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短編小説「パパの恋人と赤い屋根の家」1/6

♢短編小説を3回に分けて、これがその1回目です。短編を分ける?伝わるかしら?でもそれが青島ろばの純文気分です。
その短編を「異界の標本」としてまとめていきます◇

「パパの恋人と赤い屋根の家」1

不思議な事だった。
パパに恋人ができていろんなことが大きく変わると思っていたのにそうでもなかったことが。
私は二十歳を過ぎていたし、弟だってもう十代半ばを超えていたのだからパパに恋人の1人もいたっておかしくない。私たちにとっても有益なのではないかと考えていた。いずれ私たちだって独立するのだ。

私達家族には一つの憧れがあった。マンションから見える丘の赤い屋根の家に住むこと。
赤い屋根の家は、リビングのカーテンを開けると真正面によく見えるのだっやけれど、これが私達家族の心をくすぐるのだった。幸せ感が赤い色から感じられたし、家のフォルムにも華美なところがない。それどころか何か足りない感があって、そこが私たち家族の性に合っているように思えるのだった。
今から思うと、私たちは欠けていることに慣れ親しんでいるところがあったのかもしれない。それとも、欠けていることを潜在的に望んでいたのか。

パパは恋人ができて、「僕らは結婚するけれど、ついてくるかい?」と私たちに問いかけた。
「レッツ・ゴー」のつもりで言っているのじゃないと分かっていたから、「あの赤い屋根の家に住むならね」と濁した。
こちらから断った形にしたくなかった。パパと私はいつだってそんな風だ。人を傷つけることを極端に恐れてる。
ところが、同様にパパもまた「赤い屋根の家」は私のオーダーで、それを無下には出来ないと気遣ったようなのだった。数日後には恋人に提案し、その恋人は段取りと手配が得意、と自負しているような人で妙な展開になった。
「失敗したわ」
と弟に肩をすくめたけれど、彼から言葉は返ってこなかった。弟が私に非情になる時はいつだって無言なのだった。

パパの恋人と初めて会ったのは、赤い屋根の家を実際に見に行った時のこと。
「まさか空き家だったとはな」弟が私の耳元でささやいた時、パパの耳元では恋人が「いいんじゃないここ」とささやいていた。
パパって私にとてなんなのだろうという疑問がわいてきてわずかに動揺した。ああ、ここから先は踏み込んではいけないんだ、とかすかな寂しさを感じているのに気づいた。
ゆらゆらとした錯覚、漠然とした倒錯、時空のずれを感じた。パパはいったい本当に私のパパなのかしら、もしかしたら私の恋人ではなかったのかしら。

すぐに時差から目覚めた。一つの居場所をなくしたにすぎなかった。
ところが、にわかに弟の居場所が広がりをみせた。今まで何を考えているのか分からないほどに素っ気なかった弟が、私を質問攻めにするようになっていた。
「昔話を知ってるかい?」
例えばこんな風に。
「じれったいなあ、愛犬をいじわる爺さんに殺されていながら、その化身であるはずの臼を再びいじわる爺さんに貸してやったあの話だよ。あのいい爺さん、あれはいい奴、を通りこして自己陶酔者だな」
「それはちがうよ。あんたには分からないかもしれないけど、他人に傷ついてほしくないことが第一義な人種っているのよ」
「いるかなあ」
いるのだった。傷つくことに無垢な人間が。今ここに立っていて世間に出れば、あるいはお人よしだと付け込まれる人間が。
「いるよ。傷つけないことが思考回路で、それがおじいさんという肉体をかりて粗末な着物をきているんだよ」
「性善説だな」
「あんたこそ、いつからそんな性悪説に」
と言いながら、一方ではやはり性悪説はあるな、と職場に心当たりのある狐みたいなそつのない人を思い出していた。
その人は手際よく実際に人を陥れることのできる人だった。まるで劇中の悪人を見ているようなリアルさで。
「まずあの爺さん、愛犬の生まれ変わりともいえる木を切り倒してさ、それで臼をこしらえてしまえるところが理解できないよ」
「昔話にはもっと深い意味が隠されているのよ。あるいは昔の人にとって木とは何かを作るためのもの、だったのかも」
らちもない話ですがこんな風に、口数の少なかった弟は突如隙間を埋めるかのように私にひきも切らず語りかけてくるのだ。その理由がしばらくすると分かった。
弟は進級を目前に落第することが決定的になっていたのだ。私でも楽々と卒業できた同じ学校を落第だなんて、それほどまでに弟はバカだったのかしらと思って言葉を失った。
そのことは、パパとパパの恋人の間にも波紋をひろげた。
「私達のせいかしら」「何を言うんだ」「成績が悪いのは息子自身の問題だ。もしかしたら、僕と母親の遺伝子の問題かもしれない」「つまり、あなたと亡くなった奥さん?」
手入れされている庭の隅に、ブルーベリーの若枝が妙にニョキニョキしていて、それをもてあそびながら二人のシルエットが語るのを見守った。
この家の何もかもが中途半端なまま、空中分解するのではないかしら。私は心が乱れるのをこらえた。そこへもう一つのニュースが飛び込んできた。弟と同い年のいとこが重い病に侵されて休学するという。元気な子だったからにわかには信じられない。

次回へつづきます。

❄️次回というのは「パパの恋人と赤い屋根の家2/6」
スピンオフ的お話、小説詩集「トモくんと私のこころ」と「弟の貯蓄、私の消費」も親戚的に存在しているんです。


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