいたところからいなくなっていた。
 きっと我先に、と走っていったのだろう。
 こうなると体育館の前が、炊き出しの前がパンクしてしまうのでは。
 でもそっちはもう、自衛隊の方々や高橋さんに任せて、俺はこっちでやるべき仕事をしよう、と思った。
 まず俺は優也とお母さんの元へ行って、
「炊き出しはいっぱいあるから、ゆっくり行って。今はまだここで寝転んでいたほうがいいから」
 と言って、その場をあとにして、体育館のホールではないところにいた人へ一人ずつ俺は声を掛けて回った。
 その度に、人は走ってしまった。
 あんなに人がいた体育館はガラガラになってしまった。
 車いすのお年寄りがまだ体育館にいたので、俺はそっちへ向かい、
「もし移動が大変なら、俺が持ってきましょうか。まだまだ時間が掛かると思いますが、必ず持ってきます」
 と言うと、そのお年寄りが、
「よろしくしようかねぇ」
 と言った。
 だから俺はまず炊き出しの前に並ぶことにした。
 体育館の外に出ると、人が大勢いて、自衛隊の方々も四苦八苦していた。
 どうやら炊き出しのトン汁をもらうには、まだまだ時間が掛かりそうだ。
 俺は一旦、高橋さんに近付き、
「どのくらいで落ち着きそうですかね」
 と聞くと、高橋さんは
「まだまだ掛かりそうですね、では友宏くんも皆様に整列を呼び掛けて下さい」
 と言ったので、俺は大きな声を出して、一列になってもらえるように声を掛けた。
 最初はガヤガヤしていたものの、徐々に一列になってくれて、場が整うようになってきた。
 俺は声を出した。
「食べ終わった方々はまた一旦、体育館の中や別のところへ移動して下さい!」
 そう言っても炊き出しの近くでうろうろする人はいたけども、大部分の人たちは移動して下さったので良かった。
 やっと流れも落ち着いてきたので、俺も並んで、まずは車いすのお年寄りの分をもらうことにした。
 容器にトン汁を入れて下さっている自衛隊のお方に、
「これは車いすで移動できなかったお年寄りの分です」
 と伝えると、
「頑張って手伝ってくれて有難うございます」
 と言ってもらえて、何だかすごく嬉しかった。
 俺はこぼさずに慎重にトン汁を車いすのお年寄りの元に届けた。
「食べ終えた器は近くに置いて下さい。またあとで回収しますので」
 と伝えると、
「ありがとねぇ」
 その言葉がまた心が躍って。
 人に感謝されるって嬉しいなぁ、と思っていると、どこかからこんな声が聞こえてきた。
「私の分も持ってきてくれぇい」
 その声のほうを振り返ると、布団に寝っ転がった一人のおばあさんがいた。
 足が不自由なのかなと思いつつ、そのおばあさんの周りを見ると、杖のようなモノは無い。
 ということは避難所におんぶで連れてきてもらったのかな、と思いつつ、そのおばあさんへ、
「立ち上がることってできませんか?」
「いやぁ、もぅ、へとへとでぇい」
 と言って、何だかいやらしく笑った。
 何だかおかしいなと思ったので、俺は
「そもそもさっき、もう炊き出しに並んでいませんでしたか?」
 と聞くと、そのおばあさんは、
「バレちゃった、えへへぇ」
 と言って笑った。
 これはこの人なりの冗談だったかもしれないけども、何だか状況が状況で、妙に腹が立ってしまった。
 俺だってまだ炊き出しを食べていないし、優也やお母さんだって、俺に遠慮してまだだ。
 それなのに、既に食べた人間が嘘ついて運んできてもらおうとするなんて、何だか汚らしく感じてしまった。
 いやでもまあそれも仕方ない、そういう人だっているだろう、と思って、俺は優也とお母さんの元へ行き、
「じゃあそろそろ人数もはけて行ったし、俺たちも炊き出しをもらいに行こう」
 俺と優也とお母さんは炊き出しの前に行くと、困った表情をしている高橋さんがいた。
 俺は高橋さんへ、
「どうしたんですか?」
 と聞くと、
「一人一杯だって言ってるのに、どうやら複数杯食べた人がいるみたいで、思ったより少ないんだ。申し訳無いが、これからはちょっと少なくなるかもしれない」
 それを聞いた優也は、
「ひゃーっ!」
 と叫んだ。
 それに対して申し訳無さそうな表情を高橋さんがしたので、俺は
