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IT企業球団ベイスターズに今も息づく、豪快で人情に厚い昭和の「漁師気質」

※ この文章は、「文春野球フレッシュオールスター2020」に応募し、「惜しい! あと一歩で賞」をいただいたものです。

「未だに大雑把な漁師気質の打線」

「ホームランが多く、四球が少ない」。ベイスターズの打撃について、よく耳にする言葉だ。時々、「ホームランが多いのも、四球が少ないのも昔から」とも言われる。前身の大洋ホエールズの親会社が漁業を営んでいたことから、ネットで「未だに大雑把な漁師気質の打線」と言う人もいた。

 筆者はベイスターズファン歴約3年。過去については各メディア、また昭和から大洋~ベイスターズを見てきた父からの話で知るのみだ。実際はどうだったのだろう?

 そこで、球団が大洋として始動した1950年から、昨年2019年に至るまでのチーム打撃成績を確認した。そして年ごとの大洋・ベイスターズのホームラン数および四球数と、その年のそれぞれのセ・リーグ平均数を、次の表にまとめてみた。

 この表は、日本野球機構ウェブサイトのほか、データベースサイト「Baseball LAB」および「Data館」に掲載されている情報をもとに作成した。四球の数には、故意四球の数は含まれていない。

https://npb.jp/
http://www.baseball-lab.jp/
http://kamome.pecori.jp/data.html

 また、1953年~1954年は、大洋松竹ロビンス(洋松ロビンス)の成績を大洋のものとしている。

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 まず、四球数がリーグ平均数を下回った年が、69年間で52もあることに圧倒される。これだけ監督が入れ替わっているにも関わらず、である。もはやチームカラーと呼んでしまっても差し支えないようだ。

 また「ホームラン数がその年のリーグ平均より多い」、「四球数がその年のリーグ平均より少ない」という二つの条件を満たした年が、1960年代から1970年代にかけて集中している。そして、間を置いて2010年代に再び集中していることが分かる。

 1960年代から1970年代に、今のベイスターズに繋がる何かがありそうだ。

三原監督が川崎球場を狭くした?

 1964年5月18日号『週刊ベースボール』(ベースボール・マガジン社、以下同)では、「三原脩“打倒巨人”の風雲録」という特集が組まれている。その中で、当時の本拠地・川崎球場について驚くべき記述がある。

 小見出しが「川崎球場を狭くして打倒巨人」。ホームランが出にくい球場として知られていた川崎球場を、三原監督の希望で狭くして、ホームランが出やすいようにしたという。

「実は川崎球場に面白いしかけがしてあるんです。ことしからホームプレートを2メートル前に出して打者に有利なようにするんです」

「相手にも打たれる。そんなことは百も承知だ。それよりもウチが、打ち勝って、たたきのめすことを考えねば。九回二死までわからぬ試合こそ、ウチの求めるものですよ」

 同記事では、これらの三原監督のコメントに続いて「こうして川崎球場は、いろいろの反対を押し切ってせばめられた」とある。川崎球場に足繁く通っていた父によると、この“改造後”のホームランの出やすさはハマスタ以上だったそうだ。

 ホームランという大きな網で点を掬い上げる、まさに漁師のような一網打尽スタイル。「打ち勝って、たたきのめす」「九回二死までわからぬ試合」……。ファン歴3年の筆者の脳裏に浮かぶのは、ベイスターズの近年の数々のサヨナラ勝ちだ。

 父は、「大洋も昔から野球が雑だった。バットを振ることしか能がない」と言う。それでも三原監督が語った勝利の形は、60年近くの月日を経てもなお、ベイスターズで花開いているのだ。

別当監督と田代富雄、田代コーチと筒香嘉智

 さて、1970年代に目を移してみる。1967年の三原監督辞任後は、ホームラン数も陰りを見せるが、1970年代に入ると再び盛り返している。

 その時代に台頭したのが、現在ベイスターズでチーフ打撃コーチを務める田代富雄。

 ブレイク前夜、1977年7月4日号『週刊ベースボール』に掲載されたのが、「20号いちばん星 田代オバQの華麗な恋の夢」だ(ちなみに「恋」には「ホームラン王」とルビが振ってある)。

 当時の監督、別当薫は監督に就任すると、以前から目をつけていた田代にマンツーマン指導を行ったとある。

 それまでアッパースイングだったのを、レベルスイングに矯正し、力の抜き方を入念に指導して、田代をホームランバッターへと開花させたのだという。田代がスランプに陥った際は、別当監督が「どれ、一丁なおしてやるかな」と一言二言アドバイスをしただけで、バッティングが改善されたそうだ。

 即座に思い出したのが、コーチになった田代と筒香嘉智の関係だ。

 筒香は寮生時代、当時二軍コーチだった田代の焼酎をつくりながら試合を見るのが日課で、様々なことを田代に教わったという。そして「今の僕があるのは田代さんのおかげ」と振り返っている。https://www.nikkansports.com/baseball/wbc/2017/news/1785136.html

 先の『週刊ベースボール』の記事には、「爆発力を引き出した“名伯楽”別当」という小見出しがある。

 今や、田代もまた筒香や岡本和真を育てた名伯楽として知られている。大洋での別当―田代の関係は、ベイスターズで田代―筒香の関係に引き継がれたのかもしれない。両方の師弟関係には、共通して鷹揚で温かい人情が感じられる。

「漁師気質」はチーム文化になった

 当初、現代のベイスターズと、1960~1970年代の大洋のバッティングスタイルの近似性に迫るつもりだった。しかし過去の資料を調べるうちに伝わってきたのは、その奥にある大洋のチームとしての匂いだった。

 思い切りがよくて、豪快で、人情に厚く明るい大洋。それはすなわち、今のベイスターズだ。選手たちは口をそろえて、チームについて「いつも明るい。負けた時も明るくて、切り替えられる空気がある」と言う。 

 今、ベイスターズの親会社はIT企業だけれども、根底にあるのはやっぱり「漁師気質」だ。「漁師気質」は、人が入れ替わっても変わらない、チームの文化になったのだ。

「漁師気質」はこれまで、良い方向にも悪い方向にも作用してきたのだろう。なんたって、69年間で2回しか優勝していないのだ。

 ベイスターズが「漁師気質」を抱えたままで強くなり、結果として優勝することが、チーム文化を残してくれた先人たちへのお礼になるはずだ。

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