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自分の居場所を探すのは、生き物を飼うことと似ている。《思いつき日記》

自分の居場所を探すのは、生き物を飼うことと似ている。

人は、自由に生きる場所を選ぶことができる。
だけど、選ぶことができるからこそ、
どんな環境でも生きられるわけじゃない。

なのに、私たちは、どこでも生きなきゃと思ってしまう。
我慢して、耐えて、ここに居なくちゃと、思ってしまう。
その先の希望のために越えなくちゃいけない大変さだったらそれは必要なことだけれど、
特に自分ではどうしようもできない苦しさの時ほど、
苦しさの先に苦しさしかない時ほど、
私たちは、そのことを忘れてしまう。

そんな時は、生き物たちのことを思い出す。

魚は、水のないところでは泳げないし、
花は、土のないところには根を張れない。
暗さが無ければ、光の輝きは薄れ、
自由な拓けた世界がなければ、風は走れない。

土の上でばたついている魚は馬鹿にされたって、
水の中に入れば、自由に泳ぐ力が溢れ出す。

手のひらの上では吹き飛んでしまいそうな小さな種は、
土と出会えば、誇らしく背筋を伸ばして大きくなって、力強い根を隠して、綺麗な花で魅了する。

冬に実る植物が夏に実らないのを、怠けてるなんて言わないし、
熱帯の生き物を寒い土地に連れてきて温度管理をすることを、不公平なんて思わない。

それに、私たちは生き物を飼う時、飼い主として、その生き物の生体について調べて、合った環境を用意する。

でも私たちは、そのことを見失いがちだ。
特に、自分たちのこと、自分のことになると、余計にそのことを見失い、それぞれの持つ力強さとふさわしい場所があることを、無視してしまいがちだ。

私たちだって、生き物だ。
だから、自分たちのことだって、自分のことだって、
自分の中の力強いものを、見失っちゃいけない。
信じなくちゃいけない。
それがきっと、方向を教えてくれる。
信じた先が、居場所になる。
怖がらなくて、大丈夫。自分を責めなくて、大丈夫。
力強く生きられる場所が、私の居場所。

私たちは、私たち自身の一番の飼い主。

文/写真/サムネイルデザイン:青縞夢芽

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