子供の自分を育てなおす

自宅療養41日目。6:50起床。今日は雨。外に繁っている草木たちが雨に洗われているのを近くで見たいと思うがそれは叶わない。もうすぐ、もうすぐです。そう自分に言い聞かせて、室内にいる植物に水をやり、傘をさして散歩する自分を思い浮かべる。室内には8つの観葉植物がいる。1番古くて5年くらい、新しいものでも1年近く経つ。入院中に枯れてしまったのは2つだけだった。植物は永遠に飽きない。こんなもの他にあるか?そう自問しながらベランダ越しに雨の日を堪能する。

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アンメット第7話を観る。ラストで物語が大きく展開する気配がある。それも楽しみではあるが、杉咲花の控えめな演技がとにかく好きだ。自然体で声も小さく、感情の上下を大げさに表現しない。おとなしい一人の女性がただそこにいる。おそらく演技プランなのだろうが、この演出はドラマのテイストを左右する鍵になる。相当な勇気がいっただろうな。

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分岐ルートのいずれかを選ぶとは、一本の道を選ぶことではなく、新しく無数に開かれた可能性の全体に入ってゆくことなのです。可能性とは、ルートが分岐しつつ、その行く先がわかった一本道などではなく、つねに、動的に変化していく全体でしかないのではないでしょうか。

『急に具合が悪くなる』(宮野真生子・磯野真穂)をつらつらと再読する。人類学者とガンに冒された哲学者の『病』を巡る往復書簡。全力投球された言葉の応酬、その迫力。

思い切って選択する。一か八か、退路を絶って。恐る恐る足を踏み出す。大丈夫か?まだ進めるか?抜けたか?少し平気になったか?こちらの道で間違いなかったようだ。少し安心した。

大きな分岐に差しかかったとき、そんな風に二つに一つの道を意を決して選ぶ感覚がある。しかしその先にも大小様々な分岐が待ち受けており、さらにその先にもと未来のことはわからない。分岐は、たえず目の前の二つのみ見えている。

結局、分岐はただの分岐である。そしてそれは常に変化していく。これでいいという一本があるのではない。そう思えば精神をすり減らして選択することの無意味さもわかる。変化するものに対して怯える必要はない。動的に変化していく道を楽しんで歩いていけばいい。

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昨日知った『怠けはネグレクト』という言葉が心にべったりと張り付いて離れない。この考えは自分にとって福音だった。日中何度も思い出し、ネグレクトにならないよう過ごすことを決める。

それと同時に、坂口恭平がよく使う言葉『ニュートラルポジションに戻す』という言葉も引っかかっている。掃除をしてモノを元の位置に戻す。そんなニュアンスを表現している言葉だ。

普通だと『掃除をしよう。モノを所定の位置に戻して、すっきり1日を始めよう。』みたいな感じだと思うが、それを『ニュートラルポジションに戻す』という言い方で表現することが素晴らしい。キャッチフレーズのように聞こえる。何だかカッコよくもある。

だからこの二つを組み合わせて毎日の始まりの言葉とする。

・怠けはネグレクトだから気をつけて。
・ニュートラルポジションに戻してスッキリと1日を始めよう。

この2つを守ることが、結果として自分をケアすることにつながるだろうという希望が芽生えた。自分が自分の親になり、過去に傷ついた子供の自分をきちんと見守ること。適切に目をかけ、方向を指し示す。間違いは正すが無駄に批判せず、すくすくと育てる。幼い自分を未来の自分が育てなおすのだ。

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夜がまだ怖い。エネルギーがなくなって、ダラダラと横になっている時間が続いている。ネガティブな言葉がいくつも顔を出す。日中活発に活動するからの休息。しかし自分の日中は活動的ではなく、それに対する負い目があるようだ。

しかし好きでこうなったわけではない。それもわかるのだが、何だかしっくりこない。望んでいない休息に戸惑っている。

明日からのテーマとしてきちんと考えていこう。




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