見出し画像

#79 年賀状のこととか

 喪中葉書が届く頃、ここ数年届く喪中葉書の枚数が多かったので、今年は少なくて済みそうだとホッとしていたら、師走に入って結局例年通りになってしまった。年齢的に親を亡くされている知人が多い。近しい人には挨拶状を添えて林檎を送る。そんなやり取りの中で、実は自分も脳梗塞をやったとか秋に心筋梗塞でといった話が聞こえてくる。みんなそういう歳になったのだなあと思う。勿論自分も他人事ではない。
 そうしたやり取りが一段落すると、いよいよ年賀状アラートが頭の中で点滅を始める。ネット世代にはその習慣がないだろうから、時間の経過と共にその数は減っていくのだろうけれど、私はまだ年賀状のやり取りをしている。せわしない師走の中でも一番のストレスと言っても過言ではないようなものだが、元旦に年賀状が届かないのはやはり寂しい。不謹慎ながら、自分が喪中の正月には届かないものと頭では理解していても、その味気無さはクリープを入れないコーヒーに勝るとも劣らないものがある(年齢条件のある比喩か?)。
 子供の頃は、1年ごとに自分宛の年賀状の枚数が増えていくのがうれしかった。親宛の年賀状が束になって輪ゴムで留められているのが羨ましくて、大人になったら自分も束の年賀状が貰えるのかなと楽しみだった。結局、一番多く年賀状をやり取りしていたのはいつ頃だったのだろう?40代位か?この先は少しずつ減っていくだけだから、せめて宛名とメッセージは直筆で書こうと思う。
 偶に来なかったりまた届いたりしながら、もう何十年も年賀状のやり取りをしているF君という知人がいる。F君とは一度しか会ったことがない(いつどうやって住所を交換したんだろう?)。独身の頃、ある日友人のSと遊んでいたら、Sが学生時代の友人の家に行こうと言い出した。確か品川方面にあったF君の部屋を訪ねると、初対面のF君はやおらリコーダーを吹き始めた。その突然感が強烈で、残念ながら何の曲だったかは覚えていない。その後、ちょっとドライブでもといってF君が乗り出したのは紺色のアウディ80だった。親の経営する工場が静岡方面にあって、毎月箱根を越えて行くための車だと聞いた。その後結婚して武蔵野に引っ越したF君が今何に乗っているのかは分からないけれど、あの時乗せてもらった後部座席のビロードのようなシートの感触を覚えている。F君は今でもリコーダーを吹いているだろうか?
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?