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(小説)八月の少年(三十七)

(三十七)お化け屋敷
 わたしは飛ぶ蝉の後を付いて見知らぬ夜更けの街を歩き続けた。街はいつしか深い霧に覆われていた。わたしは何度も蝉を見失いそうになりながら何とか蝉の後に付いていった。
 しばらくすると蝉は突然飛ぶのを止めわたしの肩に留まった。わたしは立ち止まった。すると目の前には霧に覆われ大きな屋敷が建っていた。
「何だね、ここは?ここに入るのかい?」
 わたしは蝉に尋ねた。ところが蝉は叫ぶように言った。
「カクレテ、クダサイ」
「何?」
 わたしは蝉の声に促され急いで近くの大きな木の根元にしゃがみこんだ。
「これでいいかね?」
 わたしが小さな声で尋ねるとわたしの肩の上で蝉は頷いた。わたしは木の陰から屋敷を眺めた。夜の闇と霧のためにはっきりとは見えなかったがその建物は奇妙な形をしていた。何の形だろう?何かに似ている。
 そうだ、手だ!
 その建物は巨大な人間の手のような形をしていた。五つの丸くそして尖った長い屋根がまるで人間の手の五本の指のように突き出ていた。しかも建物全体が紅い、まるで血のような色をしていた。
 一体何だ、あの屋敷は?何と不気味な建物だ。一体どんな人間が住んでいるのだろう?いや人間が住んでいるのだろうか?何だか今にも妖怪が飛び出して来そうだ。あれではまるでお化け屋敷ではないか?わたしは背筋に寒気を覚えた。とても一人ではこんな所にはいられない。蝉がいてくれるのが唯一の救いだった。
 さらに建物を観察すると、壁の上には有刺鉄線が張り巡らされ四方にはそれぞれ見張りのような人物(おお確かに人間ではないか)が立っていた。


「なんだね、あそこは?あの建物は?」
 わたしは蝉に尋ねた。けれど蝉はわたしの問いには答えずささやいた。
「ヌケガラヲ、ダシテクダサイ」
「何、抜け殻?どういうことかね?」
 言われるままにわたしはシャツの胸ポケットから蝉の抜け殻を取り出した。
「これをどうするのかね?」
 わたしの問いに蝉は答えた。
「ソレヲ、ニギリシメテクダサイ」
「何、握り締める?どういうことかね?」
 けれどそれには答えずその代わり蝉はわたしの肩からゆっくりと離陸した。蝉は飛びながらわたしの顔に近付き、わたしを見つめながらささやいた。
「オネガイデスカラ、ズット、ニギリシメテ、イテクダサイ」
「ああ、わかったよ。何だかわからないけれど、これを握り締めていればいいのだね?」
 蝉へと答えながらわたしは言われた通り抜け殻を握り締めた。潰さないようにやさしく。
 すると蝉は静かにわたしの頭上を何度か円を描いて飛び(何だかそれはわたしを悲しくさせた。まるで別れの挨拶のように思えて)、それから蝉は何も言わずわたしの前から飛んでいった。わたしは小さな声で蝉を見送った。
「気を付けるんだよ」
 蝉はまっすぐ屋敷へと消えていった。

 わたしは木の陰に身を隠し、蝉に言われた通り抜け殻を握り締めていた。するとしばらくしてわたしの脳裏に「情景」が浮かんできた。と同時にその「情景」の中のものと思われるノイズがわたしの耳に聴こえてきた。
 何だ、これは?
 わたしは驚いて蝉が消えていったあの屋敷を見つめた。
 もしかして。
 わたしは閃いた。もしかしてこれはあの屋敷の中の映像ではないだろうか?
 そうだ。もしかするとあの蝉とこの抜け殻とが繋がっていて、蝉からの情報がこの抜け殻へと伝わってくるのではないだろうか?そしてその情報は抜け殻を握り締めているわたしの掌へそしてわたしの脳裏へと。
 わたしは息を呑みそれから静かに目を閉じた。
 これから一体何が起こるというのだろう?あの屋敷の中で何が?そしてあの屋敷とは何だ?あの蝉は何をわたしに見せようとしているのだ?
 わたしは恐れと不安の中で脳裏に浮かび来る「情景」を見つめた。辺りは深い深い霧と静寂に覆われていた。

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