見出し画像

小説詩集5「他人のそらに」

 ホワイエでオンライン授業受けてたら、見るでもなく隣のテーブルの人のキーを打つ手が目に入ってくぎ付けになった。
 わりと骨格はしっかりしているけれど、しなやかでその指の動きにニュアンスがあった。
 もしかして、と思った。
 そしたら、その人は授業であてられでもしたのか、あたりをぐるりと見わたしてから、「レゾンデートル」と小声でささやいた。
 フランス語の授業かしら、それとも哲学かしら、なんてそっちに行きかけたけれど、軌道修正した。
 あの指は、明らかにそっくりだ。私が日頃ひいきにしているそば打ちユーチューバーさんのあの指に。こねにこねて角だししたあと、生地を指でつんつん、として「こんなふうになるまでやるんです」と指し示すあの指に。その人の手は表現力に満ちているのだった。それにしてもお隣さんのささやいた「レゾンデートル」と言った声もユーチューバーさんにそっくりだったではないか。
 もしかして、この人、本人ではないかしら、と思ったらそれはもう頭の中で驚異的に広がっていって、絶対にそうに違いないという確信に瞬く間に着地した。
 それで私は増々その人の手を、じっと横目で盗み見た。

 人差し指でポンとして、その人はパソコンを閉じた。
 私は我に返って、今声をかけなかったら一生後悔するって思って、立ち上がろうとするその人にしがみついた。
「あの、お蕎麦がお好きなんじゃないですか」
 唐突すぎたかもしれない。
「いえ、どちらかというと、うどん派ですが」
 その人は、戸惑いながらも即答してくれた。でも私の疑いは晴れなかった。
「本当ですか。食べるのはうどんでも、作るのは蕎麦ということはないですか?」
「蕎麦は食べることはあっても、作ることはないですね、ほとんど外食ですから」
「私が言っているのは、調理というのではなく、そばを打つということなんですが」
「それなら、なおさらありませんね。打つと言ったらバクチぐらいのものですから」
 冗談はそれぐらいにしてほしいと思って爪をかんだ。
 するとその人は、「何なら、一緒に学食に行きますか?」と言ってきた。私は頷いて彼に従った。

 私はかけ蕎麦をたのんだけれど、彼は「日替わりトッピングぶっかけうどん」をチョイスした。
 彼がズルズルッと食べ始めたので、私もズルズルッと食べた。
 箸を持つシルエット、どんぶりに添える手、薬味の柚子胡椒をちょんちょんとする人差し指。ほらやっぱり本物じゃない、って心の中でで叫んだ。

 それで、本当は蕎麦が好きなのに、わざとうどんなんか食べたんじゃないかって思って学食に来そうな日を狙って様子をうかがい続けた。
 ユーチューバーさんのコメントに鎌もかけてみた。
 しまいには、その人のアパートにまで押しかけて蕎麦道具がありはしないかと捜索もした。全くシッポを出さないその人に、それでもしつこく纏わりついた。指を見ているだけで笑えたから。声を聴いているだけで幸せだったから。

 でもある日、誰も来ない教室で文庫本をひらいていたら、「虱」って字を見つけて息がとまった。シラミって「風」と関係あるのかしら、と思ったけれど、漢字の成り立ちが全く違うらしい。あ、そうなんだ、と思うと同時にユーチューバーさんと彼が分離した。
 それから彼のことをシラミとよぶようになったのだけれど、いつの間にかシラミは私の彼氏になっていた。
 お父さんに似た人を彼氏に選ぶように、私にはお父さんがいないから、ユーチューバーさんに似た人を彼氏にしたんだと思う。
 お母さんはいないも同然で、ただおばあちゃんがいてその人に育てられた。おばあちゃんは立派な人で、人にものを教えたりしている。だから、私はシラミにこんなことを聞いてみた。
「どうしてだろうね、おばあちゃんは私に教えるとき必ず人前で教えるんだよ。食事を作ってくれるときは、おまえが作れないから作るんだよと言うんだよ。でもなぜだろうね、すべて私にとってはただの虚構に過ぎない気がするのは、ねえ、どうしてだと思う?」
「それは存在意義のせいだよ。おばあちゃんは存在意義を発揮しているのさ。存在意義はあるものであって、存在意義のためにやっちゃダメなんだよ」
 私の中の波が静かにひいて行った。
「ねえ初めて会ったとき、シラミは哲学の授業受けてたんでしょ」
 私がきく。
「あの時は競馬中継見てたのさ。レゾンデートルって馬に賭ける、僕はバクチ打ちなのさ」
 バクチ・・・のところでシラミの指が優雅にしなった。

 おわり

❄️この作品を書いた数日後、スピンオフ、あるいはその後的な「レミとシラミの幻想」が生まれました。よかったらどうそ。素敵な幻想なんです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?