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図書館の話(独学者のたわごと)

初めて手に入れた自由は図書館だったかもしれない。

小学生の頃、市立図書館の予約制度を覚えた私は、猛烈に本を借りた。館内の端末で蔵書を検索し、予約。用意ができたと電話が来るなり、自転車を飛ばして借りに行く。このやり方でズッコケ三人組全50巻を読破した。
総合の授業で地域の人に取材しなければいけなかった時には、図書館職員に話を聞いた。「うちは小さな館だから、利用者のための閲覧席を増やせないのが課題」と言っていたことを覚えている。

中高生の間は、自習室として図書館を利用していた。うるさい学生、ぼやく老人。そもそも図書館は自習するところなのか? 引っ越した先の図書館は真新しく綺麗だったけど、これが図書館のあるべき姿なんだろうか、なんてことをぼんやり考えていた。

大人になって、旅先で図書館を訪れるようになった。友人を連れまわしたり、恋人を宿に置いて来たりしてまで、図書館を旅程に組み込んだ。イタリアやドイツでは、自分が読める本なんてほとんどないのに、図書館に入るといるべき場所に帰ってきたような感じがした。誰も拒まないという公共図書館の特性と、図書館という空間自体への親しみとが、そうさせたのだと思う。

断片的だったそんな思い出が、ある時一列に並んで、ようやく気付いた。私、図書館大好きなんだな。よし、図書館の勉強をしよう。就職が決まって入社までの半年間、私は通信大学の司書課程を受講した。

期待を裏切ることなく、勉強はずっと楽しかった。大学の専攻でこれを選んでいたら、もっと意欲的な学生になれたんだろうか、なんて考えたりした。

図書館の好きなところ。それはその建前感と、いじらしさだ。書物という人間の造物。それをあたかも自然を見るように、分類し、並べる。人は変わるから、客観性は長続きしない。それでも見る。並べる。書物と己の不安定さに向き合う、このいじらしさ。

子供の頃に図書館で見た「図書館憲章」。人が作った書物を、人が使う為に、人から、人が守る。書物の価値を皆が認めているからこそ成り立つ建前。戦争物の一つや二つ、書きたくなる気持ちもわかる。

司書課程では分類や目録法なんてものも習った。書物の内容を判断し、しかるべき分類を定め、タイトルや著者情報をルールにのっとった方法で目録カードに書き記す。目録カード。子供のころから図書館に通い詰める平成1桁生まれの私でも、触ったことのない代物だ。仮に私が今すぐ図書館に採用されたとて、実践する機会はほぼないだろう。ルールにのっとり、客観性に徹し、黙々と行う作業は楽しく、試験では満点を取った。学ぶのが数十年早ければ、この楽しさのまま喜び勇んで図書館の世界に飛び込めたのだろうか、なんて考えたりした。

受講を始めてから知ったが、図書館界にはランガナタンという神(ともいうべき功労者)がいる。20世紀初頭のインドの司書で、彼は図書館学の本質を5項目で言い切った。

  • 本は利用するためのものである

  • 全ての読者にその人の本を

  • 全ての本にその読者を

  • 読者の時間を節約せよ

  • 図書館は成長する有機体である

この美しさ。人が作った複雑なものを、人がシンプルな言葉で整理するの、大好き。

しかし、ここに図書館界最大の問題も感じる。書物というハードと情報というソフトが不可分だった時代なら、この法則ですべてを言い表せただろう。しかし今は違う。有象無象の情報が日々生まれ、使われている。ものを知るために書物を手に取るというのは、もはや最終手段に近いのではないか。

図書館の役割は資料を収集し、分類し、公衆の利用に供する事だ。どこまでが収集の対象となるかは判断の分かれるところで、映像資料とかコンピュータソフトとかいう時点で、図書館の収集は追いついていていないのが現状だ。いわんやインターネットをや。人が必要とするあらゆる情報の窓口となる図書館、なんてものはすでに幻想だ。

書物=情報だった時代に、図書館が持っていた価値。書物⊂情報となって久しい今、その価値は相対的に小さくなってしまっている。きれいな建物とか、憩いの場とか、まだまだ図書館が支持されているからこその新しい価値はたくさんある。しかし、情報の性質の変化に図書館の本質は追いつけているか。そろそろ新しいランガナタンが必要じゃないか。

しがない初歩独学者がそう思うくらいだから、図書館界もいろいろなことを考えている。情報氾濫時代のレファレンスサービスとか、絶対重要だ。図書館の新たな本質が実践として実を結ぶことと、指定管理者による室内公園化が進むこと、どっちが早いだろう、なんて、部外者の私は考えてしまっている。人の営みの中で形を変えていく図書館、やはりいじらしくて面白い。「図書館は成長する有機体」は、新たな法則にもそのまま残りそうだ。

先日、最後の成績発表があって、私は司書資格に必要な単位をすべて取りそろえた。晴れて司書資格取得ということになる。外国で、履歴書に載らない2年間を過ごした私は、こういうものを渇望していたんだと思う。

そして4月からの就職先は、図書館は全く関係ない業界である。こんなに楽しく図書館の事を考え続けた半年間が、すでに過去の記憶となり始めていて、とても寂しい。いつかはまた図書館の事を考えたいけど、まずは情報氾濫社会で、お金のことを勉強してみる。

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