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ひとり静かに過ごす夏休みの午前のこと。

今年の夏休みはとにかくゆったりと過ごしています。
娘、高校1年生、もう大学受験について少しずつ進み始めているもののまだ余裕がある唯一の今年、とにかく休んでチャージしようではないか夏…というところです。

わたしも娘もこの1年ほどでとにかく疲れちゃったのです。
わたしは前回記事で話した中止になったプロジェクト、わたしの本来のペースではない仕事の仕方をしなくてはならず、いまだに燃え尽き状態。
娘も本来の自分は置いておいて「真面目」に生きなければいけない状態に調子を崩してしまいました。
自分のペースばかり大事にしていたら何も実現出来ないような気もしてくるけれど、こうして自分のペースを壊して動いた結果は別にいい結末でもなかったと考えると…。

というわけで、夏休みだから出来ること。
朝弱い娘を起こすのが面倒なハハ×好きな時間に好きなことをしたい娘=娘は好きな時間まで起きなくていい。ということに。

娘は体が強くないから出来るだけ規則正しくを心がけていて、中学生くらいでみんなが「オールした!」なんて謎の自慢こいてるタイミングでも「自分はやれなかった」という悔しさを抱えていました。んじゃこの夏休みで「ハメを外してみよう」ということで、娘は朝方まで起きて好きなことをやってみたり、自然に目覚めるまでゆっくり眠るという暮らしをしています。

思えばわたしも子が生まれるまでは昼まで寝ているのが当たり前の人でした。夜に強いタイプで夜に何かすると捗るけれど、朝は早く起きるととにかく調子が悪い。だからそういう暮らしが合っていました。
でも子どもとの暮らしが始まり、朝弱いことに悩み…ライフログなどで検証した結果、「夜は頭が冴えるけど、体は23時頃には寝た方が調子がいい」ということが分かりました。早く寝るようになったら、昼までは寝なくても午前中には起きれるようになって今は遅めの朝には起きれているわけです。

結果、わたしはほどほどの朝に目覚め、ゆっくり家事をして、ひとりでゆったりと朝ごはんを食べて、本を読んだり手帳を書いたりnoteを書いたりひとり時間を楽しんでいるのです。
(ちなみに夫氏はガチのクリエイターのため、基本的に自室にこもって昼夜問わず仕事をしたり休んだりしています)

そんな中で最近アンリミで見つけて読んでいる本、仏教や禅の世界にある「中道の精神」というのに感銘を受けました。

仏教には「中道の精神」というものがあります。何事も極端に走らず、偏りなく、ちょうど真ん中くらいのところを意識することを意味します。

では、なぜ仏教や禅の世界では「中道の精神」を尊ぶのでしょうか?
それは、「物事を二元的に考えることから離れる」のが重要とされているからです。
たとえば、白と黒があれば「どちらもあって当たり前」ととらえる。そうであるならば「白と黒、両方ふまえて、できうる最善の道を見出しましょう」というわけです。

「半分、減らす。」より

このあと「厳しすぎず怠惰すぎず…厳しさ半分、やさしさ半分、ほどほどが一番いい」というお釈迦様が悟りを完成したときの話になりますが、どちらも経験してみて「ほどほどが一番いい」と分かるのなら、この夏休みも意味があるのかなと思う夏休み半ばです。


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