「いえ、高橋さんのせいでは全然無いですから。優也もそんな声を出すんじゃない。自分たちよりもずっとお腹がすいていた人が食べたんだと思えばいいじゃないか。優也だってまだ体がそんなに大きくないだろう? だから誰かに分けてあげたと思えばいいじゃないか」
 優也は口を尖らせながらも頷いた。
 俺と優也とお母さんで列に並んでいると、一人のおじいさんが俺を指差しながらこう言ってきた。
「コイツ! さっきも並んでた!」
「俺のさっきの分は車いすのお年寄りに持って行ってあげたんです」
「嘘だ! 嘘だ! 二杯目をもらおうとしている! 若いヤツがズルしてる!」
 あまりにもそのおじいさんが騒ぎ立てるため、俺は列から離れた。
 お母さんは反論しようとしてくれたけども、これ以上荒立てても仕方ないので、お母さんには抑えてもらって、俺は炊き出しの列から少し離れて、ボーっと立っていた。
 そこで考える。
 何だか人が全て変わってしまったように感じる。
 いや勿論さっきのおばあさんもおじいさんも知らない人だけども、こんなことになるような街ではなかったような気がする。
 俺はまだ動くことによって気を紛らわせているが、もしかしたら他の人たちはもっともっと極限状態なのかもしれない。
 こんな時こそ冷静に、と思いたいけども、炊き出しのご飯を食べることができなくなった俺の食事はどうしようと思っていると、トン汁を持った優也とお母さんがこっちへ来て、お母さんが、
「これを3人で食べましょう」
 と言ってくれて、優也も
「お兄ちゃんもいっぱい頑張ってるんだから、いっぱい食べて!」
 と俺を励ましてくれた。
 その器に半分しか入っていないトン汁2杯を3人で分けて食べた。
 炊き出しもそろそろ終わりとなったタイミングで、自衛隊の方々が、
「トン汁が少し余りましたので、ある分だけ配ります」
 とアナウンスした瞬間、さっき俺を指差して騒ぎ立てたおじさんが炊き出しの鍋の前に走り込んだ。
 さっきまで列に並べていた人たちも、また最初の、渦のような状況になり、人々が押し寄せた。
 あまりの勢いに呆気に取られて、俺はそれを見ることしかできなかった。
 優也とお母さんはまた避難スペースに戻っていき、俺は器の回収をすることにした。
 その時に俺は高橋さんからこう言われた。
「やっぱり友宏くんは先に食べたほうが良かったのかもしれない。僕の判断ミスです。申し訳無いです」
「いや高橋さんの判断のせいではないですから、それに俺は弟とお母さんからもらったので大丈夫です」
 そんな会話をしてから、器の回収をするための大きな袋を受け取った。
 器はプラスチックの使い捨てなので、ゴミとして集めなければならない。
 それを自衛隊の方々と拾い集めて行った。
 半数以上は捨ててほしいと事前に言っていた場所に捨ててくれるのだが、一部はそのままどこかに投げ捨ててしまう人もいて。
 俺はまず車いすのお年寄りのところへ行き、ゴミを受け取り、そのまま避難スペースに落ちている器を拾い始めた。
 すると、一人の若い男性が、
「後で舐めるから持ってくな!」
 とすごい剣幕で俺のことを睨んだ。
 まあそれならそうかと思って、俺は持っていくことを止めたが、あんなに目をギョロつかせなくてもいいのに、とは思った。
 優しく言ってくれたっていいのに、そんなことを思いながら、ゴミ拾いも終わり、自衛隊の方々のところへ持っていくと、
「ご協力感謝します!」
 と言って下さった。
 さらに高橋さんも、
「友宏くんのおかげで助かりました。本当にありがとうございます。でも友宏くんも被災者なんだから、無理しないで下さい」
「でも高橋さんも被災者ですよね」
「いや確かにそうですけども、僕は仕事ですし、友宏くんはまだ子供ですから」
 俺は思っていることをそのまま言うことにした。
「こういう時に子供も大人も仕事も関係無いと思います。高橋さんがやって下さることは有難いことですし、俺は自分が手伝いたいからやっているだけです」
「友宏くんは立派ですね、いや違う。そんな上から目線の一言を言っちゃいけませんね。一緒に復興を願う同士としてまたよろしくお願いします。でも無理だけは絶対しないで下さいね」
