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(小説)八月の少年(四十)

(四十)夜明け前2
「それではあなたの質問にお答えしましょう。世界の支配者は誰か、この戦争の黒幕、そしてこの戦争を含む壮大な世界計画を建て、それを実行している中心人物。それが、わたしなのか、でしたね?」
 再び委員長と呼ばれた男が語りだした時、彼はうとうと眠っていた。そうとも知らず委員長と呼ばれた男は言葉を続けた。まるで独白のように。
「さっきも言いましたように、この戦争を計画したのは確かにわたしです。しかしよく考えて見て下さい。本当にわたしが真犯人なのか?わたしが最後の黒幕なのか?わたしとて生身の人間です。人間の親から生まれ、人間の女を愛し、人間の子どもを生み育ててきました。どう足掻こうとせいぜい百年足らずの人生じゃありませんか?なのにそんなわたしがどうして自分や愛する家族をも失いかねない戦争など望むでしょうか?自分が生きている間に実現するかどうかわからない壮大な理想世界の建設などに関わってどうなるというのです?」
 彼が目を覚ました。委員長と呼ばれた男の声は興奮していた。彼は眠った振りをしながら委員長と呼ばれた男の話に耳を傾けた。
「たとえば新型爆弾について考えてみて下さい。あの新型爆弾を作ったのは確かにわたしたちです。政治家、資産家、科学者、技術者、製造メーカー、その他数多くの人々の協力によって完成しました。もっとも中には何を作っているのか知らずに協力させられた者もいますがね。兎に角わたしたちが作った。けれど、本当にわたしたちの力だけであんなものが作れるでしょうか?」
 彼は眠った振りをしたまま何も答えなかった。委員長と呼ばれた男は言葉を続けた。
「新型爆弾!新型爆弾?一体何ですか、新型爆弾とは?新型の爆弾?今までの爆弾とどうちがうのですか?誰がそんなものを思い付いたのですか?いや待って下さい。そもそも、そもそもですね、あのアトムと呼ばれるものは何ですか?なぜあんなものでわたしたちの世界は構成されているのですか?また構成されなければならないのですか?構成とはすなわち支配という意味ですが。一体いつ誰が何のためにあんなものを作ったのですか?」
 委員長と呼ばれた男は彼のことなど気にもせず自問自答のように話し続けた。
「わかりません。こんなことは誰にもわからない。もしわかるとしたら」
 委員長と呼ばれた男は言葉を止め、しばし思いを巡らせた。そして。
「あの男!あの男ならわかるかもしれませんが。そう、あの男。わかりませんか?あの科学者ですよ。例の、結果的に新型爆弾製造のきっかけとなる、あの手紙に署名した科学者」


 まだ夜明け前の街に霧が立ちこめている。彼の背中に隠れた蝉がピクリと動いた。蝉の黒い瞳の中にぼんやりとひとつの人影が浮かんでいる。その影は蝉の抜け殻を握り締め、目を閉じている。その閉じた目に涙がにじんでいる。

「あの科学者が発見したとされるあの理論。科学者としての彼の名声を高め、ひいてはその名声が人類史上初めての新型爆弾製造へとつながってゆくことになった、あの。あの理論だってそうです。あれは本当に彼が考え出したものでしょうか?勿論そうでしょう。けれど、例えば誰かが何らかの意図のもとに、ある日あの理論のきっかけとなるインスピレーションを彼の耳に吹き込んだりしなかったでしょうか?そうとも知らず人間である彼、その科学者はただ科学者としての自分の使命を果たそうとして、あの理論を」
 と言いかけ委員長と呼ばれた男は黙った。再び口を開き。
「自分の使命を果たそうとして、自分の使命を・・・そう、使命!」
 委員長と呼ばれた男は突然叫んだ。彼は驚いて目を開け委員長と呼ばれた男の顔を見つめた。委員長と呼ばれた男は座っていた椅子から立ち上がった。
「使命。そう、その通り。さあ、はじめの質問に戻りましょう。世界の支配者は誰か、この戦争の黒幕、壮大な世界計画の中心人物とは?」
 彼は委員長と呼ばれた男の何かに取り付かれたような言葉に圧倒され、ただ黙って委員長と呼ばれた男を見つめているしかなかった。
「もしこの世界に起こるすべてのことが、実はこの世界が造られる以前から既に計画されたもので、人間は、人類とは、その計画を遂行する使命を持って生まれ、あるいは誕生させられ、その目に見えない使命とやらの力に導かれ生きているのだとしたら。それが人間の宿命ならば」
 委員長と呼ばれた男は彼をじっと見つめ返した。まるで睨み付けるように。彼は息を呑んだ。
「わたし?わたしが世界の支配者だって?まさか。わたしだって人間。わたしとて結局は被創造物に過ぎないのですよ。わたしが今日までやってきたことはすべて、わたしに課せられた使命に過ぎない。使命?」
 委員長と呼ばれた男は沈黙の後そして小さくつぶやいた。
「わたしなど取るに足らない、一時代の道化師に過ぎません」
 道化師?この男がか?この密かに世界を動かす中心人物。彼は委員長と呼ばれた男の興奮が収まりつつあるのを感じた。彼は静かに口を開き委員長と呼ばれた男に尋ねた。
「では誰?誰が世界の支配者なのだ?あなたに、あなたの使命を与えた者とは?」
 遠くで一番鳥の鳴く声が聴こえた。委員長と呼ばれた男はしばし目を閉じ、それからゆっくり一言つぶやいた。

