青島ろばの❤純文気分です。小説詩集「葉うら」
♡詩のような小説、小説のような詩。小説詩と名付けて「小説詩集」としてまとめていきます。それが青島ろばの純文気分です。
「葉うら」
生まれたとき辺りはなんとなく賑やかだった。騒がしすぎるというほどでもなかったけれど。だからあまり心配はしていなかった。
狭いところで押し合いへし合いしているうちに隙間をぬって前へ進んだ。そうしたら誰かに褒められて方向が正しことを知った。誰かとはたぶん母さんだったのだと思う。面倒を見てくれていたから。
そのうち、グニュグニュ動き続けていたけれど、ほかにも褒められている者を見た。自分より多くの人から多くのことを褒められているのを見た。
やがて口から小さな糸が自然と出てきたのでそれをカーテンのように紡いで織った。その中に入るとホッとしてなにか不思議なことをいろいろ考えて過ごした。時々遠くから汽笛のような音がして懐かしい気持ちになった。遠くになんか行ったこともなかったのに不思議なことだ。だからカーテンを出て遠くへ行こうと旅立った。
汽車に乗ろうと見渡したけれど駅は見当たらない。そこにあるのは食堂とお店、銀行、それから学校だった。
カーテンの中でいろいろなことを学んでいたので学校で働いてそれから汽車に乗ろうと考えた。ところが学校は体のサイズやしなり方を見た。それからメモリの刻んであるケースに押し込もうとした。「ちょっとちがいますね」と言う返事が返ってきたのでそこをあきらめた。ただそこで働けなかったのは奇妙だった。母さんならそこを選んだことを喜んだろうから。
銀行というところへ気は進まなかったけれど、これも母さんが喜ぶだろうと思って入って行った。ご預金ですかと聞かれて財布のサイズを測られた。いいえ、働きたいんですと言うと、頭のサイズを測って「まあいいでしょう」と許された。
そこにいても紙切れや五円玉みたいなのになんの興味も持てなくて、ほかの行員みたいにテキパキ向上していけなかった。ああ、母さんが喜ぶだろうという観点で探しちゃいけないんだ、と気付いたのは随分あとのことだった。
ふいに汽笛がきこえてきて汽車に乗るはずだったことを思い出した。同時にまだ汽車賃がたまっていないことも思い出した。だから食堂で働いてお金を作ることにした。
食堂は暑かったし忙しかった。でもそれは気にならなかった。気になったのはいっしょに働いている人たちが自分と違うように見えたこと。それだけじゃなくて彼らも自分を違うと思っているみたいだったこと。
どんなに手足を伸ばしてジャンプしてみようと思っても彼らのようには出来なかった。彼らから見ても脚力があるようには見えなかったと思う。
いつも買い物をするお店に行って「ちょうど人手がなかったのだ」と言われ即日から仕事をした。早口な人たちが瞬発力を発揮して心も体もバネのように働いている。店員たちに囲まれているとまるで万華鏡の中にいるようだ。一人ひとりに映しだされてはじめて自分が見えてきた。それでああやっぱりここにもいられないって「お世話になりました」と抜け出した。不思議だった。抜け出したら、鏡に映っていたのとはまるで違う自分になっていたから。
たぶんどこかにあるはずだ。どこかに自分に見る自分の姿でいるところがあるはずだ。だから、お皿の上を這って行って、四角な重箱のふたの隙間に入り込みヌルヌルとそこをつたってみた。朱色の壁に映る自分を見て何を責められているのか分からなかった。
心を強くしようと思った。誰かの測ったサイスの中で、誰かが作った仕組みの中で、誰かの優しい語りかけのなかで、気持ちをそのままに裸でいるのはやめなければいけないのだと心を決めた。
けれど母さんでさえ遠くよそよそしく思えるのは、やっぱり自分がグニュグニュしているからか。そう思うと自然と涙があふれ出て体をつたった。信じられるのは唯一存在しているというその事実。事実が絶対的存在となって肯定するので再び涙があふれた。
この世には三つのものがあって年輪のように背中合わせだ。存在を映しだすもの。存在するもの。存在するという事実。だから私は疲れ果てて涙にくれながら草をつたい岩を這い石につまづきつんのめってとうとう雑草のざらざらとした葉うらにたどりついた。
そっと葉うらに張り付いた。
涙はもうかれはてて、かぴかぴとした体に白い塩の痕が残っている。
誰にも見えない葉うらに休むと遠くからボーっと汽笛の音がする。汽笛ってどこから聞こえてくるのかしら。汽車ってどこまで行くのだったのかしら。何より自分てどんな形状をした生き物だったのかしら。そう思うだけで、もう考える力も尽きて果ててそっとそっと葉うらに消えるものとなった。
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