 そう言ってニッコリと優しく微笑んでくれた高橋さん。
 こうやって自分のことを無下にせず、手伝わせて下さる高橋さんは本当に有難いなぁ、と思った。
 手伝うことも一旦無くなったので、俺は優也とお母さんの元へ戻っていった。
 戻った俺は特にやることが無い。
 ふとこんなフレーズが頭に浮かんだ。
 それは『休日だ』と。
 土日もあるけども、本来いつもなら小学校に行っている時間帯だ。
 でも今の俺は小学校には行かず、勉強もしていない。
 だからまるで休日だ。
 しかしこんな休まらない休日なんてあるのか。
 勉強は大変だった。
 だが何もしていない今日のほうがずっと大変だ。
 いや何かしたのか? もう分からない。
 何も分からないし、正直分かりたくもなくなってきた。
 嫌だ、何だか急に憂鬱になってきた。
 何であんな言われ方しないといけないんだと思いながら、おじいさんたちの顔が浮かぶ。
 体育館の中は静かなようで、重苦しくうるさい。
 炊き出し終わりで走り回っている子供もいない。
 今はゆっくり消化させる流れになっている。
 じゃあみんな寝ているのかと言うと、そんなことない。
 みんな起きていて、みんな大きな溜息を口々にしている。
 時折、誰かがヒステリックに大きな声を叫ぶ。
 それにつられて誰かが「うるせぇ!」と荒らげる。
 さらにまるで冗談のように「オマエのほうがうるさい!」という声が上がる。
 まだ火花の段階だと思う。
 でも爆弾が爆発するまで、もうちょっとだ、と思った。
 そんな瞬間、とある人が大きな声を出した。
「一旦、深呼吸しよう!」
 誰が言ったか分からなかったけども、その声に合わせて、みんな深呼吸をし始めた。
 何だかあの爆弾もこれで無くなったみたいで、正直ホッとした。
 そうだ、やっぱりこういう時はしっかり呼吸をしなければ。
 呼吸こそが生きることで一番大切なことだから。
 俺はこの”深呼吸する”ということを、肝に銘じて、今後も行動していこうと思った。


・【トイレとお風呂】

 震災から1週間後、ついに仮設トイレと仮設お風呂が出来上がった。
 仮設トイレができるまでの間にとても大変なことがあったと、高橋さんから話を聞いた。
 男子トイレに大便が詰まり、スポイトで取ろうと奮闘していた時があったらしい。
 さらにはトイレの汚物の山を掴んで取り出し、それは全て手作業だったらしい、と。
 それを聞いた俺は、
「言って下されば手伝ったのに」
 と言うと、高橋さんが、
「いや、若い子供たちは菌への免疫がまだ少ないから、汚い仕事をさせちゃいけないんです。こういう仕事は菌にも強い大人たちに任せて下さい!」
 と言って胸を叩いた。
 やっぱり大人は頼りになるなと思うと同時に、お父さんが恋しくなった。
 いやでもお父さんだって仕事を頑張っているんだ、俺も頑張ろうと、改めて一念発起した。
 仮設お風呂は性別によって入る時間帯が決まっていて、お母さんから
「これから私はお風呂だから優也のことよろしくね」
 と言われて、避難スペースは俺と優也だけになった。
 でも近くに優也の友達と優也の友達のお父さんがやって来てくれたので、俺はまた何か手伝うことは無いかと動くことができた。
 どうやらあの優也の友達のお父さんは、優也くらいの年代の子供たちを一手に引き取って、一緒に遊びつつも大丈夫かどうか監視する係をしているみたいだ。
 みんなそれぞれいろんなことをやっている。
 俺も頑張らないと。
 とりあえず俺は、いらなくなったゴミを聞いて回り、ゴミがあれば袋に入れる仕事をし始めた。
 自衛隊のお方から軍手をもらったので、幾分やっぱりやりやすくて。
 困っている人がいたらその話を聞いて、自衛隊の方々や高橋さんたちに話をして。
 そんなことをしている間に、お母さんのお風呂が終わったみたいで、お母さんは優也の友達のお父さんに挨拶をしていた。
 さて、そろそろお風呂は男性の番だ。
 人数制限があるので、そんな急いで行っても意味は無いけども、とりあえず準備をしていると、優也の友達のお父さんが、
「では友宏くん、私たちと一緒に行きましょう」
