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世界は、あなたは、何に向かっているのか?

世界が何かに向かっていると捉えた時、なにに向かっているのか。
一言で言えば、自分がして欲しくないことを他者にはしないで済むような関係性の構築だろう。
言い換えれば権力関係を極限まで抑えようとする動きである。
その大きな目標の柱の前に、今流行のSDGsの目標のようなものがたくさん入ってくるだろう。ヘーゲルではないが、理性という精神の向こうところは、上のようなものとなるだろう。

上のような方向を否定するような方向性、それは簡単な言い方をすればロマン主義かもしれない。己が滅亡してもあるいは己が苦悩に覆われても、他者のために犠牲になって良い、それが喜びと倒錯されるような世界である。

しかし、そのようなことが真っ当に存立するのは、たった1人の例外もなく全員がそのように思っている社会であるか、弾圧を前提とする社会である。あるいは、そうでなければ、そう思っていない者たちを完全に騙すことのできる情報を管理する社会であろう。

人間が物語を持って生きてしまうと言うのはどういうことだろうか。己の生の未来に、人はどのような約束を作り、それに届かない今を、欠乏として感じ、それをエネルギーとして生き、傷つく。
その約束をどのくらいの重大ごととして設定するのだろうか。約束の形がその人の世間や世界を構成する。
その過程で人は世界を味わう。甘く苦くあっさりとじっくりと。
死する時うっすらと振り返るかもしれない。
約束にどれだけ届き得たのか。それを持って己の幸不幸を計ってみるのかもしれない。
しかし、契約書を点検するような明確な精算は人生ではあり得ない。
その約束自体、本物であったと言い切れないし、喜びや悲しみは、その約束の契約書だけから来るものではないからだ。

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