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(小説)八月の少年(三十)

(三十)線香花火駅
「次は線香花火駅。お降り遅れのないよう、お気を付け願います」
 雨の季節を駆け抜け、列車はとうとう真夏へと突入した。車窓から見上げる夏の星座が美しかった。
 列車は次の駅に到着しプラットホームに停車した。ホームは薄暗かった。暗いホームを見渡すと何やら人影があった。良く見るとどうやら子どもたちのようだ。
 一体何をしているのだろう?
 子どもたちはひとかたまりになってしゃがみ込んでいた。じっと見ていると不意にひとりの子どもが顔を上げた。わたしと目と目が合った気がした。薄暗いせいで顔の表情はよく見えなかったが何だか悲しげな雰囲気をその子は漂わせていた。その子はわたしに手招きをした。
 何だろう?
 わたしは誘われるまま列車のシートを立ちホームに降りていった。突然子どもたちのまん中に光が灯った。何だろう?それは小さな光。マッチの炎だ。子どものひとりがマッチの火を点けたらしい。何をするつもりなのだろう?わたしはゆっくりと子どもたちに近付いた。今度は別の子が手に持っている何かをそのマッチの火に近付けた。
「きみたち、何をしているのかね?」
 わたしは子どもたちに声をかけた。子どもたちは驚いて怯えながら振り返った。マッチの火が燃え尽きた。
「ああ、すまない。すまない」
 わたしは謝った。子どもたちはひそひそささやきあっている。
「一体何をしているのだね、こんな所で」
 再び問いかけると、さっきわたしを手招きした子どもが小さく答えた。
「せんこうはなび」
 ん?
 線香花火?あの国の花火ではないか。わたしは子どもたちをじっと見つめた。
「きみたちは何処の国の子どもたちだね?」
 そう問いかけた瞬間、再びマッチの火が点った。子どもたちはわたしのことなど忘れマッチの炎を見つめた。何だろう、異様な緊張感が子どもたちの間に漂っている。わたしも黙ってマッチの炎を見つめた。どうしたのだ?これはただの花火ではないのか?
 線香花火を持った子どもが再び線香花火をマッチの火に近付けた。マッチを持つ子どもも線香花火の方の子もどちらも指が震えていた。他の子どもたちはじっと黙って二人を見守っている。ドキドキドキドキ、恐る恐る、線香花火の先端にマッチの火が移った。その瞬間突然空が光った。何と眩しい、まるで空が燃えているようだった。
「何だ、あの光は?何が起こったのだ?」
 叫びながらわたしは空を見上げた。雷か?そう思う間もなく今度は大地が揺れた。
「おおーー」
 わたしはよろめきホームに倒れた。一体何だ、何が起こったのだ?とその時わたしは微かに声を聴いた。確かに聴こえた気がした。


『もしもし。そちらはポツダムにおられる陸軍長官でしょうか?』
『そうだ』
『こちらはニューメキシコ。手術は無事成功しました。以上』

 手術?その時わたしの脳裏にさっき見た空の閃光が甦った。
「手術とは何のことだ?」
 起き上がりながらわたしはつぶやいた。再び空を見ると空はもう平静を取り戻していた。そこには降るような銀河が瞬いていた。わたしは子どもたちのことを思い出した。あの子たちは大丈夫だったろうか?
「おおーい」
 わたしは大声で子どもたちを呼んだ。突然ホームにほのかな光が灯った。それは細い細い糸のような光。
 線香花火だ。子どもたちは何もなかったように静かに線香花火をしていた。線香花火に火を点し、線香花火はすぐに燃え尽き、そしてまた新たな線香花火に火を点す。子どもたちはただ黙ってそれを繰り返し、黙ってそれを見守っていた。ふとわたしの中にさっき耳にした声が甦った。
『こちらはニューメキシコ。手術は』
 手術?
 手術とは何のことだ?
 ふとわたしの脳裏に、風に舞う桜の花びらが浮かんだ。桜、さくら。あの街灯り駅で大統領として交わした会話が甦った。
『それは、いつ完成するのかね?』
『あと4カ月』
 手術が成功した。成功した手術とは?
 そうだ。
 おそらく、完成したのだろう、ついに。
 わたしは全身の力が抜けぼんやりと子どもたちの線香花火を見つめた。すると。
「おじさん、どうしたの?」
 沈んだわたしの様子に気付いたのか、ひとりの子どもがわたしに声をかけてきた。また別の子がそしてまたひとりまたひとりと。子どもたちはわたしを取り囲んだ。
「何だか悲しそう」
「何か心配でもあるの?」
 きらきらと澄んだ目がわたしを見つめた。わたしは胸がいっぱいになった。
「おじさんは大変なことを」
 わたしは息が詰まって言葉が続かなかった。

 その時列車の汽笛が鳴った。
「そろそろ発車の時刻でございます」
 車掌の声が聴こえた。するとそれを合図に子どもたちの姿が消えはじめた。
 え?
「おい、待ってくれ、きみたち」
 けれどひとりまたひとり子どもたちは消えてゆき、とうとう最後にはわたしだけが、そして線香花火の燃えかすだけが残された。
 発車のベルが鳴りやがて鳴り止んでも、わたしはホームに突っ立っていた。
「お客さん。お急ぎ下さい」
 車掌が心配してホームに降りてきた。けれどわたしは乗車を拒否した。
「いや、わたしはもういいのだ」
「そんなわけにはまいりません」
 車掌は必死で説得した。
「いいのだ、わたしはもうここで。懺悔、永久の懺悔を」
「お気持ちはわかりますが」
「気持ち?」
 車掌に問いかけようとしたその瞬間わたしの声を遮るように汽笛が鳴った。
 ボォーーーー。
「はやく」
 車掌は大声で叫びわたしの腕を掴んだ。ドアが開いたまま列車が走り出した。
「さあ飛び乗って下さい」
 車掌は拒むわたしの腕を引っ張った。すごい力だ。列車のドアが閉まる。
 気付いたらわたしは車掌と一緒に走る列車の床に転がっていた。
「間に合いましたね」
 息を切らしながら安堵する車掌。車掌を見ると、何と車掌の帽子がずれていた。おや!飛び乗った拍子にずれたのだろう。
 その時わたしは、車掌の顔を見た。

「きみ!」

 わたしは思わず声を上げた。
 一瞬間を置いて顔を見られたことに気付いた車掌は慌てて顔を手で隠した。それからすぐに帽子を引っ張り下ろし、いつものように顔を覆った。
「きみは」
 車掌はわたしの声を振り切るように急いで立ち上がり無言のまま隣の車輌へと消えた。わたしもまた余りのショックに呆然と床に座ったまま遠ざかる車掌を見送った。ただもうわたしはショックで。ところが突然列車の中がまっ暗になった。
「どうした?トンネルか?」
 叫んだが返事はなかった。

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