 と言ってくれたので、俺は今このあたりにいるみんなとお風呂へ入ることにした。
 優也や優也の同級生はすぐさまお風呂に行きたいみたいで、催促がすごい。
「そんなに早く行っても、きっとまだ入れないよ」
 と言っても、子供の勢いは強くて。
 外で待ってもいいから行きたいということになり、仮設お風呂の近くに行ってみると、そのあたりからもう湯気が立っていて、何だか久々のお風呂直前に心が躍ってしまった。
 別に今まで家では、お風呂から湯気が立っていてもなんとも思っていなかったけども、今はこんなに嬉しいなんて。
 今やお風呂も贅沢品なんだなと、改めて痛感した。
 やっと俺たちの順番になり、お風呂に入った。
 仮設お風呂は大勢で入れば全然狭いんだけども、でもその狭さも悪い気はしなかった。
 みんなと一緒にいるという安心感が代えがたくて。
 久々のお風呂に体をいっぱい洗って、時には洗い合って、何だか楽しかった。
 あっという間に交代の時間になり、俺たちはお風呂場から出てきた。
 また俺たちは避難スペースに戻った。
 優也や優也の友達は元気に外で遊んでいるらしい。
 汗かかなければいいけども、と思いながら、ふと天井を見た。
 ついに電気も通電し、電気が灯っている。
 仮設トイレもできて、やっと人間らしい生活ができるようになったと思った。
 でも同時に、このままでいいのか、と思うようになってきた。
 震災している。被災者だ。でも世の日本国民の大部分は震災していない。
 大多数の子供は今も普段と同じように勉強ができている。
 この、勉強ができない状況に段々不安になってきた。
 確かに俺や同級生たちはみんな、地元の中学校に進学する。
 だから今勉強できなかった分は、中学に上がってから一生懸命やればいい、ということも分かる。
 でも何だか、この、全国の小学生から徐々に差が離されているような感覚がする。
 ジメッとした嫌な感覚。
 もっと勉強がしたい、だなんて言葉、初めて浮かんだ。
 そんなこと俺は考えたことなかった。
 ずっと同級生や優也と遊んでいられたらいいのに、と、ずっと思っていた。
 でもそれは、勉強していたから思えたんだと思った。
 勉強できなくなったら、無性に勉強がしたいんだ。
 でも勉強道具は何も無い。
 一体どうすればいいのだろうか、と思っていた矢先、ついにボランティアが派遣されるということになった。
 時が経過し、ついに小千谷市総合体育館にボランティアがやって来て、そのボランティアの一人がこう言った。
「子供たちと一緒に学びをしたいと思っています」
 ボランティアの人たちは胸に名札を付けていて、本名の人もいれば、あだ名のような人もいた。
 高橋さんに呼ばれて、ボランティアの人たちの挨拶を聞いていた俺。
 その”子供たちと一緒に学びをしたい”と言ったボランティアの女性は名札に『ヒガシ』と描かれていた。
 高橋さんは俺のほうを見ながら、ヒガシさんにこう言った。
「この友宏くんは小学生ながら我々の仕事に協力をして下さるお方です。ヒガシさんも是非友宏くんのことを頼って下さい」
 するとヒガシさんは俺に一礼してから、
「友宏くんは身長が高いですね。もう大人のアタシと同じくらいですね」
 と言って微笑んだ。
 高橋さんはその場で柏手を一発鳴らすと、
「それではヒガシさん、そして友宏くん、子供たちをよろしくお願いします」
 と言ってその場を後にした。
 『子供たちをよろしくお願いします』って一体何をするんだろうと思った。
 でもなんとなく、ヒガシさんの柔和な雰囲気からして、保母さんみたいだったので、子供と一緒に遊ぶのかなと思っていると、ヒガシさんがこう言った。
「アタシは塾講師をしていますので、勉強を教えることができます! この時期の小学生の勉強は全て頭に入れてきたので、友宏くんにはアタシの助手をして頂きます!」
 まさかボランティアとして先生がやって来るとは思っていなかったので、俺は驚愕してしまった。
 でもそれと同時にすごく嬉しかった。
 やっと勉強ができるという喜びが強かった。
 それからすぐに小千谷市総合体育館内に学習室を作った。
 利用時間は月曜日から金曜日が午後7時から午後9時まで。