「GOD」

 その時突然雷が怒号し暗黒の空に稲妻が走った。稲光りが委員長と呼ばれた男と彼の顔を闇の中に映し出した。
「GOD?」
 しばらくの沈黙の後、彼は小さくつぶやいた。それは委員長と呼ばれた男への問いかけというよりは宇宙の闇へと語りかけるように。委員長と呼ばれた男が沈黙を破った。
「わたしはこの新型爆弾が完成した時、狂喜しました。これでわたしたちの計画は大きく前進すると。しかし、それも束の間でした。わたしは、この新型爆弾の威力、この新型爆弾の想像を絶する破壊力に震撼しました。わたしは本当に、魂の奥底から恐怖したのです。
 そしてわたしは気付きました。これは、この新型爆弾は人類の手には負えない、人間の能力、理性を遥かに超えた、作ってはならないものだったのだと。何と皮肉なことでしょう。わたしたちは、わたしたちの科学と経済力を結集させ、わざわざわたしたち自らを滅ぼしかねない新型爆弾を作ってしまったのです。
 何ということだ。どうしてこんなことになってしまったのだ?なぜ?一体わたしたちの何がいけなかったというのだ?この世界を支配しようとする、いや今日まで確かにこの世界を支配してきた筈のわたしたちとは一体何だったのだ?
 わたしは長いこと考えました。そして、ひとつの答えに到達したのです」
「答え?」
「そうです。そう、わたしたちは」
「わたしたちは?」
「わたしたちは。そう、わたしたちはこれを作らされたのです」
「作らされた?」
「そうです。わたしたちを滅ぼす新型爆弾を、わたしたちは作らされた。誰に?」
「GOD?」
「その通り。では何のためにGODはわたしたちにこの新型爆弾を作らせたのでしょう?その狙いとは何か?」
「狙い?GODの狙い?GODが人類を滅ぼすような新型爆弾を人類に作らせた。その狙いとは?まさか本当に人類を滅ぼすために?いや、そんなはずはない。ではなぜ?」
 しばし彼は考えたが答えは浮かばなかった。
「わからない。わたしには見当もつかない」
 すると委員長と呼ばれた男はつぶやいた。
「最後の審判」
「さいごのしんぱん?」
 彼は問い返した。
「最後の審判。すなわち、GODの最終目標である理想世界、その前にGODがやらねばならない、理想世界建設の過程で生じた残骸物の清算」
「残骸物の、清算?」
「すなわち、もはや用済みとなったわたしたち人類を消去するプロセス。GODにとってはそれもまたひとつのプロセスに過ぎないのでしょう」
「何?人類を消去!それもひとつのプロセス?まさか。それがGODなのか?それが、幾数千年人類が崇め生きる希望と讃えた、GODと呼ばれるものの正体なのか?なんという、それではまるで悪魔ではないか!」
 彼は叫ぶように言った。
「まさにそうとしか言いようがありません。GODはしかもそれをわたしたち自らの手でやらせようというのです。GODの手を汚さずにね。これが笑わずにいられますか?もっとも正体のわからないこの世界の創造者を、愛に満ち溢れた存在などと勝手に決め付け、GODと称し崇めて来たのはわたしたち人類の方ですが」
 委員長と呼ばれた男は悲しげに笑った。
「わたしたち人類は、今日まで輝ける理想世界を夢見、それをGODと分かちあえるものと信じ、ただひたすらGODの手足となって生きてきた、ただの奴隷に過ぎなかったのです」
「奴隷?まさか」
「何という、人類とは何と愚かで哀れな生きものだったのでしょう」
 話が終わると、委員長と呼ばれた男は彼から離れ窓辺に佇んだ。静かに時が流れた。

「もうすぐ夜が明けていきます。あなたへの答はこれで良かったでしょうか?」
 背中を向けたまま委員長と呼ばれた男は彼に話しかけた。けれど彼は何も答えなかった。
「いずれにしろ、わたしたちはもう引き返せないのです。この新型爆弾が完成した瞬間から、世界はそれまでとは全く違う世界へと変貌してしまったのですから」
「わたしたちはもう引き返せない」
 彼は小さくつぶやいた。
「さあ、もう時間が来たようです」
 委員長と呼ばれた男は振り向いた。
「今日までご苦労でした。有難う、あなたには心から感謝しています」
 委員長と呼ばれた男が部屋を出ると、部屋の中から銃声が響いた。銃に撃たれ床に倒れた彼の背中から蝉が飛び立った。銃を持った男が蝉を叩き落とすと、床に落ちた蝉は動かなくなった。後には夜明け前の薄闇と静けさだけが残された。

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