愛を差し上げる

自宅療養45日目。6:40起床。変わり映えのしない毎日がまた始まるという諦念と、怪我は良くなってきているという希望がせめぎ合う朝、強すぎる日光が余計な励ましのようでうっとおしく思う。それでも、自分を蔑ろにしないよう、全てをニュートラルポジションに戻し、怠けはネグレクトの言葉を口に出し、体を動かす。自分の今日を、自分で、快適にできるよう務める。そこから始めようと決める。

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昨日の外出がうまくいったので、また本を処分しに出かける。怪我してから2ヶ月半、入院中も退院してからも、ネットで古本ばかり買っていた。毎日のように届く数百円の希望は、無意識のうちに感じていた買い物欲も満たしていたのだろう。15冊ばかりをリュックに詰めて、気を張って外に出る。

土曜日だから街中が混んでいる。正面からくる人、後ろから抜かして行く人、両方に気をつける。センサーのスイッチを入れて、歩くことに意識を全集中させる。

それでも危険な瞬間はある。目の前からスマホを見ながら若い人がやってくる。一旦止まって横にずれて、その人の直線ルートから外れる。そのまま進むと相手が気づかずぶつかる可能性があるから。

子供とすれ違うときも注意する。お母さんに話しかけるため、周りを見ないまま外に膨らむ可能性があるから。短い距離ですれ違うときにそうされると、体重全てでぶつかってくることになり、確実に転んでしまう。僕は倒れ、子供は驚きまたは泣き始め、お母さんは謝り、道行くひとは何だ?と視線を浴びせる。勘弁だ。

話しながら歩いてくる老夫婦にも注意だ。会話している分、注意力が散漫になっている。僕の存在を認知しても、すれ違うときの距離感の見積もりが甘く、手に下げた買い物袋やバッグが杖にあたり、転倒の可能性がある。早めに気づけば大丈夫だ。立ち止まってルートを変えなくても、歩く角度を変え、斜めに進みながら外れていけばいい。

階段は手すりをがっちり掴む。混んでいるエレベーターには乗らない。なるべく壁伝いに歩く。エスカレーターですぐ後ろに人がいたら、2.3段上に登る。降り際にもたついても後ろの人に迷惑がかからないようにするためだ。

細かく精神が削られて疲れることこの上ない。しかし風が気持ちいい。日光も味方になって歓迎してくれてるようにも感じる。若い人たちがキャッキャしながら友達との休日を楽しんでいる。

停止した存在の自分は、この街の息づかいとでも呼べそうな休日に溶け込んではいないだろう。それでも、何とか端っこに存在できている感覚はあって、少しだけ安心する。

買取りの結果が出るまでに20分ほどあったので、意を決して喫茶店に入る。怪我してから初めてのお茶。ごった返した店内を縫うように進むのは怖いと思っていたが、店内だと松葉杖はよく目立つ。そのせいか、人が避けてくれて、問題なくお茶を楽しめた。

新刊本が一冊買えるくらいのお金になったので、思い切って本屋に行く。デパートの7階。人が数珠繋ぎのエスカレーターは避けてエレベーターで。そこまで混み合ってないので楽に店内を見て回れた。しかしこの書店は狭めなので、棚間に入るとすれ違うのが難しい。杖の分まで幅が無いから。欲しい本が何冊も見つかるが、それを決めるだけの時間を過ごす精神的な余裕が無かった。とにかく来れただけでヨシとして帰宅する。

道中の足の痛みは最小限に抑えられた気がするが、家に戻ってからがずっと痛かった。自分では気づかないが、容量を超えて足を酷使していたのだろう。立ち読みしている時間、エスカレーターや階段の登り降り、歩く止まるを繰り返すなど、知らないうちに。まだまだ回復には時間がかかりそうで悲しくなってくる。

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美輪 文化をたくさん食べて、それが身になっている人からは、光が滲み出てくるものなんですよ。
小泉 どんな文化が詰まっているかで、外側も出来上がる。特に、大人はそうですよね。
美輪 大人になっても、枯れないようにね。よく「枯れた芝居だ」「枯れた歌だ」なんて言いますけれど、そんなカサカサしたものの何がいいの?と。潤っていないとダメですよ。あとは、愛。やはり人間にとって、仕事からプライベートまでまざまなもののモチベーションの源流にあるのは、愛だと思うんです。それも、無償の愛。
小泉 そうか。そうですよね。
美輪 人間に対する愛でもいいし、仕事に対する愛でもいい。エロスの愛は、いつか肉体的に不可能になるけれど、無償の愛は永遠のものです。だから私は、『愛の讃歌』を何度も上演するんです。ピアフという人は (中略) 歌にはまったく妥協がなかった。それは私もまったく同じです。与えるという言い方は倣慢で、「差し上げる」が正しいと思いますが、誰かに何かを差し上げる、そのひたむきな無償の愛があれば、人は生きていけるのだと思います。

小泉今日子の対談集『小泉放談』より、美輪明宏との対談の一部。この対談集は小泉今日子51歳の時に行われたもので、大人の生き方をベースにした対談となっている。奇しくも今の自分も同じ歳。出版は7年前だが、かなりの頻度でページを開いている一冊。25人の女性ゲストとの対談は、時に弾むような、時にしっとりと時間の流れを緩めるような、でも結局は逞しくかしましい雰囲気で、内容云々は関係なく、何だか元気が出るのだ。

それにしても美輪明宏の圧巻さ、その凄み。

無償の愛。自分はそれを差し出すことができるのか。ひたむきさを以て。気持ちを込めて何かに打ち込む、人と対峙する、様々な事象に立ち会い、抱きしめて、注ぐ。永瀬正敏が「やっぱ愛だろ?愛」と言った昔のCMを思い出す。いつの頃からか愛について考えるのをやめてしまった。時々は思うが、何かあったときにそれを意識するだけだった。違うのだ。生活全般に、生きることのそのものに、定款として愛を置くこと。それにしても愛の讃歌は素晴らしい。誰も彼もが愛に全てを捧げて歌っている。

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夜はやはり切ない。明日への希望ではなく、未来への恐怖が優位に立つ。その恐怖も書ききってしまえばいいのだが、その勇気がまだ無い。孤独であることが思考を促すが、まだまだ悩みをジャグリングしているに過ぎない。こういう夜は物語も楽しめない。斉藤和義の曲ではないが、もっと強くなりたい、優しくなりたい。

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