 土曜日・日曜日・祭日は午前10時から午前12時と、午後1時から午後3時まで、という限定的だったけども、ついに勉強ができるんだ。
 そこでヒガシさんは先生としてボランティア活動をしていた。
 それ以外の時間帯は子供たちと一緒に遊んでいた。
 ヒガシさんは学習室に教科書を各年代3セットずつ持ち込み、誰でも好きな勉強ができるような状態にし、分からないところがあれば、ヒガシさんが直接指導をした。
 俺も低学年の問題なら余裕で分かったので、子供たちに勉強を教えることができた。
 また、他にもボランティアの方々が小千谷市や川口町に来て下さって、各地で活動して下さっているみたいだ。
 最初は「そんな、わけのわからん人間に家へ入ってもらう必要なんかない」と言っていた人たちも、活動を通して、ボランティアの方々の良さを確信し、みんなで助け合って作業をしていったらしい。
 今日もヒガシさんと学習室で勉強をし、また勉強の手伝いをしている。
 ヒガシさんを呼ぶ子供の声に反応して、ヒガシさんはその子供の元へ行く。
 俺はそれについていく。
 子供は教科書を指差しながら、こう言う。
「光合成は酸素を吸って二酸化炭素を出すのー?」
 それに対してヒガシさんは優しく、
「どうしてそう思ったのかな?」
「何か教科書の、矢印の感じがそうだからー」
「矢印の方向ならば、二酸化炭素を吸って、酸素を出しているようには見えないかな?」
「う~ん、そうかもー」
 そう言って納得したような子供はすぐさま、ポツリと「でも」と言ってから、こう言った。
「じゃあ、この光合成というモノは結局何なんですかー?」
 それに対してヒガシさんはニコニコしながら、
「何だと思う? 君の説をアタシに教えてほしいなぁ」
「なんかー、楽しいからしてる? みたいなー」
「確かに! 実際楽しくないとしたくないですからね! うんそうですね! 光合成は植物にとって楽しいことかもしれないですね! 光合成は植物が成長するに欠かせない行動で、人間で言うとこの食事みたいなものなんです! 食事も楽しいから植物も光合成は楽しいと思いますよ!」
 子供は教科書の一口メモと書かれたところを指差しながら、
「じゃあ植物が楽しいだけで人間は関係無いのー? この光合成というモノは人間にとって嬉しい行動とか書いてあるけどもー」
「植物が光合成をしてくれるおかげで、地球温暖化を食い止めてもらえるのですが、植物自体にとってはそれは関係の無いことですね! 人間がそうなることによって、たまたま喜んでいるだけです!」
「何か変なのー」
 そう言って笑った子供。
 ヒガシさんの説明も何だかおかしいなと思いつつも、確かにそうだとは思った。
 俺は何だか疑問が浮かび、ヒガシさんにこんな質問をしてみた。
「じゃあもし植物が酸素を食べて二酸化炭素を多く排出する生物だったら、人間は植物を絶滅させていたんですかね?」
 質問してみて、すぐに気付いた。
 そんな仮定、意味の無い話だって。
 俺はすぐさま、ヒガシさんが答える前に、
「いやいやそんな話はどうでもいいですよね、すみません」
 と言うと、ヒガシさんは首をブンブン横に振ってから、
「いやそれはすごく面白い話だと思うよ! そうか! 人間にとって植物は利用できたから育てているだけで、利用価値が無かったらどうするかという話だよね! でもその場合はやっぱり田畑を荒らす害鳥みたいに絶滅させていた可能性があるね!」
 ヒガシさんは聡明なお方だと思った。
 俺のどうでもいい質問にもちゃんと答えてくれるし、何よりも俺のような子供の言うことを一切否定しない。
 普通、勉強で間違っていることを言ったら、すぐに否定して答えを言う先生が多い中、ヒガシさんは絶対に子供が出した答えをすぐ否定なんてしない。
 必ずその答えの説明を子供にさせるのだ。
 その上で、ヒガシさんが答えの説明をする。
 答えは言うのではなくて、説明をして子供に納得させるといった感じだ。
 でも正直回りくどいような気もする。
 何故そんなことをするのか、学習時間が終わったあとにヒガシさんへ聞いてみることにした。
 するとヒガシさんはこう言った。
