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短編小説「パパの恋人と赤い屋根の家」2/6

♢短編小説を4,5回?に分けて…これがその2回目です。短編を分ける?伝わるかしら?でもそれが青島ろばの純文気分です。その短編を「異界の標本」としてまとめていきます。

「パパの恋人と赤い屋根の家」2

「ミサ子に比べたら俺の落第なんてなんでもないことだよな」
と弟が発した言葉に2つの思いが同時によぎった。
誰かに肯定されるのでなく、みずから肯定できるほどにこの子はへこたれていないんだってこと。それとも、へこたれてはいるけれど、それ以上にミサちゃんのことを心配しているのだろうか。その両方が、私よりたくましくあるいは健全であるように思われた。

私達の母親が亡くなったのは私が小4のときだった。自分が人とは違う異質な人生を歩み始めているのだという、一種の疎外感に襲われたのを覚えている。
学校では、授業中に窓辺を見ている私に先生は時折声をかけてくれたけれど、決してぼんやりしているのではなかった。母の死ぬときの苦しみ、そして私たちを残してゆく悲しみ、を追体験し続けていたのだ。
そんなことを1年も続けていたらある結論にふわりとたどり着いた。
私達家族は一つの支払いをしたにすぎないのだと。この世には、思いもよらぬ凶悪事件や事故があるものだけれど、いずれ誰だって同じような目にあうか、さもなければ小さな悲しみがまきびしみたいに散ばった道をチクチク刺されながら長く歩くのではないかしらと。
そうだ、その苦しみを足してみて幸せから引くと同じ数になるんだ、って思えたのだ。

そういうわけで人の苦しみはその人にお任せしようと、いずれまたやってくる新たな苦しみの時まで、私は自分の今を享受するしかないのだと子供心に思うようになったのだった。
だから、人には、他人の不幸や死に極端に鈍感な私が映っているかもしれなない。
母の苦しみを再現しすぎた弊害といえるでしょうか。

次へ続きます。

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