バレリーナ__2_

男女の愛というものを私は里中先生から教えてもらった

まだ字が読めないくらい幼かった私は「キャンディ♡キャンディ」が目当てで「なかよし」の購読を始めました。
成長し字が読めるようになり、毎月「なかよし」を隅から隅まで読みつくすようになった私が「キャンディ」よりも夢中になった漫画、それは里中満智子先生の漫画です。
当時「なかよし」では里中先生は「ミスターレディ」というジェンダーレス(と言っていいのかしら)な漫画を描いておられました。それがもう、とっても面白かったんです!!
花子と太郎という美男美女の双子が主人公です。花子は女性なのに心は男で「男になりたい!」と密かに願っていました。そして対する太郎は男性なのに心は女性で「女性になりたい!」と願います。それは二人だけの秘密。
この設定、1970年代とは思えない。かなり現代的な感じがします。今こそNHKとかでドラマ化してほしい。

しかし、別に花子は「心は男」だけど、女性を好きになったり、とかそういうエピソードはありませんでした。太郎も同じ。それに心と体が違うからといって特に落ち込むこともありません。花子も太郎も、「男になりたい」「女になりたい」という気持ちがあるだけです。明るいラブコメですので悲壮感もありません。
それは「男と女、自分はどっちなの」とかいう問題ではなく、「男を称賛」し、同時に「女を称賛」する漫画だからなのだと思います。
花子から見ると「男は素晴らしい!」のです。強いし、自分の意見をハッキリ言えるし、自分の人生を堂々と自信をもって生きることができるように感じています。歴史を変えてきたのも男です。
そして太郎から見ると「女性は素晴らしい!」。太郎は思います。
「世の中に女性しかいなかったら、世の中はもっと平和だっただろう。きっと戦争なんて起こらなかったはずだ」と。
手元に単行本はありませんので正確には覚えていないのですが、そんな意味合いの太郎のモノローグがあったように記憶しています。
私はこのモノローグを今でも時々思い出します。もし、世の中が女性だけだったら?「いやいや、それはないでしょ」と思いつつ、「いやいや、もしかしてそれもアリかも」なんて思ったりもします。とても深い言葉だと思うのです。

里中先生はたくさんの長編、短編漫画を描かれていて、「ミスターレディ」のような明るいラブコメの他にも結構ドロドロとした色恋沙汰を扱った物語も多数あります。
だいたいが悲恋で終っていたような記憶があります。不倫も多かったし。「アリエスの乙女たち」に登場した高志は「男というものは二人の女性を同時に愛することができるのだー!」と堂々二股宣言してたしなー。(「そーなのか!」と幼心に納得させられてしまいました)
それは男女の「愛」というものは一筋縄ではいかないものなのよ。と、いう里中先生のメッセージのように感じます。
輪廻転生を繰り返し、何度も愛する人と出会い結ばれようとするが結局離ればなれになる、という「海のオーロラ」という壮大な物語がありました。
あのお話は一応ラストで二人はやっとこさ結ばれるのですが、もしかして二人はずっと結ばれなかったからこそ輪廻転生を繰り返していたのでは?(すごい執念)
男女の愛というものは、それほどやすやすと手に入るものではありません。もし簡単に手に入ってしまうと、それは愛ではないのかもしれません。
不倫とか禁断の愛の方が盛り上がるしなー(物語の中ではね)。なんだかなー。と、いろいろ考えてしまいました。

そこで結論なのですが、男女の愛というものは「蜃気楼」なのではないか、と。
自分にないものを相手を手に入れることによって補おうとする。それは愛のようにも見える。でも、そんな「愛のようなもの」は、すぐに執着や嫉妬、憎しみへと形を変えてしまいます。
きっと私たちが考える「男」というものも「女」というものも、一人の人間の中にあるのです(相手の中ではなく)。「愛」というものはもしかして自分自身に対してしか成り立たないものなのでは…?
一番ステキなのは、「ミスターレディ」の花子と太郎のように自分の性を認めつつ、違う性も認めて、あこがれることなんじゃないでしょうかねー。
以上です!



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