「子供というか人はね、間違っていると思って言う人はいないんです! だから頭ごなしに間違っていると言うと萎縮しちゃうので、まずは褒めるんです! そういう答えを導いたことを褒めてあげるんです! それからアタシはアタシが思った答えの説を話すんです! で、最終的に答えを決めるのは本人でいいと思うんです! だって納得できないことを頭ごなしに言われてもムカつくだけじゃないですか!」
 独特な考え方だと思うけども、何だか素敵だと思った。
 俺はヒガシさんのような人になりたいと思った。
 人の言うことを認められるような人間に。
 そんな優しい人に。
 季節は11月、段々冬の足音が強くなっていった。
 雨だけではなくて、みぞれも降り出した小千谷市内。
 俺の家もボランティアの方々のおかげで、家の中が片付き、専門家さんの話により、倒壊の危険は無いと判断されて、ついに体育館から出て行くことになった。
 ヒガシさんとの別れの時に、ヒガシさんはこう言った。
「友宏くん! また一緒に勉強しよう! その時は友宏くんの説! いっぱい聞かせてね! 友宏くんの発想、好きだよ!」
 俺は、
「俺もヒガシさんの授業、好きでした」
 と言って、硬い握手をして、体育館を後にした。
 体育館を離れてから、何故か瞳に涙が浮かんできた。
 つらいこともあったけども、自衛隊の方々や高橋さん、そしてヒガシさんと出会えて本当に良かった。
 みんな助けて下さって本当に有り難かった、と思った。
 お母さんが運転する車で家へ帰る俺たち。
 相変わらず、道路は荒廃した世界のようにひび割れている。
 ここまで手が回るのは、いつになるんだろうか。
 現在、小千谷には道路以上に深刻な問題がある。
 それが雪だ。
 雪が降って寒くなると、とても体育館で避難し続けることはできない。
 なんとか雪が降る前に、仮設住宅を設置しなければならない。
 今、行政が急ピッチで仮設住宅を立てているらしい。
 でも俺の家は、倒壊する危険も無いらしく、まさに今、自分の家へ着いた。
 すると、そこにはなんとお父さんがいた。
 お父さんとはたまに顔を見せる程度に会うことができていたけども、こうやって笑顔のお父さんを見たことは久しぶりだったので、本当に嬉しかった。
 また今日からお父さんも一緒に、四人でこの家で生活できるらしい。
 大切にしていた花瓶などはもう割れてしまい、無いけども、思い出は新しく作ることができるので、また一からやり直していこうと思った。
 冬。
 小千谷市内は冷たい風に覆われて、今年は大雪となった。
 消雪パイプから水が出なかったり、雪の重みによって家が倒壊したり。
 でも不幸中の幸い、大雪の前に仮設住宅は完成した。
 しかしその後、仮設住宅の雨漏りなどが判明し、仮設住宅に住んでいる方々は今もつらい生活を余儀なくされているらしい。
 雪が屋根に積もると、地震関係無く、倒壊することもあるので、屋根の雪を落とすと、その落とした雪が溶けなくて渋滞にもなっている。
 地震の次は大雪で、災害が続く小千谷市。
 そんな中でも、みんな助け合って生活している。
 学校に行けば、勉強の分からないところは教え合う。
 みんな、あの震災の分を穴埋めする。
 そのおかげで、より俺たちの絆は強固になったような気がする。
 ボランティアの方々との文通はずっと続いている。
 ヒガシさんに教えてもらったところがテストに出た時は何だか嬉しかった。
 俺は思った。
 もしこんな災害がまた日本のどこかで起きたら、俺はボランティアとして助けに行きたいと。
 日本全国から、また世界各国から支援物資や義援金が届いた。
 その恩返しをしなければならないと思う。
 そのためには今を頑張ること。
 一つ一つ、無理せず進んでいくこと。
 災害というモノは、起きてしまうモノだ。
 そのために備えることも大切だ。
 強い防災意識を持って、生きていくことが重要で。
 そしてそれ以上に助け合うことの大切さが身に染みた。
 自分のできることを教え合って、自分のできることをし合う。
 そんなことがどこでもできる人間になりたいし、ならなければならないと思う。
 2005年2月、未だに震災の影響のあるこの街で強く決心した。

(了)