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(小説)八月の少年(二十七)

(二十七)ある夢
 街灯り駅の灯りが遠ざかると地上はまたまっ暗になった。長いトンネルにでも入ったかのようなそれは永い永い闇で空に星の瞬きすら見えなかった。わたしはただぼんやりと暗い窓ガラスに映る自分の顔を眺めていた。
 ふとその時わたしは夢を見た。それは眠りの中の夢だったか、それとも暗い窓ガラスに映った幻想だったのか定かではない。ただいずれにしろそれは奇妙な夢だった。その夢とは。


 いずこよりひとりの男が現れた。男はその卓越した弁舌と天才的政治能力であっという間にその国の大衆を虜にした。大衆が気付いた時その国はもう既に男に支配されていた。男は独裁者と呼ばれた。
 男は世界征服の野望を抱き戦争を起こした。それは次々と世界の大国を巻き込み、世界規模の戦争へと拡大した。戦争は何年も続いた。男は迫害と虐殺のため世界から非難された。男は悪魔と罵られた。
 長い戦争の後、けれど男は敗北した。男が自殺したという報道がすぐに世界中を駆け巡った。誰もがそれを信じた。男の敗北と死に世界中が歓喜していたその時、けれどわたしは見た。ひとりの男が人知れぬ闇の中を黙々と歩いていた。そこは地下か山奥かあるいは砂漠か海底か場所はわからない。
 やがてその男はある場所に辿り着いた。そこには男を迎える者たちが待っていた。誰かが男の耳にささやいた。
「ご苦労だった。すべては計画通り。後はゆっくり休みたまえ」
 そして男はいずこへと消えた。後には戦争によって打ちのめされた世界だけが残された。

「どうかなさいましたか?」
 ふと人の声に夢は終わった。わたしは目を開いた。声は車掌だった。
「うなされていらしたようですが、悪い夢でも?」
「うなされていた?わたしがか?」
 もう既にわたしの中から夢の記憶は失われていた。
「ええ。でももう大丈夫のようですね」
 そう言い終わると車掌はさっさと歩き去った。
 再びわたしは暗黒と静けさの中に残された。静けさの中にそしてノイズが聴こえてきた。またか。わたしはつぶやいた。やがて例によってノイズに混じってラジオ放送が聴こえてきた。声は叫んだ。
『ベルリン陥落』
 何?
 何と言った?
 けれど声はすぐに大歓声に飲み込まれた。何という歓声。それはどんどん大きくなり熱狂と興奮に包まれた。歓声が一段落ついた後、再び声が叫んだ。
『ドイツが無条件降伏』
 おおーーーーー!
 再び歓声が甦った。
 万歳と手を上げる人々。
 抱き合う人々。
 踊る若者たち。
 人々は叫んだ。
「とうとう悪魔が滅びた」
「戦争は終わった」
 民衆の大歓声はいつ尽きるともなく続いた。
 やがてすべてはノイズに吸い込まれ、ノイズも消えた。また暗黒と静けさだけが残った。

「ちがう」
 思わずわたしはつぶやいた。
 誰もいない暗い窓ガラスに向かって。窓に映ったわたしの影に向かって。
 悪魔は滅びてなどいない。
 戦争は終わっていない。
 いや、そして戦争は終わらない。
 もう引き返せないんですよ。もう、なにもかも。
 わたしたちは、そこへ向かっているのです。
 車掌の言葉を再びわたしは思い出した。

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