「私の音楽」と「アイドルという概念の再定義」1

先日新曲のMVをYouTubeに上げた。きちんとMVを撮って作品を公開したのは青瀬七としては初めてだった。
今回は「私の音楽」について、そして書く書くと言って先延ばしにしていた「アイドルという概念の再定義」について書こうと思う。

先日、友人に「私の第一印象って何?」と聞いたら「うーん、はやい。」と言われた。高速道路の方の「速い」?それとも早朝の「早い」?どっちもだそうだ。
なるほどな、と思った。私は先のことを考えすぎていつもせかせかしているし、歩くスピードもめちゃくちゃはやい。頭の回転も多分はやい。喋るのもはやい。

今の私しか知らない人は恐らく想像できないと思う。以前の私は超ド級の人見知りで、人と会話ることが何よりも苦手だった。ほんの数年前まで。家族に「ティッシュを取って」と言うのにも心の中で「いっせーので」と唱えないと言えない程だった。

私を変えたのは確実に音楽だ。

小学4年生の夏休み、ほぼ1ヶ月、毎日6時間以上カラオケに通い詰めた。今思えば親が冷房のあるところで過ごしたかったと言うだけのことなのだが、私はカラオケ採点の1位を死守するために毎日毎日歌った。
それまで人前で歌うことはおろか、家族の前でも歌ったりなどしなかった。
当時担任だった先生が「自分を表に出すこと」を教えてくれた。それが私にとっては歌だった。

それから段々と人とのコミュニケーションが取れるようになってきた。委員長や学習発表会の主役に堂々と立候補するようになった。

カラオケの採点を通して歌を学んだ私は、ひたすら「上手く歌うこと」が歌うことの全てだと思っていた。そうではないと教えてくれたのは、私の音楽のルーツだと断言できる「椎名林檎」だった。
彼女は上手く歌う訳ではない。それなのに物凄く人を惹きつける。「私は私の歌い方をしていいんだ」と初めて知った。

中学生からバンドを組み、ステージに立ち、自分で作詞作曲をし、それを10年やってきた。

ライブが終わった時、MVが上がった時、いつも言われる言葉。

「可愛かった!」

恐らくその言葉に悪意も他意もない。ただ私はいつもその言葉に違和感とやるせなさを感じていた。
「可愛いだけなの?見た目だけ?私の歌は?声は?音楽は?」

そう言われるのは私の歌が人の心に届くものではないからだと思った。悔しかった。

私は私の音楽を「聴く性病」と呼称している。
濃厚接触しなきゃ、奥の奥の方まで混じり合わなきゃ届かない音楽。
見てるだけなら可愛いだけ。もっと体や心の奥の方で抱き締め返してくれた人にだけ伝わって、一生蔓延り続けるのが私の音楽。
そういうものを作ってきたつもりだし、これからも作り続けていく。

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